第23話
「……通貨で払ってって、言わなかったけ?」
薄暗い宿の一室で、サウサミーケのそんな言葉が響いた。
彼女の目の前に差し出されているのは、一冊の本だ。一般人から見ればそう見えるが、ここ数日で魔法をかじった彼女にはそれが魔道書だということがわかる。
ただ、表紙に書かれた内容まではわからなかった。
サウサミーケが座ったままサマリスを見上げると、困ったような顔をしているのを見た。
困るのはサウサミーケの方であるのに。
口を開くので、どんな言い訳が飛び出すのかと思ったら、まずは罵りからだった。
「馬鹿、これはお前にやる分」
「……?」
「わかってねえな」
首をかしげたサウサミーケにサマリスがため息を吐く。もちろんサウサミーケはわかっていない。自分の分、というその本の意味がわからなかった。
サマリスが自分にその魔道書をくれるということだろうか。
「魔道書だ。召喚初心者用のやつな。基本的なことはしっかり載ってるから、読めよ」
「……なんでサウサミーケが召喚のこと勉強するんだ?」
いよいよ、わけがわからない。サウサミーケは魔法を勉強しているのであって、召喚を勉強しているのではない。一番はじめに読んだ本に、魔法と召喚は全くの別物だという記載があったのを彼女は覚えていた。
つまり、サマリスが渡そうとしているその本は、魔法を学ぶサウサミーケにはまったくもって関係ないということになる。
「魔法のことは勉強するっていう約束だけど……?」
「ニフユのことどうするんだ、お前」
「え?」
サマリスは昼間のサウサミーケの話を思い出す。彼女の決意がどちら側でかたまるにしろ、知識だけは付けておかなければならなかった。既に彼女はニフユに騙されている。
サウサミーケが怪訝そうな顔でサマリスを見る。
次の言葉は、サマリスにとって衝撃的だった。
「サマリスがどうにかしてくれるんじゃないの?」
「はぁ?」
他力本願すぎる。サウサミーケの言葉とは思いたくなかった。
サウサミーケは本当に召喚のことを知らない。ニフユもこれは説明に困ったろうと思えた。いや、彼の視点からすれば騙しやすいとでもいったところだろうか。
「召喚者と使い魔の問題だぞ。どうして他人の俺が干渉できると思ってるんだ」
「……」
サマリスの言葉にしばらく黙って、サウサミーケが妙に納得したような顔をする。
「そうゆうものか」
「そういうものだ」
サマリスがゆっくりと首を縦に振ったのだった。
黙って魔道書を受け取って、サウサミーケが開く。大した大きさではないと思っていたが、彼女がそれを持つと妙に大きく感じてしまった。
眺めるようにして、数項めくるところを見ると、決して読んでいる風ではない。オレンジ色の目が訝しげに細められていた。時折目に付いたらしい文字列をなぞって、また飛ばすようにしてページをめくっていく。呆気なく最後のページまでたどり着いたそれはぱたんと閉じられた。
サウサミーケがサマリスから不意に視線を逸らす。
「困ったな」
「どうしたんだ?」
「解除の魔法もやらなきゃいけないのに」
「……?」
彼女の言う意味がわからなかった。サマリスは彼女にまだ何の課題も与えていないはずだ。与えたところで、何一つとしてこなせないはずである。
サマリスが不思議そうな顔をしているのを認めると、サウサミーケがわずかに息を吐いた。
つぶれた麻の袋をゴソゴソと漁る。出てきたのはサマリスが吸っている銘柄のタバコの箱だった。いつの間に取られたのかと思い返すが、自分が森の中で彼女に渡したのだ。
「これ」
小さな手がそれを握って左右に振る。中身は入っていないのに。
「あ、ああ」
「困った」
その呟きでサマリスは、彼女が諦めていないことを悟る。中身が空だと知られれば、何をされるだろうか。拳の一発や二発、覚悟しておかなければならないかもしれない。
鍵の魔法のかかったタバコの空き箱が机の上に置かれた。
「やることがいっぱいだ。難しくなきゃいいけど」
「て、テーブルマナーよか難しくないだろ」
「……そうかもね」
結局サウサミーケは本を受け取った。そのまま、机の上にできた本の山の一番上に置かれるに留まる。
サマリスとしてはすぐにでも読んで欲しかったが、サウサミーケにその気がないならしょうがない。彼女は空箱を開けるのに必死らしかった。
