第29話
「実は誰かが誰かのことを操ってるんだ……」
「操ってるな……」
サウサミーケが言う言葉を復唱したあとサマリスが言う。
声音は少し硬かった。
「随分物騒なことを言うんだな」
「物騒かな?」
「ああ」
サウサミーケが頷きながら言った。彼女はよく考えて物を言っているに違いない。
「でも、実際そういうものだ」
古い紙の上を指が滑っていった。
「だって、サウサミーケがあの時サマリスを助けてなきゃ死んでいたかもしれない。サウサミーケがニフユのことで困ってなかったら、多分助けてなかった」
彼女の言っていた期待というのはそういうことか、とサマリスは思い直す。俗物まみれな自分が居心地悪かった。
「それに、サウサミーケがサマリスに雇われなきゃ、サウサミーケは美味しいご飯は食べてないよ」
「そういうもんかなぁ?」
「それに、サマリスのこと見つけたのはニフユだし」
「え?」
「ニフユだよ。サウサミーケじゃない」
「そ、そうなのか……」
思っていもいなかった言葉にサマリスがどもる。サウサミーケは何でもないという顔をしたままだ。
「うん」
頷いて自分の左手の付け根をさする。
「だから、ちょっと迷ってるのかも」
眉根を寄せて、サウサミーケの瞳がサマリスを見上げた。男の方は正直その瞳から目をそらしたい。
彼女は自分のことを頼ろうとしているに違いない。だが、サマリスはそれに答えられるほどの生き物ではない。彼が持っているのは知識であって、彼女に貸せる力ではないのだ。
それを今目の前で思い知らされている。サウサミーケは迷っていると言った。だが、始め、あの森で会った時に彼女は自分の使い魔に対して懐疑的であり、その上敵意まで見せていたはずだった。会話だって、到底信頼関係で成り立つ使い魔とその主人の会話ではなかったはずだ。
それがどうして、彼女は迷っているのか。
ニフユとの旅の中でなにか手に入れたものがあるに違いない。あるいは、また彼に騙されているのか。
サマリスが小さな声で問うた。
「……おまえ、運命って、信じるか?」
「サマリス変なの。呪いは信じてるのに、運命は信じてないの?」
サウサミーケの瞳がサマリスを見ている。本当に変だと思っている。瞳が困惑するように揺れていた。
彼女にとっては、呪いも運命も一緒なのだ。それを信じていても、いなくてもだ。
「だって、サウサミーケが兄者と姉者の妹であるのは、もう絶対に決まったことだったんだよ。それだけはわかるよ。でも、サウサミーケが最強になれるのは、ちょっとわからないかもしれない」
「珍しいな、そんなこと言うの」
「サウサミーケが目指してるのは、たかが最強だ」
幼い彼女が最強ということに重きを置いているというのは今までの旅の中で知っていたが、まさかそんなことを言うとは思ってもみなかった。
サマリスは驚く。
サウサミーケの視線はもう魔道書の方に吸い込まれていた。一応は読んでいるらしい。あんなにもただの日記だと文句を言っていたが、その中になにか価値を見つけ出したようだった。
「サウサミーケはニフユが怖いんだ」
囁くような声音だった。
「彼はサウサミーケと一緒にいるには頭が良すぎる」
「どういうことだ?」
「サウサミーケはわからないんだよ。どうしてどうしてあんなにいろんなことを上手く天秤にかけるのか」
「天秤に?」
「うん。サマリスは気が付いていなかもしれないけど、ニフユはいろんなこと天秤にかけながら生きてる。天秤っていうのは、なかなか難しいものなんだよ?」
サウサミーケがページをめくった。
文字を読むかのように目が左右に振れている。器用なことだ。
「例えば、全く重さの同じ箱があるだろ? それをニフユの天秤に乗せる。で、その天秤の両方にニフユの毛を一本ずつ乗せるんだ。そしたら、どっちが傾くかわかる?」
「そりゃ、どっちも傾かねえだろ?」
