第17話

 昼食は子鹿の肉になった。ちょうど弱って動けなくなっているところをサウサミーケが見つけたのだ。親らしき姿も見えないということは見捨てられたのだろうと、サウサミーケが言っていた。ここ数日でサマリスが知ったことは、やはり魔物の肉が不味いということと、サウサミーケがなぜそこまで食事に固執するのかという理由だった。

 始め、食事に一フィーヌも使うと聞いたときは何事かと思ったが、いつも焼いた肉と野草を水で流し込むだけのこんなに質素な食事をしていたら手に入れた金を全て食事に回してしまう気持ちもわかった。

 サマリスでも、流石にこんな食事はしたことがない。

 街についたらまた洋服でも新調して美味しい料理をサウサミーケに食べさせてやろうと決めた。

 薄く削いで焼いた肉をサウサミーケがきれいに洗った布に包んでいる。どうしても腹が減った時の為のものだと言ってサマリスにも渡してきたが、彼はそれを断った。サウサミーケが訝しんでいたが、最後には自分の革袋の中にしまっていた。


「サマリス、もっと食わないと死ぬぞ。細いんだから」

「滅多なことじゃ、死なないよ」


 サマリスの返しにサウサミーケが眉をひそめたが、そのことについてはやはり触れなかった。何か彼女の中で考えがあるのか、それとも面倒ごとを避けたいだけか。

 サマリスがタバコを咥える。最後の一本だった。こんなことならもうひと箱と言わずふた箱でも買っとけばよかったという後悔が押し寄せる。

 サウサミーケがじいっとサマリスの手元を見ていた。


「あともう少しでこの森も抜ける。そうしたらパルムラウセだけど……あそこの検問所を抜ける手立てがあるのか? サマリス」

「……あるよ。お前は心配しなくていいから」

「……そうか」


 このまま森の中をひた進み、森が途切れるところまで行けばサンフルイレス領に入る。サウサミーケはエーデリエに入った時点でその計画を立てていた。だが、わざわざ東の街道に出て、パルムラウセに立ち寄ろうと言ったのはサマリスだった。

 サウサミーケは少し不思議そうな顔をしただけで反対はしない。


「サマリス、パルムラウセに何かあるのか?」

「大きな魔法道具の店がある」

「へえ」

「そこでニフユとの契約でも、契約破棄でもするつもりだから……」

「契約はしないって言ってるじゃん」

「そんな硬いこと言うなよー」


 二人の会話の中に突然姿の見えない声が滑り込む。

 しゃがれたその声は、笑っているのか弾むような嫌な調子を持っていた。

 近くの木の虚からズルリと毛の塊が這い出る。知らない人が見たなら、確実に魔物と勘違いするだろう。


「ニフユ……」

「いいじゃん、俺様と契約して最強を目指そうよー」

「しないったら。仲間は邪魔になるだけ」

「俺様が必要になる時が来るかも知れない」

「それは、サウサミーケが死にそうになった時だよ。そこまで我慢できるならいいんじゃない?」

「人間の時間なんて、俺様的にはすぐだぜー、びゅんってさ!」


 ニフユが髪の毛でサウサミーケの周りをうろついていたハエを捕獲する。そのまま焼き殺され、パラパラと残骸が落ちた。


「やめてよ、臭い」


 ハエの死骸から、何とも言えない匂いが立つ。薄緑色に変色している煙をサウサミーケが鬱陶しそうに左右に払った。わずかに匂いが残っている。

 褐色の肌の上に、しわが寄った。

 サウサミーケがサマリスの方を見る。ニフユのことは極力放置をすることにしたらしい。彼の体が左右に揺れていた。


「でも、どうしてそこわざわざそこに行くの?」

「ここは魔力が薄くてどうにもダメだからな」

「……魔力が、薄い?」

「そうそう、魔力が薄いと召喚書はちゃんと使えないの」

「……きっとどこでもガラクタだけどね。男の日記なんて、しょっぱいじゃない」

「そんなこと言うなよ、可哀想だろ」


 サウサミーケとサマリスの会話に茶々を入れていたニフユが、地面にくたびれていたカバンの中からヒルムセムトの召喚書を引っ張り出して読み始める。声の楽しそうな含みを隠しきれていない。


