第35話
それはそれは立派な門だ。サウサミーケが興味深そうに見上げた。
「すごい」
と小さな声で呟く。この少女、シェーパース領を収める貴族、オウファン家の屋敷の門の前に堂々と立っていた。
旅のせいか、少し汚れた髪の毛と、またもや袖がボロボロになったワイシャツを身につけている。なぜかオーバーオールだけは少し解れているようなところがあるだけだ。彼女の隣にはサマリスも立っている。落ち着かないのか、それが何本目の煙草だったのか彼も覚えていない。
門の鉄棒に両手で掴まりながらサウサミーケがサマリスへと振り向いた。
「で、これはどうやって開けるの? サマリス」
「……鍵がかかってんなら乗り越えろ」
「……かかってないね」
「じゃあ、普通に入れってことだろ」
サマリスが吸殻を地面に捨てる。
門を見上げた。奥に忌々しいサマリスの家が見える。窓の近くで動く影をサマリスの魔法陣の目は捉えたが、サウサミーケには言わなかった。
どこにどんな力を加えたのか、門を勢いよく開ける。サマリスのことも待たずにすたすたと庭の方へ歩き出した。
「きっと罠だね」
と呟く。
サマリスが頷いた。
「緊張してる?」
サウサミーケが弾んだ声で答える。何が嬉しいのか。
「緊張っていうか、嫌な感じだ」
「まぁ、そうだろうね。サウサミーケだって嫌いな場所くらいあるし」
「……どんなところが嫌いなんだ?」
「美味しくないご飯屋さん」
端的に呟いてそれに付け足す。
「さらに値段が高かったダメダメだね」
サマリスの緊張がぱっと解ける。まさか、この少女、こんなところでまでこんなことを考えるとは思ってもみなかったのだ。思っていたより肩の力がストンと抜けた。
「サミー、お前変だな」
「両目が魔法陣の人に言われたくないよ」
「かもな」
思っていたよりも心も足取りも軽い。最強が味方に付いているからかもしれなかった。
サウサミーケの方を見る。彼女も足取りは軽く、特に何も思ってはいなさそうだ。広い庭が珍しいのかキョロキョロと辺りを見回しては、影の中に身を潜めているニフユに何か喋りかけていた。
前庭でこの調子では、玄関前にたどり着いた頃にはさぞや驚くことだろう。
生暖かい風が屋敷の方から強く吹きつけた。
サウサミーケがわずかに足を止める。
サマリスが呟いた。
「これが終わったらさ、飯食いに行こうぜ。サミーは何が食べたい?」
「牛」
とても短い言葉が返された。
「そろそろ、うさぎと、鹿と、魔物は飽きたね」
何に思いを馳せているのか、視線はあさっての方向を向いている。
先代の自慢だった木々のトンネルをくぐって、ようやく屋敷の全貌が見え始めた。サマリスの父である先代が生きていた頃は手入れが行き届いて年中花が咲いていたが、今は黒っぽい緑の葉がただただ寂しそうに茂っているだけだ。彼の兄弟は庭の手入れにも興味がない。
サウサミーケが足を止めた。
「サマリス、この家って大きな動物を飼っているの?」
「飼ってないよ。あいつらが、動物に金を使うなんて思えない」
「なら、この足あとは、何?」
サウサミーケが指さす先にぬかるんだ地面がある。大きな魔物の足跡のような形をしていた。
彼女が顔を近づけてそれを観察する。しげしげと見つめて、唸るようにつぶやいた。
「なんだろう、魔物かな? こんな足跡見たことないけど……ニフユ、わかる?」
「いや、うーん。見たことないな」
「ニフユも見たことないのか」
サウサミーケがニフユに訪ねて、さらに首をかしげる。かしげたまま、また歩を進め始めた。
風がざあっと吹いていく。あたりの木々が揺れてざわざわ泣く。人がしゃべっているようにも聞こえた。
サマリスが呼び止める。
「サミー、いいのか?」
「うん。いいよ。襲ってきたら、倒せばいい。ここにはサマリスの味方と敵しかいないよ」
「……どうやって見分けるつもりなんだ?」
「襲ってきたら、敵。そうじゃないなら、味方だ」
余りにも単純で明快な基準である。子供で、おろかで、最強なサウサミーケにはちょうどいいと言えるかもしれない。
わずかに振り返ったオレンジ色の瞳が笑っていた。
「安心してね、サマリス。サウサミーケは味方さ」
どんなに力強い味方だろうか。サマリスが神妙な顔で頷いた。
「知ってる」
「そうか、それは良かった」
サウサミーケの顔はもう見えない。
オウファン家の屋敷の庭は広かった。サマリスの案内がなければサウサミーケは確実に迷っていた。ようやく、屋敷の玄関口が見え始める。サウサミーケが見上げるように顔を動かした。
玄関の前に大きな噴水が見える。水は止められているらしく、白い石の中に濁った緑色の水が見えた。
噴水のうしろに何か大きな影が三つある。嫌な予感がした。サマリスはその影を見たことがある気がしたのだ。
どうか、彼の兄たちが建てた悪趣味な像であれと願う。
ゆっくり近づき、全貌を見れば、それがどんなに甘えた願いだったかということが思い知らされた。サマリスが息を呑む。
無知なサウサミーケがつぶやいた。
「大男……」
「違う、あれは
サマリスがつぶやくが、サウサミーケが首をかしげる。その存在を彼女に教えていなかった。
人と魔物をかけあわせたかのような姿が三体そこに並べられている。サマリスがこの屋敷から出て行く前にメンテナンスを行っていたその戦闘用魔導生命たちだ。少し色あせたような印象を与えるが、記憶の中のものとほとんど変わらなかった。
「まあ、なんだろうな。人間が作った使い魔みたいな?」
「じゃあ、人間は誰が作ったの?」
「……神様? かな?」
「ふーん、そうか」
きっとサウサミーケはサマリスに答えなど求めていなかったろう。彼女に必要なのは自分が最強か、そうではないかだ。
頷く声音がそう物語っていた。
サウサミーケが無防備に近づいていく。また、強い風が吹いた。
真ん中にいる犬に似た頭の戦闘用魔導生命がわずかに動いた気がした。
サマリスが瞬きする。
「……動いた?」
「やあ、サミー」
遥か頭上から声がした。屋敷のバルコニーに体の大きなシルエットが三つ並んでいる。どれもこれも、横に大きく広がっていた。
サマリスとおなじ色のブロンドであったが、瞳は彼とは全く違う、人間の瞳だ。分厚いまぶたに埋もれようとしている。
突然現れた影にぽかんとサウサミーケが上を見上げている。
いつもの軽やかな声を張り上げた。
「なーにー?」
呼びかけに応えたのはサウサミーケの方だ。首をかしげて上の窓を見上げている。
しばらく見つめてから、サマリスの方にちらりと振り向く。
何か納得したような顔をした。それから小さな声で言う。
「サマリス、あの人がお兄さん?」
「……そうだ」
「あんまり似てないんだね」
「そりゃ嬉しいね」
「そう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます