第21話

 街中は明るさと、暖かさと、雑踏と、人の匂いがあった。

 サウサミーケの腹が情けなく、ぐぅ、と鳴く。

 パルムラウセにたどり着いた次の日の昼時だ。あの後ふたりは難なく街の中に入った。表の通りには屋台が軒を連ねている。色とりどりの食材と、直接胃を揺さぶるような匂いにサウサミーケが時折フラフラと吸い込まれていきそうになるのをなんとか止めながらサマリスは彼女を目的の店に押し込む。

 店内は静かな印象を与えた。昼間にも関わらず薄暗い照明がそう見せたのかも知れない。

 例に漏れず、その店にも奥の方にステージがある。夜半なら、盛り上がっていたことだろう。ピアノの演奏が一旦終わったところだったのか、拍手の余韻が聞こえた。

 サウサミーケが一瞬足を止めたが、目の前を美味しそうな匂いを漂わすスープが運ばれていったのを見て今までのような抵抗は消えた。

 それでも、彼女の抵抗は軽いものだったろう。彼女が本気を出せば、サマリスの手に負えない。それだけが事実だった。

 サウサミーケがサマリスの方を向く。瞳が期待で揺らめいでいた。


「もしかして、サマリス」

「飯食うぞ、飯」


 わかっていたくせに、そんなことを尋ねるサウサミーケは何がしたいのだろうか。


「次は腹ごしらえをしよう」

「今してるところだろ」

「……美味しい」


 何皿目か。サマリスはもうすでに数えるのをやめていた。食器が次から次に片されていく。予定では今日と明日いっぱいは滞在するのだからそんなに詰め込まなくても、と思ったがサウサミーケに無理をしているような様子はない。

 大人の男二人がやっと食べきれるかと思うほどの量をペロリと平らげて、サウサミーケが少し満足そうにした。

 この次にデザートで頼んだパンケーキが運ばれてくるはずだ。

 手にはナイフとフォークが握られている。

 サマリスがだらしなく頬杖をついてサウサミーケに言った。彼女の食事風景を見ながらずっと気になっていたことだった。


「お前、ずっと思ってたけど、テーブルマナーも知らないのか」

「……テーブルマナー?」


 サウサミーケの方が首をかしげた。そんな言葉、一度でも聞いたことがないというような顔だ。オレンジ色の瞳が二度も瞬いた。

 口の端についたソースをぺろりと舐めてサウサミーケが言う。

 背後でゆっくりとしたピアノの演奏が始まった。


「テーブルマナーを学ぶのは、何か意味があるか? 最強に必要なことか?」

「ああ、必要だ」

「……これ覚えるなら、魔法覚えたほうがいいな」


 テーブルマナーと魔法を同等に並べられては、サマリスも返す言葉がない。


「お前な、もし一番悪い奴と晩餐することになったらどうするんだ」

「……一番悪い奴?」


 彼女の良い悪いの判断がどこでなされているのか甚だ疑問であるが、例を出すのにサマリスも戸惑う。サウサミーケに伝わるだろうと思った例え話が余りにも幼稚すぎたからだ。

 十二歳であるが、彼女も立派な職についている人間だ。年端のゆかない子供ではない。

 ピアノの打鍵が早くなる。


「……魔王、とか」

「一緒にご飯を食う前に倒すな」

「今日みたいな状態で、目の前に豪華な食事を並べられてそれが言えるならいいけどな」

「無理だな」


 その返答はなんという速さでやってきただろうか。サマリスが呆れかえる。だが、人間らしいといえば人間らしい。


「‟最強”なのに魔王に負けるんだぞ、それでもいいのか?」

「最強は最強であって無敵じゃないからな……」


 サウサミーケがグラスから水を少し飲む。そうしてから首をかしげるような仕草をした。

 オレンジ色の襟足を邪魔そうに後ろに流してサマリスを睨むように見た。彼女にそんな気はないだろう。何事かを思案しているはずだ。

 視線が素早く自らの手元に動く。サマリスにも考え事の一端が見えた気がした。


「最強より、最強無敵の方が強そうだし、最強そうだよなぁ……」


 サウサミーケがグラスを片手にポツリと漏らす。瞳は上に向いていた。

 丁度に給仕がパンケーキを持ってきたので彼女の視線がそちらに動く。焼きたての湯気を立てるパンケーキの上にさらに溜まる程シロップがかけられていた。

 ピアノの演奏が終わった。

 サウサミーケがそれ以上言わないので、サマリスは適当に頷くのみにとどまった。


「そうかもしれないな」


 彼女の食事はまだ続く。

 一方のサマリスは既に新聞を読み始めていた。彼が食べたのはバゲットと薄切りのハム、たったのそれだけだった。

 紙面にはまた様々な情報が載っている。全体をざっと読んで人探しなどの広告が出ていないかと探すが、あるのは女性モデルの募集やら、力自慢の集まる大会の告知、東にいるというドラゴンの討伐隊の隊員募集などのような、サマリスには関係のないものばかりであった。

 だが、諦めたとは到底思えなかった。

 対面のサウサミーケが居心地悪そうに少し動く。

 読み飛ばした記事の中に戦闘用魔導生命(バトルゴーレム)という単語を見つけて目を留める。彼がそれを所有しているから気にかかったからなのか、それともほかに原因があるのか。思い出せば、先日の新聞でも同じ単語を見たからだった。

 内容は、貴族が遊びで作った闘技場から数体の合成獣と戦闘用魔導生命が逃げ出したというだけの内容なのだが、それの下に背筋も凍るような文言が印字されてた。そのうちの戦闘用魔導生命一体が、頭を残して行方不明だということらしい。

 明確な場所が書かれていないのはそれがガセネタだからか、それとも、混乱を避けるためなのか。

 ふと自分の管理していた戦闘用魔導生命は今でもちゃんと動くのだろうかという思いが頭をよぎった。

 もとより自分で作る技術がなく、何十年も前に使われていたものを骨董屋でなんとか見つけ出し譲ってもらったものであった。毎日調整や、手入れをしないと使い物にならないようなものばかりだったから、誰も手入れしていない今ではきっと動きもしないだろうと思い直す。

 サウサミーケと彼らではどちらが強いだろうか。

 圧倒的な力を持ったサウサミーケと、それを凌ぐポテンシャルを秘めている戦闘用魔導生命。

 想像もつかなくて、サマリスは考えるのをやめた。

 気がつけば、三段も積まれていたパンケーキは攻略され、残り一段となっている。皿に溜まったシロップを吸い上げて、重さを増していた。サウサミーケがそれを切り分けて口に入れる。

 再びピアノの演奏が始まるのだった。

 サウサミーケはその音楽を聴いていない。

 最後の一口を腹に収めて、サウサミーケがナイフとフォークを手放した。

 オレンジ色の大きな瞳がサマリスを見る。

 彼は、いつかの時のように新聞で顔を隠すのだ。

 しばらく黙っていたサウサミーケが「なあ」とサマリスを呼んだ。

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