第7話

 目が開いた。暗い。サマリスはこれ以上ない暗闇を味わっていた。体が震える。上下左右から音は聞こえるが、姿は見えない。わずかに明るいような影が目の前を通っていったような気がしたが、彼の気が狂れているせいかもしれない。

 話し声が聞こえる。下品な笑い声と、食べ物を貪る音もだ。


「サミー、もう目は見えないのか?」


 サマリスがそこで気がつく。自分の瞳はもうどこにもなかった。

 片方は突き壊され、もう片方は焼き壊されていた。彼の目に光が映ることはもうないのだ。

 なんとか生きている涙腺から涙が溢れてこぼれ落ちる。熱い液体が両頬を濡らした。

 腹に衝撃が走る。それに端を発して全身が殴られた。痛みが長く続く。自分が何をされているか知らないが、これはやけどの痛みだった。四人の兄たちがサマリスを殴る。

 きっと、赤く焼けた鉄の棒で殴られているに違いない。前にも同じ暴力を味わったことがあった。

 このあと兄たちは言う。


「何だ、あまり反応なくなってつまんないな」

「だから、目を潰すのはやめようっていっただろ? エルリス兄さん」

「いいんだよ、どうせサマリスお得意の魔法で目玉だって元に戻すんだ。この間腕を引き抜いたって再生したろ?」

「まあ、そうだね」


 長兄のエルリスがサマリスの目の前に立っている。肉がついてボテボテと太った指が彼の頭を掴み上げた。痛みを既に感じなくなった眼窩に何かが突き入れられた。


「魔法なんて役に立たないと思ってたが……こうなると話は別だよな……」


 夢だ、夢。これは夢だ。サマリスは今も生きているに違いないし、これはただの夢である。

 苦しい記憶の夢である。

 この二ヶ月後、サマリスの瞳は魔法陣へとすり替わった。




 目を開けると、サウサミーケの顔があった。今度は暗くない。

 彼女の方は驚いたような顔をしている。彼女について無表情な、可愛げのない子供のような印象を抱いていたサマリスの方も驚いた。


「サマリス? 死んでない?」

「……? 死んで?」


 オレンジ色の髪の毛が落ちてきて、そのまま彼の胸元に耳を当てる。脈を確認しているらしい。


「うん、生きているね。すごいや、サマリス」

「…………」


 サマリスの方は固まったまま動けない。サウサミーケが心音を確認していることではない。なら、なんなのか。彼の目の前に山のように積まれた死骸があったからだ。あたりは血の海だ。サマリスの寝ている近くまで何かを引きずったような血の道がひかれていた。

 肉塊になってしまっているが、少し離れたところにある首と皮から察するにこれは先ほどの魔物だ。

 既に解体され、なんとも名前も付け難くなっている。

 サウサミーケが顔を上げた。


「そんなに強くなかったね」


 恐ろしい子供である。サウサミーケ。彼が思っているよりもずっと、彼女は何かを秘めている。あるいは、サマリスの勘が正しければ、彼女は化物と言っても過言ではないだろう。その恐ろしさの一端を、サマリスは見ていた。

火に燻されて嫌な色になっている魔物の肉を、サウサミーケがなんともなさそうに口に含んで咀嚼する。


「あんまり、美味しくない」


 そうして、彼はまた彼女に希望を見出しそうになっている。

 彼女は、魔法使いになるべき人だとそう思い始めていた。

 軽やかな声が彼を追い詰めようとしているのかもしれない。

 だが、サマリスにはサウサミーケが戦っている記憶はあったが、彼女が敵に止めを刺している記憶がなかった。なぜだろうか。

 絶やすなと言われていた火も消えて、いつの間にか薪を詰んだ炎に変わっていた。

 放心状態のサマリスを心配してか、サウサミーケが声をかけた。


「サマリス、大丈夫?」

「いや……」

「まあ、首を切られたわけだしさ、混乱するのもわかるけど……」


 サマリスが状況を理解し得ないうちに、サウサミーケが語りだす。


「サウサミーケは喉笛を切られても死なない人、初めて見たよ」


 オレンジ色の瞳が魔法陣を覗き込んだ。


「やっぱり、それも魔法なの? 死なないって言うんなら、すごく便利だね」


 純粋そうな瞳の中に、サマリスは好奇心と欲の織り交ざった汚い色を見たのだ。

 先ほど永遠の命の提案は断ったと言っていたくせにだ。

 新しくくべられた薪の上で魔物の肉が焼かれている。

 森は今までどおりの静けさを取り戻していた。あの魔物がいてもいなくても静かな場所だということだろう。

 唐突にサウサミーケが提案した。まるでお茶に誘うような、そんな軽さだった。


「ねえ、サマリス。サウサミーケのことを雇わない?」

「はあ?」

「サマリス、弱そうだもん。サウサミーケを用心棒として雇いなよ」


 大きな瞳がサマリスにぐいっと近づいた。本気で言っているらしい。楽しそうな声音の割に、無表情のままそれは告げられた。


「だって、野盗に襲われて眉間を刺されて倒れていたし、見たところ魔法もそんなに強いの出さないどころか、敵とは戦ったりしないんでしょ? 直ぐに隠れたものね。そんなことしてたら、絶対に死んじゃうよ、サマリス」