「ひー、ほんとにくだらないこと書いてやんの。女っけねーなー、コイツ」


 彼がゲラゲラと笑って転げまわる。体が大きいものだから、正直邪魔だ。

 サウサミーケがニフユの髪の毛を捕まえて思い切り引っ張っていた。

 しゃべっているうちにすっかり短くなってしまった最後の煙を押し消して、サマリスが顔を上げる。サウサミーケのオレンジ色とかち合う。

 特に話すことはこれ以上ない。

 そろそろ出発かと思い、荷物を引き寄せたと同時に、サマリスの目の前にうす茶色の手のひらが差し出された。


「一本頂戴」

「はぁ? これは子供が吸うもんじゃねえよ」

「サウサミーケはもう子供じゃないよ」

「……お前十二歳だろ?」


 一瞬なんのことかと戸惑うが、すぐにピンとくる。しかし、彼女の焦点の合わない主張に呆れた。まだ十二歳のほんの子供である。サマリスは一応良識のある大人として振る舞いたかった。


「せめて成人してからだな……」

「……もう成人してるけど」

「嘘つけ」

「サウサミーケの故郷では親元を離れたら成人だよ」

「なら、なりたてじゃんか」

「変なこと言わないで。八歳の時の前冬に森へひと月捨てられたから、それから成人だよ」


 なぜ、前冬だったのか。彼女の生まれがどこかは知らないが、サマリスの生まれたアドリ地方では前冬といえば冬真っ盛りである。雪が腰ほどまで積もることもあった。そんな冬に彼女はひと月も森の中でどのように過ごしていたのか。

 すぐに嘘だと言いたかったが、オレンジ色の強い瞳が、ある種の真実を孕んで輝いていた。

 たったの十二歳である。なのに、彼女は外で寝て、動物を狩り、食うことに慣れすぎている。あるいは、自分と同じような境遇ならばと一瞬不思議な思いがサマリスの頭をよぎったが、決してそれから先には踏み込まなかった。

 前冬と聞いて、彼が幼い頃に薄着のまま一晩外に放り出されたのを思い出した。

 あの時は一晩をどう過ごしたのか、彼も思い出せない。


「……驚いたな」


 サマリスはただそれだけを言葉にした。

 当の彼女はわずかに首を縦に振るのみである。手が突き出されたままの形で未だに動かない。


「だから、一本ちょうだいよ」

「それとこれとはまた、話が別だ。俺の国では十二歳の喫煙は認められてない」

「今年の後春で十三になるよ」

「残念だな、喫煙は十五歳からだ」


 サマリスが頑としてタバコを渡さないと見ると、サウサミーケの瞳が彼からすっと外れた。追っていけば、次に視線が注がれているのは彼の持っているタバコの箱である。もちろん中身は入っていない。

 それを言ってやればサウサミーケは渋々ながら諦めることを、サマリスはわかっていた。だが、言わないのはなぜだろうか。

 ニフユの視線が向いている気がした。彼ならば中身がないことに気が付いているに違いない。それなのに、それをサウサミーケに伝えない理由は。

 サマリスもニフユも同じ理由を持っていると思われる。

 賢く、少し鈍い、最強候補の少女で、いい年をした大人と使い魔が遊んでいるということだ。

 サウサミーケが素早くサマリスのタバコの箱を奪った。彼に抵抗する手段はない。


「ああ、コラ。それはアメ玉の缶じゃねえって……」

「サマリス」

「ポケットからタバコを抜くな」

「火をつける練習だって」

「焚き火か何かでやれよ」


 サマリスが取り返そうという素振りも見せないので、サウサミーケが突然無表情を崩す。ニヤリ、というかニンマリ、というか。ほくそ笑むような表情を浮かべた。嬉しそうにタバコの箱を振っているところを見ると、相当好きらしい。

 だが、彼女では滅多に手に入れることができないだろう。

 サウサミーケの純粋な楽しみを汚してしまったような後悔と、申し訳なさが湧き出たが、サマリスはふと考え直した。


「……お前、手癖悪いなサウサミーケ」


 呆れたようにそう言ってやって、指を少し動かす。瞳の魔法陣と、手のひらの魔法陣がぐるりと一回転した。

 タバコの箱の蓋に小さな魔法陣が浮かび上がる。

 サマリスが唱えた。


「ワズリ・リュンナゼヒハフムゾネズソ・ネツアソテ」


 あっという間だった。蓋だけではなく、タバコのラベルとして貼ってある獅子のマークの上にも同じ魔法陣が浮き出る。

 サウサミーケが呪文の意味を理解したのか、大きな声を上げた。


「あ、なんで魔法かけるんだ!」

「お前は魔法の解除が学べる。そんでもって解除できたらタバコが吸える。一石二鳥だろ」

「ううう……」


 タバコの箱の中身が空なことに、サウサミーケはまだ気がついていない。


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