第31話

 場面は変わって、草の中にサマリスが転がされていた。真っ青な空と、目に痛いくらいの白い雲が見えた。

 ここは何処か。昔本で読んだ死後の世界、という場所があったらこのような場所なのかとも思った。ならば、彼は死んだのだ。

 風が走り抜けていく。彼を簡単に追い抜いた。起き上がると、一面に広がる草原である。ポツリポツリと低木の茂みがあった。本当に見覚えのない場所だ。

 彼の傍らに野草の花が咲いていた。爽やかなオレンジ色だ。

 彼は死んだのだろうか。

 辺りを見回す。どうやら小高い丘のようになっているらしかった。自分の背後に色のあせた屋根が見える。

 サマリスは歩き出した。

 風がまた過ぎ去る。彼の背中を押しているようだ。

 ところで、彼はどうなったのか。サマリスは死なないはずなのだ。あるいは、とうとう肉片も残さず潰されたと考えればいいのだろうか。サウサミーケが戦っていたあのトカゲの魔物に潰されたと言うなら説明がつく。あの才能輝くサウサミーケが死んでいないのを願うばかりだが、彼女のことだきっとピンピンしているだろう。

 まだ出会って間もないが、そんな予感がした。

 彼女の宿す魔法への才覚は目を見張るものがある。今は廃れてしまった魔法の技術だが、彼女に教えれば必ず伝説に登場する魔法使いにも匹敵するだろう。あるいはそれ以上になるかもしれない。

 だが、自分は死んでしまった。彼女に教えることはもうない。

 彼女は魔法使いではなく、最強になるのだ。

 自分は彼女とニフユのことを宙ぶらりんにしたままなことを思い出す。彼女は怒っているだろうか。いや、サウサミーケなら、彼女なりにけじめをつけるはずだ。ニフユに聞いて契約を果たすもよし、分かれるもよし。

 どちらにせよ、サマリスにはもうそんなこと関係ない。終わった。

 ここがどこかとよく思い出せば見覚えがあった。自分があの屋敷を出たあと身を潜め、魔法の研究を行ったあの家だ。旅を初めてだいぶ経つが懐かしい。鍵も閉めず飛び出してしまったから、それはそれは荒れていることだろう。唯一持って出てこれたのは昔から使っているノートだけだ。ジェニスの写真が挟まっているあのノートだ。しばらく彼女の写真を見ていなかった。そんな暇がないくらいに忙しかったのか。いや、サウサミーケがいたからだった。彼女がいたからノートを開かなかったのだ。誰かと長いあいだ一緒にいるのは久しぶりだった。