「違うよ。どっちかが傾くんだ。だって、どちらかの皿にニフユが上から力をかけるからね」
「はぁ?」
「ニフユが力をかけるのは、サウサミーケの邪魔になるものだ」
サウサミーケが本から顔を上げた。瞳の奥で何かの思いがゆらゆらと揺れている。
「サウサミーケはそれは困る」
そう言う
「世界は平等でなくては困る」
そうとも言った。
「世界なんて元々平等じゃないだろ? サウサミーケは最強になるのに平等を謳うのか?」
「平等じゃないっていうのがこの世界の平等なんだよ。サマリスはわかってないよ」
サウサミーケが言いたいことがうまく伝わってこない。彼女に多くの言葉がないせいか、もとより難しいことを言おうとしているせいなのか。
彼女が魔道書から手を離した。
「赤ちゃんだって死ぬけど、老人だって死ぬだろ? 王様だって死ぬし、平民だって死ぬ。魔物だって死ぬって言うんなら、やっぱり世界は平等じゃない」
「……何言ってるんだ、お前」
「何かが死ぬのに、何かが生き続けるんだ。平等じゃないだろ?」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
サマリスに向かってしっかり頷く。そしてもう一度自分に言い聞かせるように、
「そういうものだ」
と呟いた。
いつの間にかヒルムセムトの本は読んでいない。いや、おそらくは初めから読んでいなかったのだろう。
「サウサミーケをニフユが助けるのは困るんだ」
「言えばいいだろ、そうやって」
「……そうかなぁ?」
「そうだよ。言えよ。意外と今聴いてるかもしれないぜ」
「あ、それはないよ」
サウサミーケが素早く返した。
「ニフユは今外にいる。外に居てって言ったから」
「……そうなのか」
「うん」
サウサミーケが頷く。わずかに口元が硬い。
サマリスが訊いた。
「この話をするためか?」
「あ、それもちょっとあるけど、でも、ホントは違うよ」
サウサミーケが声を潜める。机の半分ほどまで乗り出してサマリスに近寄った。
「外、気を付けよう」
「は?」
「さっきの給仕の人……」
囁くような声音でオレンジ色の瞳が動く。視線はカウンターの向こう側へと向けられていた。
二人の周りにいた客はいつの間にかいない。
混雑する時間帯も終わったのか、店内にも数組の客しかいなかった。
「多分、なにかしてるよ。だって、サマリスの顔を見た時、びっくりしていたもん」
「そ、そりゃ、目のせいだろ……」
サウサミーケの言葉を気にしてサマリスがフードを深くかぶりなおす。大きなフードで顔の半分以上を隠してから、用心棒を見習って店内を見回した。
「きっと、店内では仕掛けてこないけど、どうだろうか。サウサミーケがサマリスを殺すんならそうする。路地裏とか、あとは用心棒がいない時かな。後ろから、心臓をこう……ぶすっとね」
「や、やめろよ」
サウサミーケがナイフを握るような動きをするものだから、サマリスが顔を引きつらせた。余りにもなれた動きのせいで、本当に持っているかのようにも思えた。
「サマリスを殺そうとしている人が、一人にしろ、大勢にしろ……きっと相手はサマリスのことを見つけたよ」
「ど、どうするんだ?」
「サマリスを殺させない」
「……」
「だってサウサミーケはサマリスの用心棒だ。それに、サマリスを途中で殺されちゃったら、あの日の夜にサマリスのこと殺しておけば良かったって後悔することになる」
ハキハキとサウサミーケが言う。瞳は嬉しそうに輝いていた。
「そんなのは、絶対嫌だよ。サウサミーケは絶対にサマリスを連れてシェーパース領まで行くよ。それで……」
オレンジ色の瞳が揺れた。子供らしい仕草でコテンと首が傾げられる。
「それで……それからどうしよう?」
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