魔法の解除を書いた本を中心に読み漁っているらしいが、どうやらまだ答えにはたどり着いていないようだった。独りごちながらメモ用紙に何かを書き写している。
本人がその気になってくれるのを願いながら、サマリスは荷物をまとめ始める。魔導具や魔道書をひとまとめにしてカバンの中にしまっていく。すぐにここを発つことになった時に困らないようにだった。
サマリスを追う彼は諦めたはずがない。それどころか、サマリスとサウサミーケを血眼になって探しているはずだ。特に探しているのなら、サウサミーケかもしれなかった。
彼女はおそらく死なないし、負けないだろう。なにせ最強候補だし、あのニフユがついている。自分は運悪く死んでしまうかもしれない。刺し違えてでも、などと考えていたが、彼女の墓所までたどり着ければいいほうだろう。最悪それも叶わないかもしれない。
サウサミーケと出会ったことが、幸運だった。
彼はオレンジ色に縁があるということだ。良い意味でも、悪い意味でも。
肩ごしに後ろの影を見れば、サウサミーケがおとなしく本を読んでいる。彼女の影からはわずかにゆらぎが見える。そこにニフユがいるらしかった。
オレンジ色の丸い瞳が何度も瞬く。
その姿がいつかの自分の使い魔と重なった。
室内は適度な温度を保っている。湿り気のある森の温度とは明らかに違っていた。サウサミーケも今晩は土の上で寝なくても良いのだ。
彼女が体勢を立て直すように動く。その拍子にサマリスと目があった。オレンジ色のまつげに縁どられたそれが、大きく瞬きをする。サマリスは慌てて視線を逸らすのだ。
サウサミーケが気がついたように言った。考えてから言ったというよりは、思わず口をついたというような響きだった。
「サマリスのそれは、悪い魔法だ」
「これは呪いだよ」
サマリスがごく普通に答えた。
サウサミーケの方へは目を向けない。恐ろしくて、顔を上げることはできなかった。
彼女が言うのは彼の瞳のことだ。あの太陽の色をした瞳とぶつかってしまえば、呪いなど一瞬で弾け飛んでしまう。
「……呪い?」
「ああ」
「呪いって、魔法なのか」
少し意外そうな声だった。彼女が動く音が聞こえる。足音がサマリスに近づいていた。
「……呪いは、さぞ痛かろう」
「そうでもない」
「へえ」
サウサミーケの声だった。落ち着き払ったような声を出そうとしているらしいが、その端々から押し隠せなかった好奇心が見え隠れしている。オレンジ色の好奇心だ。
覗き込むようにして、彼女がサマリスの前に立つ。傷跡の引っかかる手が、痩けた頬に触れた。サマリスの瞳の中でくるりと魔法陣が組み変わっていく。
「何を呪っているの?」
「さあな」
サマリスがわずかに振り払うようにしてサウサミーケの手から抜け出す。
また魔法陣が組み変わる。溶かすようにわずかに熱を持ち始めた。
逃げるように離れる背中に、サウサミーケが投げかける。
「まさか、自分だなんて言わないでしょ?」
「なんで?」
「そんな気がしただけ。違ったんならいいんだ」
サマリスが体を向けずに振り返る。口を開きはしないものの、彼の動揺を反映しているのか、瞳の中で呪いがわずかに光を放っていた。
「魔法は人を呪えるんだ。ふうん。呪いなんて、弱い人のすることだね」
サウサミーケがなんともなしにそういう。立ち上がった姿は、なんとも勇ましい。弱いものを知らない姿だ。
サマリスが顔をしかめる。
「お前、人を妬んだことないだろ」
「あるよ。妬みと呪いは違うでしょ」
「同じようなものだろう」
「妬みは思いが籠ってないよ。でも、呪いなんてものはね、その実誰かを大切に思ってなきゃできないことだよ。無責任にすることなんてないでしょ。サマリスはその意味、知ってるんじゃない?」
「お前は、わかるか?」
サマリスの問いにきょとんとして、オレンジ色の瞳が彼を見つめていた。
「わかるわけないよ。だって、サウサミーケだよ?」
わずかに笑うその表情は、何を表しているのか。
サマリスが立ち去る寸前、彼女が言った。
「誰かのせいにするのはおかしいよ」
笑っているに違いない。
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