第12話

 再び、森の中である。サマリスはぼんやりと目覚めた。夢は見なかった。

 遠くでふたり分の話声が聞こえる。しゃがれた男の声が何かを教えるように言い聞かせ、もう一方が時折質問をしながらしきりに頷いていた。

 腕と足が痛い。動かすと、二の腕と太ももにキツく包帯が巻かれていた。


「だから、これはアデルで……」

「じゃあ、こっちは? さっきエルって言っていたよね? 書き方一緒じゃない?」

「全然違うって……」

「……先頭にマールがつくだろ。そのときはエルはアデルと読むんだよ」


 なぜか、口を挟んでしまった。

 オレンジ色の瞳が一対と、無数の瞳がこちらに向いた。

 サウサミーケはあぐらをかいてなにかの本をしきりにめくっている。


「ああ、サマリス。起きたの? 目を覚まさないかと思った」

「……ここは?」

「エーデリエだよ。もう少しでマセカになるけれど」


 エーデリエといえばリュシュカ連山の一つである。マセカもそのひとつのはずだ。サマリスはそう記憶していた。

 焚き火がパチンと弾ける。二人と一匹の中に会話はなかった。


「それにしても、死ななくてよかったよ、サマリス。もうちょっとでサウサミーケも食いっぱぐれるところだった」

「やめてよ、ニフユ」


 サウサミーケが顔をしかめて、彼を止める。何故だかいつものオーバーオール姿ではなく、敷布を体に巻きつけていた。

 うんざりしたような顔で肩をすくめる。敷布の隙間から見える褐色の肌の上に大きな傷跡の一端が見られた。その部分だけは、ピンク色の、皮がむけたような色をしていた。


「未だに、食いっぱぐれそうになってるんだから。これで、サウサミーケが死んでしまったら終わるんだよ?」


 膝の上に抱えるようにして本を置いたサウサミーケが首だけで振り返る。洋服はどうしたのかと思えば、オーバーオールから下着までが木に引っ掛けて干してあった。真新しかったシャツに、茶色いシミが付着している。


「洗ったんだけど、落ちないから。残念だね」


 シャツに釘付けになっていたサマリスに気を使ってか、サウサミーケが言った。何故だか晴れ晴れした表情を浮かべている。わずかな微笑までたたえているように思った。


「どうしたんだ、あれ……」

「汚れたから洗ったよ。また、汚れるかも知れないから」


 絞りきれなかったのか、所々擦り切れているオーバーオールからは規則的に水が滴り落ちてきていた。

 焚き火を中心に揺らめく影ができている。静かな、森の夜だった。

 サウサミーケが少し揺れた。まだ重そうな髪の毛が、茶色の敷布の色を濃く濡らしていた。体に巻き付いている敷布の隙間から指が二本出てくる。


「今までで二人だ」


 サウサミーケが何かを押し殺すように言う。時折下唇を噛んだ。


「二人、サマリスを追って人が来た」


 その追っ手をどうしたのか、サマリスは問うことができなかった。まさか、話し合いで引いてくれるような相手ではないのを、サマリスは嫌なほど体に刷り込まれていた。ただ、魔法陣の回る瞳がサウサミーケを見返していた。彼女は頷いて、


「もちろん」


 と言うだけにとどめた。

 何が、もちろんなのか。干してあるシャツとオーバーオールが答えだろう。体を洗うほどのことをしたのか。


「どうして人に追われているって、言わなかったの? 別に、サマリスの仕事に文句をつけることはないけどさ、お金を払ってくれればサウサミーケはそれでいいから」


 静かな声だ。いつもの軽やかさはないが、何故だかいつもよりも楽しそうな言葉に聞こえた。

 また薪がパチンと音を鳴らす。ニフユは黙ってそこにいた。一つ二つ、瞳がサマリスに向けられている。それが彼のしいている警戒だ。


「それで、どうやって貴族の怒りを買ったの? 教えてよ」


 サウサミーケがサマリスの前に突き出したのは新聞の広告欄だった。人探しの依頼が乗っており、そこに特徴が事細かに記してある。サマリス。三十代細身の男。ブロンドの髪。両目と頬に魔法陣あり、体にも無数にあり。両手に魔法陣、また、少し挙動不審。


「これってさ、サマリスのことじゃない?」

「あ、ああ」


 サマリスは遠いところで頷いた。なぜ、今日新聞を見た時点で気がつかなかったのか。自分の迂闊さを呪いたかった。また、彼は他の物を呪っている。


「シェーパース領の領主、オウファン家総出で、サマリスのことを探しているって。で、何を盗んだの?」

「は?」

「だから、何か盗んだんでしょ? ほら、特別な魔法の道具とか。別に取ろうとは思わないから、見せてくれたっていいでしょ? それとも、魔法のものだから、やっぱり減ったりするの?」

「さ、サウサミーケ? お前、何言ってるんだ?」

「それとも、人さらいをしたの? オウファン家って確か五人兄弟だけど、末弟の姿をここ十数年かは見てないって聞いたよ?」

「は?」

「捜索依頼が出てるのに、それが待ちきれなくて殺し屋が来るくらい、サマリスはすごいもの持っているんでしょ?」


 何一つ変わらない子供の目だった。まだ見ぬ宝石に、宝の山にキラキラと瞳を輝かせている。サマリスは混乱の境地に立たされていた。サウサミーケの言い分が未だによくわからない。

 少し興奮気味にまくし立てる彼女の魂胆がわからないままだ。


「サウサミーケ、もう少しわかりやすく説明してくれ。お前、俺のことなんだと思ってるんだ?」

「え? 泥棒じゃないの?」


 まさか、泥棒が用心棒を雇う日が来ようとは、誰が想像しただろうか。そうして、まだそんな日は来ていない。

 混乱の真っ只中にいるサマリスに声が降りかかった。

 しゃがれた、ニフユの声だった。可笑しそうに笑って、体を揺らしている。森が揺れるような笑い声だった。


「サミー、ほら、だから違うんじゃないかっていったじゃないか! あー面白い。まさか、ここまでお馬鹿だとは思っていなかったよ」

「だって、殺し屋だよ? 何か、オウファンの家に都合が悪いことがあるんでしょ?」


 サウサミーケがニフユに食ってかかる。動いた拍子に膝から本がずり落ちて、焚き火の方に行ってしまう。サウサミーケが慌てて本を地面から取り上げた。


「なんで、人間自体が都合悪いって考えねーかな」

「そうしたら、きっとオウファン家は全世界を殺さないと気が済まないね。ちなみに、サウサミーケも殺しの対象に入ってるかも」


 その笑みの理由はなんだろうか。焚き火の近くにむき身のまま放置されたナイフが転がっている。

 実に静かな夜だった。人の足音が聞こえるほどに。

 サウサミーケが立ち上がる。マントの裾を取れないようにもう一度きゅっと縛り直していた。

 手にはよく磨かれたナイフが握られている。鞘は、何故だかサマリスの近くに置かれていた。


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