第16話

 爽やかな朝だった。朝食はサウサミーケとニフユが獲ったウサギが二羽だったが、サマリスはやはりほとんど食べなかった。サマリスの用心棒として雇われて五日目になるが、サウサミーケには少し騙されたような気持ちがあった。

 下手をすれば、今日の昼食も魔物か動物になる。うさぎや鹿ならいいが、爬虫類型の魔物にあたってしまったら最悪だ。

 サマリスの一日三食おやつ付きという破格の条件は、あっさりと裏切られてしまったわけだ。それでも、どこに敵がいるのかわからない街中よりはずっといい。

 何故だか、サウサミーケはそう思った。

 彼女は戦うことが好きなはずだ。大抵の敵はそうなるが、自分より体の大きい相手を前にするとつい嬉しくなるし、争いが始まる前のあの張り詰めた緊張に総毛立つほどに興奮する。戦闘が始まると、頭は真っ白になり、ただ目の前の相手を倒すことだけに集中できた。食事をするのよりずっと楽しい。相手は自分の実力に気がついて、殺す気でサウサミーケに向かってくる。それをいなして、流して、最後には倒す。サウサミーケはただただそれが好きなのだ。命の駆け引きなど、言ってしまえば二の次なのだ。彼女は、勝つことが好きだった。

 ならば、どうして今は後ろの気配に気を遣いながら、自分たちの痕跡を消し、気配を断ち、次の街を目指しているのか。

 仕事だから、と言われればその通りだ。サウサミーケは困窮している。だが、本当にそれだけだろうか。

 彼女の中で答えが出ないままでいる。それが居心地悪かった。


「サマリス、本当にこの中にニフユとお別れする方法が載っているの?」

「……多分な」

「本当に? だって、これ……内容はただの日記みたいだよ」

「あるはずなんだよ」

「信用ならないな」


 ヒルムセムトの召喚書を胸元まで上げて読んでみる。ここ四日でだいぶ読めるようにはなっていたが、さて内容といえば難しい文言ではなく、ただの日記のようであった。しかも、男の。

 なんとも花のない内容が書いてある。例えば、ある一ページなら、『今日は雨が降っていた。やることもないので蔵書の整理をする。なくしていたと思った本を見つけた。夕食に友人を誘ったが、断られた』たったのそれだけだ。ニフユを呼び出してなんだこれはと問い詰めるも、彼も何も知らないようで、召喚書だよとしか言わなかった。

 サウサミーケたちはリュシュカ連山の麓の森を北に進んでいた。すでにエーデリエ、マセカ、その隣のポ・ラウマは超えている。現在はフェンデンの森の中であった。今日の夕方頃には東の街道に抜け、そのまま一番近い街、パルムラウセに入る予定である。

 サウサミーケが飽きたとでも言いたそうにヒルムセムトの召喚書をカバンの中にしまった。

 サマリスが少し意外そうな顔をする。


「なんだ、今日はもういいのか?」

「今日は、っていうか、毎日毎日くだらない日記読んでてもね……何か、ほかの本を貸してよ。ていうか、手っ取り早いから魔法教えて」

「魔法陣も書けないうちから魔法なんか教えられるか」

「やっぱり、魔方陣って大事なの?」


 サウサミーケの視線が、サマリスの手、首、頬、そして瞳へと移る。彼女の瞳は好奇心に満ちていた。


「大事も大事、魔法陣かけないと魔法出せないぞ」

「ほんとに? じゃあ、魔法陣教えてよ」

「……そうだな」


 サマリスが自分の首筋を触った。少し考えると、歩みを止めないままに手を空中にかざす。両手の甲に刻まれた魔法陣がせわしなく回っていた。


「こんな、感じかな……」


 サウサミーケの目には彼が手を小さく回しただけに見えたが、どうやら違うらしい。左右に立ち並ぶ木の幹に様々な色の魔法陣が浮かび上がった。どの魔法陣も形が違う。サマリスの物と連動するようにせわしなく動き続けていた。

 魔法陣のせいでその一角だけが薄ぼんやりと明るい。


「すごいね、これ。サウサミーケでもできるのか?」

「……練習次第だと思うぞ。これくらいならできるようになる」

「へえ……サウサミーケはまず一番に水を出す魔法を覚えるんだ」


 木の幹に刻まれた魔法陣をサウサミーケの指がつつく。魔法陣が光の粉を散らしながら崩れ落ちた。


「ああ。」

「書いただけで意味を持たせてないから、すぐに崩れるぞ」

「……意味がないと、死んでしまうの?」


 懲りずにその隣の魔法陣をつつこうとしていた手がぴたりと止まった。オレンジ色の瞳がサマリスを見上げてくる。


「死ぬって……物騒だな、サウサミーケ。崩れる、だ。死んだわけじゃない。見えないけど、たぶん残滓はそこらじゅうに残ってる。いつもは分散してるのを、集めて、線にしてるんだ」


 サマリスが何かを払うように手を動かして、魔法陣を全て消した。色とりどりの光の粉が地面に降ったが、すぐに光をなくして見えなくなった。


「なんで分散してるんだろ?」

「集まると力になるからだよ」

「……力に」

「魔力自体はそこら中に溢れてる。正直、魔力が少ないことを悩んでる魔法使いが馬鹿らしくなっちまうくらいな。でも、集まっていられる分は少ないんだ。だから、魔法使いの魔力格差が起きるわけだ」

「自分の中に魔力がたくさんあるのを知らないで生きている人もいるんでしょ?」

「そうだな、サウサミーケ、お前がその例だけどな」

「サウサミーケは知れたからいいんだよ」

「そうかもな」


 少し先にうさぎがひょこりと顔を出したが、サウサミーケはそれを追わなかった。

 いいのか、とサマリスが尋ねたが、サウサミーケは返事を返さない。うさぎはそのまま森の奥へと消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る