第10話
「この街に一晩泊まるの? それとも夕方にはここを発つの?」
「……どうしようかなあ」
「そんなにゆるい旅程でいいわけ?」
サウサミーケが横目でサマリスを見た。手には揚げた芋にはちみつをかけたお菓子を持っている。いつの間にか買ったらしい。サマリスは自分の血で汚れて使い物にならなくなったものを買い換えていた。何故だか、古い羊皮紙のノートだけは血だらけでも捨てないらしい。
「あー、正直墓参りが一番の目的だからなぁ……」
「家に帰るっていうのは?」
「ついでだよ、ついで」
サマリスが新しく買ったらしい敷布をリュックの中に詰め込む。
目は虚ろに遠い方を見ているようだった。
よくもまあ、こんなに新しい物が買えるなとサウサミーケは思った。これなら金払いも悪くないだろうとも。
二か月前まで用心棒として雇われていたところはサウサミーケが女だとわかった途端金を払わないと言ったどころか、何故だか襲いかかってきたので全員返り討ちにしてしまった記憶がある。金は貰えなかったが、雇い主の太い指についていた指輪を指ごと切り落として奪ってきた。指を苦心してなんとか外して、血を綺麗に洗い流して売ったら、しばらくの生活費にはなったが働いた分に見合う金にはならなかったように思った。あの太った雇い主は指を切り落とされた後どうしたのだろうか、ということよりも、そこで下働きとして働かされていた自分と同い年くらいの男の子の方が気になっていた。彼と仲良くなったのだ。
彼は今でもあんな薄暗いところで掃除をしているわけだ。
もうすぐで三時だ。泊まるのならば、そろそろ宿を確保しなければ森の中か路地で寝ることになってしまう。サウサミーケは困らないが、サマリスはどうだろうか。
人波の中に、サマリスのようにフードをかぶった人が何人もいる。行商人か、それとも邪教の民たちか。
未だに、客引きの声は絶えない。
街の中心は広場のようになっていた。円形のその場所から、大きな道が四本伸びている。南側の道をまっすぐ行けばリュシュカ連山の一つ、エーデリエに入れた。
サマリスが荷物を背負い直してそこで立ち止まる。サウサミーケが見上げれば、サマリスが一本の路地を見つめていた。
「どうした?」
「ここで待ってろ」
「……いいのか?」
「ちょっと買わなきゃいけないものがあるんだよ」
サマリスがそのまま人波の中に消えていく。短いブロンドの髪の毛の襟足がひと束だけ長く残っている。サウサミーケが声を張り上げた。
「ここで待ってるからなー!」
サマリスは右手を上げて、そのまま路地に消えていった。
その後路地を見つめていたが、その路地に入っていくのは一人か二人のその程度のものだ。全員フードを被った人だ。
裏町か。とサウサミーケが思う。
どこの街にもある。邪教の民や、根無し草、宛もなく旅をする自分のような人間が利用する場所だ。色々なものが売っている。表にある店よりも物と人の流動は活発なはずだ。サウサミーケが指輪を売ったのも裏町だった。確か、魔法の道具を扱う店もあるはずだ。ならば、サマリスはそこに向かったのだろう。
最後の揚げ芋を口に入れて、サウサミーケはとうとう手持ち無沙汰になる。近くの花壇のヘリに腰掛けて、ぼんやりと空を見上げた。
実に暇だ。
カバンを足元に下ろすと、かたんと音が鳴った。漁ってみればカンテラと本がぶつかりあった音らしい。落としてヒビの入ってしまったカンテラを見つめて、サマリスから報酬をもらったら新しいものを買おうと決める。
ここひと月ほど一緒に旅をしてきたから、手放すのが少しおしくなった。
だが、ひとつのヒビが命取りなのだ。物はその弱った部分から簡単に崩壊していく。あるいは、人間も同じなのかもしれない。
だから、サウサミーケはニフユのことを異常な程に焦った。サウサミーケはあまり賢くないが、小さな頃からの訓練のせいで勘はいい。そうして、その培ってきた勘が、ニフユは自分のヒビ、あるいは命取りになると告げていた。
得体の知れないものが恐ろしかったのだ。
会話ができる魔物など、彼女の恐怖でしかないのだから。
人の波がどんどん変わっていく。旅の途中に見た海なんかよりもずっと汚い。
そういえば、朝からニフユの姿を確認していないな、と思った。ウースハンの森の中でサマリスが気にかけていたのを思い出す。
「居るか?」
一番近くの路地の中を覗きながら声をかける。そこにいるような気がしたからだ。だが、声が帰ってきたのは自分の持っている本からだった。
「なんだ? サミー」
「だから、サウサミーケだと言ってるだろ」
この会話も、もう何度したことか。
だからこそこの魔物が恐ろしかった。
「おい、お前。サマリスから聞いたぞ。サウサミーケを騙していたそうじゃないか」
「騙されるほうが悪いんだよねー、無知は罪だよ」
「なら、赤ん坊は大罪人か?」
「そうだよ」
サウサミーケの質問になんともないという声音で返してくる化物。サウサミーケが何も返せないのをいいことに続けた。
「だからこそ年寄りは、偉大だね。あいつらは賢者だ。聞いてごらんよ、どんなことだって知ってるよ」
「学びを怠らなかった人ならな」
「それに限らずさ、時間はいろんなものをもたらすよ」
「忘却と風化か?」
「なんでお前はそんなに時間に対して消極的かね、サミー」
「……フォシュタの像が壊されるって」
「あの、英雄の?」
「そうだよ」
サウサミーケが新聞を取り出して見せてやる。周りから見れば変な行動をとる少女だが、行きずりの人の評価などサウサミーケには関係なかった。
「ははーん。本当らしいな」
思っていたよりも声は軽かった。ニフユならもっと慌てたり、焦ったり、憤ったりするのかと思っていた。少なくともサウサミーケに共感してくれると思っていたのだ。
「何? その反応?」
「八十年もお疲れさんってところかね」
「それだけ?」
「お? それ以外にあるかよ。俺様別に、死んだ人間に何かしらの感情を抱くことはないぜ?」
「あの日、あんなにサウサミーケのことをフォシュタに似ていると言ったのに?」
サウサミーケが袋の中を覗き込むようにする。嬉しそうに半月に歪む瞳があった。
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