第8話

 夜明けとともに起き出して、二人はそのまま歩き始めた。ニフユの姿が見えないが、サウサミーケは気にしていないらしかった。本当に彼女は魔法も使い魔も知らないらしい。

 使い魔は、数時間に一度召喚者に触れて魔力を供給されないと、姿を保っていられないのだ。

 一度サウサミーケにニフユの名を呼ばせたが、やはり返事はないようだった。


「サウサミーケよりサマリスの方がニフユのことを心配しているから、変だな」

「……まあ、それもそうだな」

「サマリスは使い魔、いないのか?」


 嫌な質問だ。サマリスは嫌いな質問が多い。


「……今はいないな」

「ふうん」


 尋ねた少女に否も、下心もないだろう。

 朝日が地の際から這い上がってきていた。サマリスは目を眇めるが、サウサミーケはそのまま森を突き進む。気にも止まらないようだ。

 道なき道を、ずんずんと進んでいく彼女の背を、サマリスは追って行く。

 太陽に透けて、オレンジ色の髪の毛が輝いていた。


「サマリスは、何か旅の目的があるのか?」

「あるよ」

「じゃあ、そこへ行かなきゃいけないんだろ? なんでサウサミーケが先頭を歩いているんだ?」

「それは……」

「サマリスは、何処へ行くんだ?」

「アドリのシェーパース領の手前までだ」


 サマリスが答えたが、サウサミーケは足を止めなかった。

 背中に少ない荷物を背負ったまま、進んでいってしまう。表情は見えないままだ。

 サマリスの心臓がうるさかった。


「手前って、どこまでだ?」

「手前は、手前だろう?」


 サウサミーケが首をかしげた。そのまま、方向転換をして、サマリスを見上げる。光を背負っていて、また表情は見えないままだった。きっと、いつもど通りに無表情なのだろう。

 サマリスの心臓はいつも通りとは行かない。


「じゃあ、イビリア領に入っても、サンフルイレス領でも、リウルフェスト領でもいいってことか?」

「遠回りだが、シシーリの方から抜けたって構わないぞ」


 サウサミーケが一歩動いた。光から外れて、不思議そうな顔をしているのが確認できる。

 あたりは胸が広がるような朝の香りになっていた。


「なんで、そんな変な指定の仕方をするんだ? シェーパース領に何かあるのか?」

「サウサミーケには関係ないだろ」

「大いにあるよ。サウサミーケはサマリスの用心棒だ。リスクの回避くらいしないといくら命があっても足りない。サマリスは何回死んでも大丈夫だけど……」

「俺だって、死ぬときは死ぬよ」

「なら、尚更じゃないか」


 立ち止まったサウサミーケをサマリスが抜かして歩いていく。数歩進んでから、サマリスがポツリといった。


「墓参りのついでに、家に帰るんだよ」

「へぇ、そうか」


 サウサミーケの返答は素っ気無かった。本当に、他意のない質問だったのだろう。サマリスは気にしていた自分がバカらしくなる。

 直接当たる日光が眩しくて、酒場の時のようにフードを目深にかぶった。

 後ろからついてくる足音が聞こえている。振り返って彼女の表情を確認する勇気が彼にはない。


「シェーパースに行くなら、このまま東の街道を通ってサンフルイレス領に入るのが一番安全だな」


 サウサミーケが呟く。もうすでに彼女の頭の中では地図が広げられているらしい。足音は軽い。サマリスが尋ねた。


「一番近い街ってどこだ?」

「このまままっすぐ行くと夕方にエニネの街につくよ。でも、一番近いのはクリュシャだね」

「エニネ? 街道から外れてるじゃないか」

「そりゃそうだよ。だって、サウサミーケたちがいるのはウースハンの森の中だよ? 一回エニネに出てから東の街道に戻ろうと思って進んでいるもの」

「……ウースハン?」

「……」

「……」


 サマリスはその森の名前を知らない。


「なあ、サウサミーケ」


 男が振り向かずに、少女に声をかける。少し騙されやすい少女だが、察しはいいらしかった。


「一度、クリュシャに寄ろうか。サマリスも、その血だらけのままでエニネに立ち寄ったら、間違いなく憲兵に声をかけられる。困るよね」


 どうやら彼女、方角も把握しているらしい。その逞しい背中を、オレンジ色の頭髪を、サマリスは追いかけた。




「で、サマリスはどんな魔法を教えてくれるんだ?」

「は?」


 昼食を食べ終え、サマリスは新聞を読んでいた。サウサミーケもまだ、食事をとっているはずだった。だが、目線は少しの期待を孕んで、サマリスを見ていた。

 男の方は一度新聞から目を離したが、また視線を戻す。


「まず、基礎からだろ? 自分の持ってる召喚書も読めないんじゃ仕方ないからな」

「基礎っていうのは? 体を動かすのか?」

「魔法は基本的に体を動かすことはないよ」

「ふーん。だから、サマリスはそんなに細いのか」


 少し、馬鹿にしたような雰囲気を孕んだ言葉だったが、サマリスはやはり目線を上げなかった。紙面には、様々な情報が並んでいる。

 クリュシャの街は大陸を二つに分断するリュシュカ連山の麓に当たり、山を越えてくる行商人たちの中継地点にあたる。自然と様々な物と人が集まってきているためか、ひどい格好をした二人でも入りやすい街だったのだ。

 たどり着いて直ぐにサマリスは自分の洋服とサウサミーケ洋服を新調した。サマリスは古着屋で買い揃えていたが、サウサミーケは立派な仕立て屋に押し込まれた。

 ボロボロだった洋服を仕立て屋に全部捨てられそうになり、焦ったサウサミーケはなんとか自前のオーバーオールだけは死守する。これは姉のお下がりだ。大事に着ていたかった。

 道に面した明るいカフェは、道側が全てテラス席になっている。店の中を忙しそうに給仕の女性たちが動き回っていた。店の中央にはステージが備え付けられており、夜にはそこで声の高い女性が歌うのだろう。

 サウサミーケなどは滅多に体験し得ない空間だった。

 少し離れた席に立派な洋服の紳士が見える。

 目の前に座るやせ細った魔法使いの男も、清潔な洋服を着ていれば普通の人間だ。頬と瞳は普通ではないが。

 なら、それの対面に座るサウサミーケはどうだろうか。確かにシャツはサイズがぴったりのものを新調したが、きっとその雰囲気は違うだろう。

 時折自分に向けられる視線を彼女は知っている。

 女性たちの控えめな笑い声が聞こえた。


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