第11話
「あれ、うそだよって言ったら? どうする?」
「殴る」
「……マジかよ」
「君が許してください、もうしませんって許しを請うまで殴り続けるよ」
「……や、やれるもんなら」
「君は長く生きすぎて忘れたのかな? 初日で圧倒的にサウサミーケが拳で君に優っているのははっきりしたじゃない。学びなよ」
「ううう……」
サウサミーケの指す初日とは、彼女とニフユが出会った、もといサウサミーケが事故にしろ、ニフユを使い魔として呼び出してしまった日のことである。
路地裏で事切れたように眠っていたサウサミーケはその頃、あろう事かそのヒルムセムトの召喚書を枕がわりに使っていた。冷たくて硬くて汚い路地の舗装の上よりは、まだ本を枕にしていた方が幾分かましだったからだ。サマリスや並み居る魔法使いにそんな事実が知れたら絶叫ものなのをサウサミーケはまだ知らない。
人攫いや、泥棒に気を向けながらうつらうつらと夢と現を行き来している時にそれは起こった。
わずかに開いたサウサミーケの口から涎がツツ……と垂れ落ちる。黒い本の表紙にそれが触れた。
その瞬間サウサミーケの下から黒い塊が湧き出てきたのだ。
彼女の行動は早かった。一瞬で覚醒したサウサミーケは目の前に立ちはだかる黒い何か魔物らしき人語を操るものをピクリとも動かなくなるまで殴り続けたのだ。それは朝まで続いたそうだ。彼女の拳にか、殴られる何かを哀れに思ってか、その場に少しのお金が置かれていた。
自分の二倍もある化物を拳で黙らせたサウサミーケは、少し誇らしげであったという。
だが、知識は化物の方が一枚上手だった。
サウサミーケは結局騙され、この人外と行動を共にしている。
ニフユの言い分はこうだ。サウサミーケは昔自分の仕えていた人に似ている。それも、自分が昔仕えていたのはフォシュタ・カベックという人で、人間で言うところの魔王殺しの英雄だった人だ。そこで、そのフォシュタに似ているあなたに仕えたいから、ぜひ名前を教えて、その上で自分にも名前を付けて欲しい。ということだった。サウサミーケが嫌な顔をしたらすかさず褒め、かの英雄、魔王殺しのフォシュタに似ているとおだて、その気にさせた。サウサミーケも自分の尊敬し、目指しているフォシュタに似ていると言われれば少し気分がよかった。
フォシュタになんと呼ばれていたのかと聞けば、「ニフユ」と呼ばれていたというので、ニフユと名をつけたのだ。その代わり、何故だかサウサミーケもニフユから「サミー」と呼ばれることとなったわけだ。
心配になってサマリスに確認したが、使い魔は自分の過去のことは偽れないらしいので、どうやらニフユが英雄フォシュタ・カベックの使い魔だったことは本当らしい。
ただ、似ているというのは嘘かも知れない。
そのことに関して少し腹が立っているので、ニフユのことを殴りたい。この思いが伝わっているから、ニフユは姿を現さないのかもしれなかった。
人通りはやまなかった。サマリスはなかなか帰ってこない。魔法の道具の買い物というのは随分長いことかかるらしい。
「なー、サミー。俺との契約を破棄するって本当?」
「本当も何も、今すぐ君のこと手放したいよ」
「俺様は手放されたくないよ」
「言ってなよ。君の口から出るのが大抵出まかせってことが判明したからね。サウサミーケは君の言葉あまり信じないことにしたよ」
「あまり、っていうのは?」
「多少、君の心情に賛成できるところがあるから、その分かな」
サウサミーケがまた新聞に視線を戻す。覗き込む姿勢が辛くなったのと、ニフユと話すことはもうないと思ったのがあったからだ。
紙面には様々な情報が踊っていた。
戦闘用魔導生命(バトルゴーレム)なんて文字が踊っているので、これの詳細を後でサマリスに訪ねようと思う。
次はニフユの方が口を開いた。
「なあ、サミー。なんで名前呼んでくれねーの?」
「呼びたくないから」
「騙したのは悪かったって、でも、名前で呼んでくれよ。俺様死んじゃうよ……」
