第22話
「ど、どうした」
「もし、サウサミーケがニフユと契約するんなら、どうすればいいんだ?」
「は?」
唐突な一言だった。今まで使い魔なんて、と渋っていた彼女から出た言葉とは思えない。
思わずサウサミーケの顔を見るが、特に変わった様子もなく、無表情だった。口の端にパンケーキのカスがついている。
「どうしたんだ、突然」
「少し気になったんだ。サウサミーケがニフユと契約したら、どうなるかなって」
彼女の足元を見るが、ニフユは今近くにいないらしい。彼女との契約を望んでいる彼がこの話を聞いたなら、場所などお構いなしに姿を現すことだろう。
サウサミーケも気になったのか、下を向いた。
影も、動かないままだ。
「契約したら、どうなるんだ?」
「どうなるも、ちゃんとした召喚者と使い魔の関係になるな」
「ふーん。そうか」
聞いたくせに、また興味をなくしたような返事をする。なにか考え事を同時にしている時のサウサミーケの癖だということをサマリスは知っていた。
グラスに残っていた水を飲み干して、サウサミーケが言う。
オレンジ色の瞳が光の角度のせいかわずかに光っているように見えた。
「ちゃんとした関係になると、今までみたいに行かなくなるのか?」
「……今までって?」
「あ、えっと」
サウサミーケが初めて言い淀む。十二歳に日常を問う方が酷だというのを知っていたサマリスは急かさなかった。
考えるようにサウサミーケの視線がいろんなところへ飛んだ。
ピアノの演奏が続いている。弦楽器の低い音も重なり始めた。
ようやく、サウサミーケのオレンジ色がサマリスに向けられる。
「例えば、ニフユがサウサミーケの手伝いをしたり、話し相手になったり、知恵を貸してくれることはなくなるのか?」
「……何? ニフユは今までそんなことまでしてくれていたのか?」
「え?」
まさに、至れりつくせりである。普通の使い魔でもそこまでしない。ましてや、サウサミーケとニフユはまだ名前をつけた段階で止まっているのに。サウサミーケはそのことを知らないだろう。サマリスはわずかに、ニフユの本気を感じ取っていた。
そして、このまま契約を破棄された時の彼の失意は大きいはずだ。
サウサミーケが不思議そうな顔で見ているので、サマリスが取り繕う。
「いや、珍しいなと思ってさ……」
「なんで?」
「そこまでする使い魔は、少ないから」
「やっぱり、ニフユはサウサミーケに媚を売っていたのか。そんな今でして気に入られたいのか……わからないな」
「いや、ニフユのは、媚びとはまた違うと思うが――」
「……そうなのか?」
ニフユの気持ちは本心であろう。なぜなら、彼にはサウサミーケを庇う必要がないからだ。媚を売るのなら、傅いたり、褒めたほうが簡単なのを、あの使い魔は知っているはずだ。騙しやすいサウサミーケのことである。ちょっとだけそのように扱えば、実に簡単にニフユのことを気に入ったろう。
なら、何故しないのか。
契約が難しいとわかった時点で見切りをつければ良かったのだ。強いとは言っても、最強になると豪語していても、まだたったの十二歳の少女である。それなりに、命の危険はあったろう。それに力を貸さなければ良かったのだ。森の中で襲われた時だってそうだった。ニフユがあの時に姿を現さなければ、サウサミーケとて危なかったはずだ。それなのに、見捨てず力を貸したのだ。
ニフユにも何かしらの考えがある。そしてその考えは、彼の言う思いと同じだろう。
彼はサウサミーケに対して本気だ。
「多分な」
「じゃあ、何なんだ?」
サウサミーケは首をかしげる。だが、それの答えを必要としていなかったはずだ。瞳がわずかに確信を持ったような色をしていたからだ。それを知ってもなお、サマリスは口を開いた。
「親愛、かな」
サウサミーケの瞳が、魔法陣の瞳を覗き込む。彼の瞳の中で、魔法陣がくるりと回って組み変わった。
「親愛? 使い魔って心あるのか?」
「はぁ? あるに決まってんだろ。生きてんだぞ、あいつら」
「え、生きてるの?」
サウサミーケには基本的な知識が抜けている。学びを進めなければ、とサマリスは思わざるを得なかった。
「話したろ? 魔界と、こっちの世界の話」
「一枚隔てて、魔界があるって話でしょ? 聞いてたよ。そこにいるのが、ニフユとか使い魔とか、あとはサウサミーケたちが呼ぶところの魔物とかで……」
「魔物は、死ぬだろ?」
「死ぬね」
「なら、使い魔も死ぬだろ?」
「あ、本当だ、死ぬ」
彼女の知っている事実とすりあわせて説明すれば、すんなりと頷いた。どうやら、彼女の学びはその場限りになってしまっていて、どこにもつながることがないらしい。
サウサミーケが納得したように頷いた。
「なら、ニフユはめちゃくちゃ強いんだ」
「そこからかよ……」
あのような禍々しい姿を見れば、彼の実力が大きいというのはわかるはずだ。あるいは、サウサミーケが見た目に囚われず、本質を見極めようと勤めているとしても、彼とともに戦ったことがあるなら、わかるはずだろう。ニフユは強い。
そして、ニフユのような姿をした使い魔を召喚する事は難しい。
人間のように二足歩行をする魔物というのは総じて珍しいのだ。ましてや、人語を介して、喋るものなど。
サウサミーケはその基本もわからないほど、召喚を知らないらしい。
圧倒的な力の彼女に圧倒的に足りないのは、知識である。
「一回だけ、本当に一回だけだけど、本気で殴ってしまったことがあるんだよ。ニフユと出会った夜でさ、突然魔物が目の前に現れた、殺される、と思ってさ本気で殴っちゃったんだ。ニフユ、死ななかったんだよね。一瞬殺してしまったかと思ったもん」
こともなげに、サウサミーケがそんなことを話し始めるものだから、サマリスは運ばれてきた紅茶をこぼしそうになった。
「ほ、本気って……」
「悪いことしたなって思ってるけど……」
「ちなみに、聞くけどサウサミーケ。サウサミーケはニフユ以外に本気を出したのはいつだ?」
演奏が終わりに差し掛かっていた。
サマリスの問いに、サウサミーケが間髪入れず答える。
「ニフユが初めてだよ。サウサミーケが本気で殴ったら、みんな死んでしまう」
サウサミーケが紅茶に何杯目かの砂糖を入れて少し遠くを見た。
口元は緩んでいる。
「そうか、ニフユは強いのか」
その笑みに、サマリスは恐ろしいものを感じた。
演奏が、終わった。
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