第36話

 サウサミーケの大きな瞳が瞬いてまた、バルコニーの方を向いた。


「サウサミーケはサウサミーケだ! サウサミーケはサマリスの友達だ。あなたたちと話に来た!」


 声を張り上げてバルコニーに立つ彼らに言う。果たして、貴族の高貴な耳に彼女のような平民の声が届くのか。


「何だ、サミー!! とうとう子供しか相手にしてくれなくなったか!?」

「その不気味な体じゃなぁ!!」


 四人のうち二人がサマリスの体を指差してゲラゲラ笑った。サウサミーケはあんな彼らよりもサマリスのことを知っているかもしれない。

 彼女のオレンジ色の瞳がきらりと光った。


「サウサミーケの話を聞け!」

「嫌だよ! どうせサマリスの友達だ。卑しい身分の子供なんだろう?」

「そうだ。サウサミーケはただのサウサミーケだ。でも、最強になる」


 四人の笑い声が揃った。指先はサウサミーケへと向けられている。

 体を反らして笑う者、手を叩く者もいたが、サウサミーケにはその区別がない。まだ、彼らは害をなさないものとして見られている。サウサミーケが人を判断する基準はたったのそれだけで十分だった。

 サウサミーケの耳元にニフユの声が聞こえる。


「……あいつら、殺そうか? サミー?」

「いいよ、平気。強さっていうのは見た目で分からないものだろ?」

「だが……」

「笑われることが、なんだって言うの? 犬でも笑うよ?」


 サウサミーケがそんなことを言って緩く笑った。


「最強だってよ! 最強!! じゃあ、その強さ見せてみろよ!」

「ちょうど良かったんだ。前の暗殺者が全員死んだって言うからよ、次を用意していたところなんだ。久しぶりに死なないお前を目の前で見たかったところだったしなぁ、サミー」


 長男のエルリスがニンマリと笑った。太った彼らはサウサミーケにはどれがこれだか違いがついていないようだったが、さんざん虐げられたサマリスにならその区別がつく。

 リルリスが声を張り上げた。


「動かせ!」


 魔法の言葉ではない。

 四人がバルコニーから室内に入るのを見て、サウサミーケが声を張り上げた。


「待て!!」


 声と同時に轟音がする。緑色の水がしぶきになって飛び上がり、砕けた噴水のかけらがサウサミーケに降り注いだ。

 サウサミーケが上を向く。見上げるような大男が、そこにいる。彼がおおよそ人のものでない不安定な拳を握っている間、サウサミーケはぽかんとそれを見上げていただけだった。

 握られた拳が少女の小さな体を軽々吹き飛ばした。誰も声を上げない。いや、上げられなかった。使い魔でさえもだ。くの字に折れ曲がった体が、木にぶつかろうとした時だった。


「意外と痛いな」


 と飄々としたつぶやきがある。

 空中で体勢を変えて。サウサミーケが木を足場にしてその場に着地した。衝撃で木の葉がハラハラと落ちる。

 ニフユもサマリスも顔を引きつらせる。


「サミー……?」

「平気だ、ニフユ。サウサミーケの防御魔法の硬さは君がよく知ってる」


 サマリスが胸をなでおろす。また殺してしまったのかと思ったのだ。

 少女が笑う。


「次はサウサミーケの番だ」


 拳を握って小さな体が宙を舞う。繰り出された正拳が戦闘用魔導生命の首を簡単に貫いた。

 部品が飛び散る。木々の間で悲鳴が聞こえた。

 サウサミーケが地面に舞立つ。英雄を彷彿とさせる。瞳の輝きがそうさせた。サマリスが彼女のことを凝視している。

 あと二体である。

 何故か、少女の方へは向かず、サマリスの方へと視線を向けていた。

 サウサミーケの声が響く。風が強く通り過ぎた。


「サマリス! 避けて!!」


 サマリスをかばったサウサミーケの体が今度こそ吹き飛ばされた。噴水の瓦礫に直撃する。体がそれの上で二度も跳ねた。立ち上がろうとしているのか腕が動くが、空を切るだけだ。

 白い石の間を真っ赤な血液が流れていく。

 サマリスが目を見開いた。


「サミー!」


 名を叫んで走り出す。対して動いてもいないのにうるさい心臓を押さえつけて一刻も早く最強にすがりつきたかった。

 サマリスの目の前に戦闘用魔導生命が立ちはだかった。

 今彼の前に立ちはだかるものは、彼が昔メンテナンスをしていたものに違いない。部品も、傷の位置も変わっていなかった。

 サウサミーケの下では黒い影が蠢いている。ニフユがいれば彼女は安心であるが、サウサミーケがいなければサマリスは死ぬだろう。自分が所有していたからこそ、その力の強さは熟知していた。

 この男の中にどれほどの力があるのだろうか。もう既に三十年も生きてしまった悲しい生き物である。持つものは骨と皮と、悲しい呪いだけだ。

 サウサミーケが立ち上がるのをサマリスは見た。

 オレンジ色の頭を赤く染め上げて拳が振り上げられる。格段に動きが鈍くなっている。二体の戦闘用魔導生命がサウサミーケの攻撃を避けた。

 ニフユの髪の毛がサマリスを掴む。サウサミーケが敵の横を走り抜けて伸び放題になった茂みの中に消えていく。サマリスも引きずられるようにしてその中に入っていった。

 鬱蒼とした木々の中でサウサミーケが膝をついている。地面にはぼたぼたと赤い斑ができていた。

 サマリスが名を呼ぶ。


「……サミー」


 彼女は笑っていた。口の端が切れている。それでも口を歪め、オレンジ色の瞳を半月型に伸ばしていた。

 呆然としているサマリスの目の前にサウサミーケの顔がある。血だらけだ。


「サマリス」


 サウサミーケが囁く。髪の毛を湿らせるほどに出血している。ぼたぼたと不味い液体がサマリスの顔に降り注いだ。彼の目は既に粘膜を失っている、血が入っても傷まない。サウサミーケの大きな瞳は痛みのせいか、滲みるせいか、薄く開けられているのみとなった。


「目玉交換して」 


 その頼みはにはどんな願いが、祈りが込められているのか。サマリスには理解できない。


「そんなこと……」

「できる、でしょ。本に書いてあるのを読んだ。本当は、サマリスの心臓の魔法陣が欲しいけど、でもそうするとサマリスが困るでしょ。だから、我慢してあげるよ」


 大きな瞳が、サマリスの魔法陣を覗き込む。視界が反転した。


「ちょっと、借りるよ」


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