第15話
エーデリエの森は風がよく吹く。山の山頂で冷たくなった風が、一気に吹き降ろすのだ。
吊るされたオーバーオールが揺れていた。もう雫は垂れていない。
「サマリスは誰の墓参りに行くんだ? 家族か?」
「……友達だよ」
「友達」
サウサミーケが不思議そうにポツリとつぶやいた。耳慣れない言葉らしく、口の中で何度か噛むように繰り返す。小さく丸めていた体がさらに丸くなったが、最後に何か納得の言ったような顔をして
「へえ」
とだけ、返したのだ。
オレンジ色の瞳はサマリスのことを見返していない。
「サウサミーケ友達は? いないのか?」
「……考えたこともなかったな」
気になって問えば、意外そうな表情のままの彼女がそこにある。本当に今まで考えたこともなさそうな表情をしていた。爪が短く切り揃えられた手が、口元に当たる。
「サウサミーケは? なんで親元を離れたんだ?」
「サウサミーケはね、最強になるために旅をしてるんだ」
「最強?」
「そうだよ」
「最強は、強いんだよ……」
「お、ん? え……?」
少し考えればわかるが、その返答は変だった。頭の悪い、と言ってしまえば身も蓋もないが、どこか彼女らしい含みも持っている。だが、サマリスは戸惑ったし、混乱した。なんと返していいのか検討もつかなかったからだ。
無意味な呼吸音だけが口から漏れ出ていく。
「…………」
「サマリスは、最強って知らないの?」
「え、あ……いや知ってるけど、」
サマリスは戸惑った。サウサミーケの最強とはなんだろうか。
男が尋ねる。
「なあ、サウサミーケは何をすれば最強になれるんだ?」
「……たぶん、悪い人を倒せば」
「どうして? なら、サウサミーケにとって悪い人って、なんだ」
この質問の意味を、サマリスはきっと答えられない。だから、サウサミーケも答えられるはずがない。意味のない質問に意味のある答えなど、どんな賢者でも答えられるはずがないのだ。
サマリスはサウサミーケと視線を合わせなかった。わざとだ。彼女と目線を合わせる勇気がなかったのかもしれない。
ただ、オレンジ色の視線が突き刺さっているのは、彼にもわかっていた。
「……悪い、意地悪なこと言った」
サウサミーケは黙ったまま、サマリスのことを見上げていた。何か、答えがあるように瞳が揺れている。その力強い瞳が何かを考えているようだった。
「サウサミーケは、弱い人を助けるよ」
「弱い人?」
「だから、強くなる」
軽く頷くようにしていったのは、何を納得させるためなのか。きっと彼女自身をまとめてくるんでしまうようなおかしな答えをサウサミーケは持ち合わせていないはずだ。それほどまでに、真っ直ぐで、純粋な少女であるはずだからだ。
なら、サウサミーケが口にする答えは、そのままの真実があるといっていいだろう。
「強くなれば、大抵の人は私より弱くなる」
「サウサミーケは本当に最強になれると思っているのか?」
「思っているよ」
瞳が見つめる先はブレない。揺らめいて、もう消えようとしている火を飛び越えて、オレンジ色の強い光があった。体を抱き込むようにしているが、その姿勢からは力強ささえ感じる。内側に秘めている何かを彼女は解き放とうとしているのか、それとも、体の内から湧き出ようとする力を押さえつけようとしているのか。
「それに今までは最強だ。誰にも負けてないからね」
サウサミーケの傷跡だらけの拳がサマリスの前でギュッと握られた。
彼女は未だに誰にも敗北したことがないらしい。負ける恐怖を呪ったこともないのだろう。また、負けるという恐ろしい考えもないのだろう。
サマリスはそれが少し羨ましかった。
三十を過ぎて少し経つが、彼は未だに何かに怯えて生きている。ほの暗い過去の記憶に縛られ、惹かれているのかもしれないし、またほかの原因があるかもしれない。
「なあ、サウサミーケ」
「何? サマリス」
「俺のこと殺さないか?」
「……」
サマリスの言葉に黙ったままなのは、サウサミーケが何事かを考え始めたからだった。彼女の考えが傾けば、彼は死ぬ。それでもいいように思う。逃げ切れないのはわかりきったことだった。暗殺者からではない。自分自身からだ。
シェーパースを目指した時点で少しの覚悟はあった。それでも、何度命を狙われても、死ねない体を結局守っている自分がいたのだ。呪ったものにすがっているとしか言い様がない。
サウサミーケが隣でわずかに動いた。無造作に置かれていた新聞を何故だか引き寄せてジッと見つめている。
顔が少し上がったかと思うと、指が何かを数えるように動いた。
しばらくそうしてから、サマリスの方を見た。
「サマリス、アドリのシェーパース領までは短くてもあと二週間だよ」
「……そうか」
「今日の分はまだもらっていないけど、一日百五十ネルラくれるんだろ?」
「え?」
「……忘れたなんて言わないでよ? 一日百五十ネルラの一日三食おやつ付き、でしょ?」
サウサミーケが唐突にそんなことを言い始めたのは、なぜか。新聞の広告がサマリスの前にズイっと突き出された。
「よく見てよ、サマリス。あなたを殺すと三フィーヌですって。じゃあ、あなたをシェーパースまで送り届けたらいくら? いくらくれることになるの?」
見返してくるのは少女の瞳だ。大きなオレンジ色がわずかなくすぶりを見せている。
この少女、愚かなのか賢いのか。それとも、自分にそんなにも自信があるのか。
「考えるのもバカみたい」
新聞紙が炎の上に被さった。残ったわずかな灯りがなんとか紙の束を燃やそうと奮闘していたが、最後にはその動きもなくなった。
森は静かなままだ。影の中からじっとりと、無数の瞳がサマリスを見ていた。
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