 屋根を目指すと、懐かしいあの家がひっそりとある。

 家の扉の前で小さな影が待っていた。白い体に三角形の耳、大きなオレンジ色の一つ目がサマリスを出迎えた。


「サマリス」


 彼女がそう呼ぶ。




「サマリス」


 サウサミーケが呼んだ。森の冷たい地面には少しいびつな形の魔法陣が描かれている。元気なオレンジ色の光を放って燃えるように輝いていた。

 サマリスの胸の傷は塞がっている。


「ニフユ、これで本当に治るの? サマリスは平気?」

「多分な。大丈夫だと思うんだが……」


 ニフユがサマリスの顔を覗き込んだ。彼女の膝の上にはサマリスの魔道書が広げられている。


「まぁ、傷も治ってるし平気だろ。じきに目を覚ます」

「そっか」


 ニフユがサウサミーケを見下げながら聞いた。


「なぁ、なんでサマリスを助けた?」

「用心棒だからだ」

「俺様は助けて欲しくなかった」

「ジェニスのことがあるから?」

「……ああ」


 サウサミーケがわずかに笑う。


「それが呪いか」


 ニフユが怪訝そうな目をした。


「呪いって?」

「言ってた。サマリスが。呪いなんだって」

「ジェニスが?」

「まさか。きっと、ジェニスのこと大切に思ってるんだ」


 サウサミーケがそう静かに言った。ニフユから彼女の話を聞いたのだ。ニフユの知っているジェニスの話をだ。

 かわいそうなジェニスの話を聞いた。


「俺様はまだ許せない」

「ニフユだって長く生きているんだ。許せない事の方が多い。変じゃないよ」

「全てを許せていたら変なのか?」

「変じゃない」


 サウサミーケが首を横に振る。あたりはオレンジ色にぼんやり明るい。彼女の魔法陣のせいだった。まつげの影が、サウサミーケの瞳に落ちる。


「ともかく、ニフユはもうサウサミーケの使い魔だよ。心配することない。二人で最強」

「……二人で」

「嫌?」

「……嫌じゃない」


 彼女の手がヒルムセムトの召喚書を撫でた。ふたりはすっかり使い魔と主人の関係である。

 パルムラウセの街から少し離れた森の中である。陽はすっかり暮れていた。あの街での一件から、ニフユがサマリスを抱え、サウサミーケがサマリスの荷物を担いでこの森に逃げ込んだ。サマリスの傷は深かった。どうやら傷を治す魔法陣が壊れてしまったらしい。一向に傷の治らないサマリスをサウサミーケが魔法で治したのだ。

 彼女の思っていたより、治癒魔法は簡単だった。ニフユの力を借りたからかもしれないが、サウサミーケには詳しいことがわからない。サマリスの本を頼りになんとか書ききった魔法陣でも、サマリスは回復した。

 ニフユがわずかに揺らぐ。


「サミー、眠い」

「疲れたの?」

「……多分。こんなに動いたの久しぶりだ。それに、サミーの手伝いもした」

「おやすみ。大丈夫だよ。サマリスはサウサミーケが見ているから」

「殺して、二人で行こうぜ」

「ダメだよ。殺しちゃダメ」

「……憎いなぁ」


 そんな一言を残してニフユがサウサミーケの影に溶け消えていった。


「……憎い、ねぇ」


 サウサミーケが呟く。誰も聞いていない。

 魔法陣が揺らいだ。

 サマリスがうっすらと目を開ける。瞳の中で魔法陣が回っていた。彼の周りはオレンジ色っぽく明るい。ランタンの灯りかとも思ったが、どうやら違うらしい。この光は何か。

 重怠く視線をさまよわせると、サウサミーケの姿があった。彼女の使い魔の姿はない。だが、気配だけはまとっていた。

 彼女は彼と契約しただろう。

 サマリスは彼女の夢を見ていたのか、それとも彼の昔の夢を見ていたのか。

 かすれる声が出た。


「……び、平等じゃないのは嫌いなんじゃなかったのか?」

「それって、サマリスが? サウサミーケが?」

「両方」

「平等じゃんか。二人共生きてる。サウサミーケはやれることやっただけだよ」


 オレンジ色の瞳が近づいて、サマリスの胸に耳を当てた。胸に子供の頭一個分の重みがある。何故か懐かしい気がした。


「……ニフユは?」

「疲れたみたい。今はどこにもいない」

「良かったのか?」


 サマリスが訊く。サウサミーケは答えた。


「良かった」


 サウサミーケがゆっくり頷く。


「大丈夫だ」


 しっかりと頷いた。

 サウサミーケの瞳に迷いはない。なるようになったとでも言いたそうだ。

 サマリスの体は重い。だが、指先や胸は暖かかった。


「なぁ、昔話、してもいいか?」

「……いいよ」


 穏やかにオレンジ色の髪の毛が頷く。昔に見たのとそっくりなオレンジ色の瞳が見つめていた。


「昔さ、俺も使い魔を持ってた」

「知ってる」

「ジェニスっていう、ニフユみたいに強くない、普通の使い魔だった」

「知ってるよ。ジェニスはもういないんでしょ?」

「……なんで」


 嫌な予感がする。サウサミーケは穏やかに頷くだけだ。まるで寝物語でも聞かせるように膝の上には魔道書が置かれていた。


「ニフユから聞いた。全部聞いたよ。ジェニスのことも、ニフユのことも、サマリスのことも」


 震えた。彼女に知られてしまったのだ。

 それでも、彼女に喋らなければならないだろうということはわかる。


「……ジェニスは死んだんだ。俺が殺した」

「そんなこと、できないでしょ?」


 オレンジ色の光を丸みのある顔が反射している。


「サマリス弱いもん。そんな怖いことできないよ」

「……」

「サマリスより強い人がやったんだ」


 オレンジ色の瞳が瞬いた。促すようだった。


「ジェニスは焼け死んだ」


 その時の光景がまだ瞼の裏に張り付いている。火傷のように醜い跡になって、いつまでも彼の後をつけ回す。

 彼の呪いだ。


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