「それも嘘でしょ?」
「そんなわけあるかよぉ、魔力くらいくれよぉ……」
「魔力?」
サウサミーケが口を開いた。
頭には疑問をのせている。
「サマリスが、使い魔は召喚者との接触で魔力を得るって言ってたよ? 仕組みは理解できなかったけど」
「ほかの低級の使い魔と俺様は違うんだよ。俺様は会話で魔力を得るの。特に、名前を呼ばれるとね」
「名前を長時間呼ばれないと、どうなるの?」
サウサミーケから出たのは純粋な疑問であったが、その疑問はそのうち悪戯心に変わる。弱点を知りそうなのであれば、それをぜひ使いたかった。
「元気なくなっちゃう」
「なら、そのままでいてね」
「な、ちょっと、ちょっと! サミー! それはねーよ、ひでーよ! なあ!」
革袋の中から黒い毛が数本ニュルニュルと出てくる。サウサミーケのことを引き止めるように腕に絡まった。
彼女は引きちぎるようにそれから腕を離す。
「姿を現さないのもそのせい?」
「……ここで出てきたら、大騒ぎだけど、それでもいいの?」
「あー、困る」
「でしょ?」
ニフユなりに考えがあったらしい。ちぎれた毛が、花壇の端に数本落ちている。風で飛ばされて雑踏の中に消えていった。
その時サウサミーケが立ち上がった。新聞を投げ入れるように革の袋の中にいれ、サマリスの消えた路地に走る。
「さ、サミー?」
「血の匂いがする」
「はぁ? ちょっと、何言ってんの?」
走って行く時に、フードをかぶった四人組とすれ違う。路地に入るときに持っていなかった袋を手にしていた。皆一様に一角兎と野ばらの紋章を背負っていた。紋章の下に三つの星がある。三つの星は、確か貴族の紋章だったはずだ。血液の濃い匂いとともに、嫌な予感が背中を這い上がっていく。
飛び込んだのは暗く湿っぽい路地だ。人の往来などめったにない。見たことのない看板がいくつか見受けられたが、サウサミーケの意識はたったの一点に向いていた。
路地からまた細い小道が伸びている。その先に、赤いものをサウサミーケは見た。
「サマリス、おい! サマリス!!」
駆け寄るが、ぐったりとして動かない。新しく買ったばかりのフード付きのマントがぐっしょりと血で濡れていた。荷物は無事だ。手を触れたような感じさえない。
サウサミーケのオレンジ色の瞳が大きく開かれている。
呼吸が短く、早く繰り返されていた。混乱しているのか、興奮しているのか。
サマリスの方はピクリとも動かず、その場に転がっているだけだ。手足が引きちぎられたように無くなっていた。
この傷と出血量では助からないだろう。
ニフユが呟く。
「うわ、ひど……助からないでしょ……」
「死んでないから!」
サウサミーケがサマリスの胸に耳を当てる。確かに動いていた。
昨晩のトカゲの魔物に喉笛を骨が見えるほど切り裂かれても蘇ったのだ。閉じた瞳を無理やりこじ開ければ、魔法陣がせわしなく回っていた。
ニフユが足元から湧き出る。黒い髪の毛に血液がつかないように少し浮かせて呆然とたっていた。状況を受け入れられないらしい。
手足を切り取られた男と、血の海に跪く褐色の肌の少女など。
「どうすんの?」
「サマリス! しっかりしてよ! 今日の給料もらってないよ! 死ぬな!」
少なくとも、これが混乱するということだと、ニフユは理解していた。そうして、混乱というものは結果を生まないということも。彼は長い時間を生きているから理解していた。
サウサミーケは混乱の境地だろう。わけのわからないことを喚いていた。
「ニフユ!」
「……何?」
サウサミーケの呼ぶ名に反応せざるを得ない。これは使い魔の性であって、サウサミーケの力のせいではないはずだ。
「力を貸して!」
「いいよ。手伝ってあげる」
唯一、サウサミーケの声だけが、彼を冷静にする。
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