第6話

「火を焚こうか」


 サウサミーケが立ち上がった。

 それを止めたのはサマリスだった。


「俺が火をつけるよ」

「……魔法か?」


 サウサミーケが立ち上がったサマリスを見上げた。


「こんな夜に薪を集めるのも面倒だろ。ちょっとそこに座っていろ」

「そうする」


 サマリスが木の棒を一本持ってきて、地面に素早く模様を書く。サウサミーケには模様の意味が理解できなかった。だが、サマリスは満足気だ。


「この新しい魔法陣試してみたかったんだよなー」


 独り言のように呟いて、手のひらを模様の上にかざした。


「ヲナ・ハリ」


 火花のように光の粉が散って、直ぐにしっかりとした炎が立ち上がる。薪もマッチも使わずに炎が出るなんて、すごいことだ。サウサミーケは素直に感心していた。

 じぃっと炎を見つめるが、魔法の炎だからといって決して不思議なところはなかった。ただの赤とオレンジが交錯する暖かさだけだ。

 期待していたが、呆気ない。


「もっと違うものを期待していたか?」

「……そんなことはないけど、その頬みたいに、緑に光るのかと思っていた」

「そんなの炎じゃないだろ」

「確かに」


 サマリスの言うことにその通りだと頷く。炎は炎であるべきだ。


「この炎、どれくらいもつの? やっぱり薪みたいに燃え尽きてしまう?」

「俺の魔力が持つならいくらでも使えるぞ」

「ふうん。すごいね」


 表情には出さないが、サウサミーケは若干はしゃいでいる。あの意味のわからない化物との別れの緒と、また、滅多にお目にかかれない魔法を身近で見ることができているからだ。

 ただ、それじゃあ自分に使ってみろと言われればそんなことはできないだろう。彼女は魔法に一番縁遠いところにいるはずの人間だからだ。八人兄姉の中に、魔法を使うものは一人もいない。魔法なんて言葉、使ったこともなかった。父の顔は知らないが、母も朴訥な、優しいただの人である。サウサミーケを育てたのはその人ではなく、尊敬する兄姉たちだった。だが、サウサミーケにあのすべての原因になった本を渡したのもその尊敬する兄姉たちだ。

 旅立ちの日が、少し懐かしくなった。

 いつもは家にいないのに、その日限りは全員が家に集って、サウサミーケの武者修行の前途を祝してくれた。

 たくましくて、優しくて、そして何よりも強い兄姉たちがサウサミーケは大好きだ。

 一番上の兄が、あの本をサウサミーケに渡したのだ。


『頑張って、強くなれよ。死ぬんじゃねぇぞ』


 そう言って、ニ本も指のかけてしまった大きな手で頭をなでてくれたのが懐かしい。

 そのあとも、一人一人に振り回されたり、力いっぱい抱きしめられたり、肩車をされたり、号泣されたりと、その日の夜は大忙しだった。

 故郷を離れて既に半年が経っている。サウサミーケには強くなっている実感が沸かない。元からそこらのゴロツキや野盗、チンピラなら直ぐに倒せた。ならば魔物かとも思ったが、これは、と思うものもおらず、大体がサウサミーケの食事へと変化していた。

半年で学んだことといえは美味しい魔物とまずい魔物の見分けくらいだろうか。

 そんな彼女はまだ、何も知らないだけかもしれなかった。

 一番上の兄がくれた本が結果的には今日の夜につなげてくれた。もしかすると、これから魔法を使ってくる強敵がいるかもしれない。今夜だけではあるが、となりの魔法使いから学べることはきっと大きいだろう。

ただ、わずかにニフユの存在が気がかりだった。

 魔法の炎が何故だか大きく揺らめく。

 サマリスが大きな声でサウサミーケを呼んだ。


「サウサミーケ、避けろ!」


 彼女の近くに大きな足が落ちてくる。もちろんニフユではない。見上げれば、魔物だ。

 三メートルと少しか。二足歩行のトカゲのような姿だ。ウロコと、節々には長い刺が生えていた。拳が黒いのはそういう模様かと思ったが、少し違うらしい。これはおそらく動物やほかの魔物の体液だ。嫌な生臭さがしていた。


「サウサミーケ!」


 サマリスが再び呼ぶ。今危ないのは彼女よりサマリスだ。きっとあの細くて骨と皮のような体では、筋肉なんてものはない。殴られたらサウサミーケは少し助かる見込みがあるが、サマリスは二度と目を開けられないだろう。

 あの不気味な魔法陣が死んでしまうわけだ。

 だが、サウサミーケも殴られたら助かる見込みは僅かなのだ。なら、殴られる前に倒す。

 それがサウサミーケの取れる最善策だった。

 一発拳を入れてみるが、魔物の方はびくともしない。サウサミーケもびくともしなかった。拳を突き出せば、光の粉のようなものがちらちらと落ちていった。

 彼女が子供の時から起きている現象であるが、そういえば、サマリスの使う魔法によく似た光だった。

 ウロコのびっしり生えた尻尾が左右に揺れている。両腕だけならいいのだが、その尻尾も警戒に入れるなら、いつものように素早く後ろに回り込むのはやめた方がいい。

 ならば、正面から倒そう。サウサミーケは拳をギュッと握った。

 サマリスは既にその場を離れている。視線を回らせば、近くの木の陰に隠れていた。勝てない相手から逃げるというのは間違った判断ではない。


「サマリス。火だけは絶やさないでくれ!」


 サウサミーケの言葉に魔法の炎が少し大きくなった。

 巨体と幼体が対峙する。金色に光る瞳の中に縦長い瞳孔が一層細くなった。

 来る。

 サウサミーケが後ろに飛ぶ。少し遅れて彼女を握りつぶすように敵の両手が合わされる。体は大きいがそれにスピードが見合っていないようだった。

 彼女の拳が通りそうな場所はどこだろうか。オレンジ色の瞳がキョロキョロと相手を観察している。ナイフを使いたかったが生憎相手の足元に転がってしまっていて、使えそうにない。

 彼女がとうとう「あ、」と声を上げた。

 再び握りつぶそうかと左右から迫る腕を今度は上に飛んでよける。攻撃のあとはどの動物でも隙が生まれる物なのだ。サウサミーケがトカゲの魔物の懐に飛び込んだ。

 トカゲの魔物の縦長の瞳孔とかち合うが、彼女は何も思わない。勝ち続けなければいけないのだ。

 サウサミーケの拳から光の粉が散っていく。

 敵が絶叫とともに、腕を振り上げた。


「あ、」

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