 サウサミーケの目が細められた。


「世界は厳しいんだ。気を抜いてたら死んでしまうよ」


 今、殺されそうなのはサマリスである。この少女から逃げられるわけがない。


「サウサミーケ……」

「サマリス、助けてもらったお礼だと思ってさ」


 こんなもの、お礼でも何でもないだろう。ただの脅しである。圧倒的に力の差があるのだ。勝てっこない。


「雇っておきなよ、サウサミーケをさ。最強になる女だよ」


 揺らめく炎と月明かりを背にして、サウサミーケは佇んでいた。最強候補のサウサミーケを前にして、サマリスにできることといえば、黙って首を縦に振ることだけだ。




「だから、その条件は厳しいと言ってるだろう?」


 サマリスの声に炎が揺らめいた気がした。


「でも、これくらいもらわなきゃ、サウサミーケは飢え死にしてしまう」

「まさか、全部食費に使う気か?」

「全部じゃないよ、九割九部九厘だ」

「それは、全部と同義だろう!」


 サマリスが声を荒らげている、サウサミーケも対抗するように声を荒らげた。怒ると、年相応の子供の顔だ。幼い。


「一日の給金が一フィーヌっていうのは高すぎる!」

「高いものか、サウサミーケは命を張るんだぞ!」


 サウサミーケの言い分は最もであるが、サマリスもそこは引くことができない。


「せめて百ネルラまでだ……」

「四分の一じゃないか。サマリスはサウサミーケのことを馬鹿にしているのか? 計算くらいできる」


 彼女が鼻息荒くサマリスに指を突きつけたが、お互いに引けるところまで引いた状態だ。あとは妥協するしかない。


「……百十」

「三百八十」

「……百二十」

「三百五十」


 サウサミーケの方は必死である。半ば脅して手に入れた仕事とは言え、彼女の生活と、空腹事情が絡んでくるのだから。さすがに毎日焼いただけの魔物の肉は避けたかった。


「……サウサミーケ、三百五十ネルラも毎日の食事に使うのか?」

「これでも少ないほうだ」


 サマリスもここで気がつく。どうやら彼女の金銭感覚は、空腹によって支配されるらしい。ならば、と半ば無理な条件を打ち出す。彼女はこの話に乗ってくる。そんな予感があった。そうして、サマリスは、彼女を魔法使いに仕立て上げるのだ。


「百五十ネルラで、一日三食おやつ付き、宿もつくぞ。サウサミーケ」

「乗った」


 ものすごい速さで返事が返ってくる。

 なんとも簡単なことだった、欲望に純粋な人間ほど動かしやすい。サマリスがこの三十年間で学んだことである。

 大きなオレンジ色の瞳が期待に満ち溢れ、サマリスのことを見上げていた。


「それから、ひとつ条件がある」

「難しいことはできないぞ」

「これを飲めないんなら、降りてもらうしかないんだが……」


 サマリスの言葉にサウサミーケの瞳が陰る。何を言われるのか、と疑うような色をしていた。


「サウサミーケには魔法を覚えてもらう」

「う……」

「乗らないのか?」

「……どうせサウサミーケにはできないぞ」


 そんなことない、と言いそうになってサマリスは慌てて口をつぐんだ。

 なぜ、そんな言葉を言いそうになったのか。サマリスにもわからない。

 サウサミーケが脱力したように座った。

 火にさらされて固くなり始めていた魔物の肉の最後の一切れを口に押し込む。二度咀嚼してから飲み込んで、大きく息を吐いた。


「良かった、仕事が決まった」


 なんとも、子供らしくないセリフであった。

 焚き火が弾けて大きな音を立てた。

 少女が自分のマントを引き寄せて横になる。どうやらもう眠るらしい。

 その後、


「報酬はちゃんと通貨で払ってね。もので払うことないようにして」

「わかってるよ」


 というごく短い会話。

 それのしばらく後にも、もう一つ。


「お前、サウサミーケ。今いくつだ?」

「十二歳だよ」


 サウサミーケが小さく縮こまりながら答えた。それから、数秒の間を置いて彼に問う。


「サマリスは?」

「……三十二だ」

「ふうん。じゃあ、一兄の二個上なんだな」


 それ以上会話はなくなった。

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