第4話

「それで、あなたが倒れていたわけなんだけど……心当たりは? ていうか、あなた誰? なんで死んでいたの?」

「サミー、死んではいなかったろ?」

「……ちょっとした比喩だよ」


 ようやく体を起こせるまで回復したサマリスは混乱の境地だった。さて、この二人もしくは一人と一匹が助けてくれたらしいことはわかったのだが、自分が助けられた理由がわからないのだ。

 自分が襲われ、血だらけであった理由は直ぐに検討がつく。だが、答えはしないだろう。


「た、倒れていたのは……や、野盗か何かに襲われたからだろ」

「野盗に? なのに、何も取られていないの?」

「今時、魔法の道具なんか欲しがるやつはいないし、扱う店もないだろ?」


 サウサミーケが男の荷物を指差すので、彼が少しはにかんで言う。これくらいの少女なら難なく騙せるはずなのだ。

 案の定、彼女はまあ、そうかもねと納得したようだった。


「俺はサマリスだ。あの、助かったよ。サウサミーケ」

「うん。助かって良かったよ」


 あまり関心なさそうに、彼女が答えていた。

 オレンジ色の瞳が一瞬ニフユの方を伺う。彼は既にサマリスに関心がないようで薄ぼんやりと光るカンテラの近くに身を寄せていた。無数の瞳だけが、彼らを監視している。


「ねえ、サマリス。あなた魔法使いなんだよね」


 サウサミーケが口を開いた。


「一人前、とも言い難いけどな……」

「じゃあ、魔法のことをよく知っている? 頭がいい?」

「あ、頭がいいかどうかは分からないが……」


 詰め寄るように質問して、サウサミーケは瞳を輝かせた。なにか、彼に希望を抱いているらしい。魔法使いだから助けられたのか、とサマリスは思っていた。

 だが、わざわざ時間も手間もかかる魔法を頼りにする意味がわからない。魔法は今や遺物にすらなりかけている。

 サウサミーケが自分の荷物を漁って、なにかの本を取り出した。ほとんど荷物の入っていないように見える袋からそれを出すと、旅の荷物はわずかに膨らんだだけとなる。


「この本のこと、知らない?」


 差し出されたのは、表紙の真ん中と題字が真っ黒に塗りつぶされた本だった。厚みは数センチほどしかない。

 だが、見覚えはあった。


「ああ、こりゃあ……ヒルムセムトの召喚書だよ。珍しいものだけど、なんでこんなもの……」

「召喚書?」


 サウサミーケが眉をひそめた。

 少女らしいあどけない顔が怯えたように色をなくす。カンテラの光を背にしているものだから、それがさらに顕著であった。


「どうか、したのか?」


 サウサミーケに本を返して、尋ねる。なにか嫌な予感がした。


「まだ、礼をしてもらってない」

「……何が?」

「助けた礼だよ。なにかしてくれないのか?」

「……生憎、今は手持ちが少なくて」

「金は、いらない。知識を貸してよ」


 嘘だ。サウサミーケは喉から手が出るほどお金が欲しい。だが、それよりも彼は有用に使えるのだ。

 サマリスが青ざめた。


「ち、知識なんかないよ」

「魔法使いなんだろ? 目に、魔法陣を施すくらいの。体も見たぞ。両肩に一箇所ずつ、左胸心臓の上に一つ、背骨に沿うようにして一つ、臀部に三箇所、左太ももに一つ、両足首に一箇所ずつだ。それから、左頬と、首、手の平、手の甲にひとつずつだ。サウサミーケは魔法はわからないけれど、そんなの異常だっていうのはわかる。あんた、すごい魔法使いなんだろ?」

「…………」


 彼女の言葉に言い返せなくなったのは、なぜだろうか。正論を言っているのはわかったが、それでも取り繕うことぐらいはできたはずだ。彼女なら騙せると先ほど証明されたばかりなのだから。

 自分に、何をしているんだと言いたくなった。口を開こうとして、また言い淀む。

 あのオレンジ色の瞳が力強く彼のことを見ているかと思うと、そのまま、視線すらも動かせなくなった。

 彼女の身につけていたらしい布切れとも言い難いボロのマントと、魔法陣の踊る手の甲を見つめる。サウサミーケは答えを急がないままでいた。

 彼の視界に、黒い影が入る。ニフユだ。


「なーに揉めてんの?」

「揉めていない。あっちに行くか、姿を消してくれ」

「そんなに邪険にしないでよ」

「これは人間と人間の話だ。魔物のお前はあっちに行ってろ」

「だから、魔物じゃなくて、使い魔」

「サウサミーケには両方同じことだ」


 彼女が眉間にしわを寄せて、ニフユをしっしと手で追い払う。そんな彼女の仕草もお構いなしに、ニフユはどっかりとそこに腰を下ろした。サウサミーケが嫌そうに彼の反対側に回った。

 サマリスを挟む形で二人が対峙する。


「それにさー、サミー。全く知らない、怪しい魔法使いなんかに頼るより、知ってる使い魔に頼んでよ。知識も経験も力もあるよ。金はないけどさ」

「魔物より、人間だ」


 サウサミーケがぴしゃりと言う。付け加えて「それにお前のことなんか知らない」と言い放った。

 なんとも不憫な使い魔だ。主人に嫌われるなど、使い魔としてはプライドが許さないだろう。

 そこまで考えて、サマリスは異変に気がついた。

 頭が痛いのも、腰が痛いのも、それだけでなく全身が軋むように痛いのも、確かに彼にとって異変であるが、それじゃない。彼が感じ取る異変が更にある。

 サウサミーケの言葉が思い出された。


『サウサミーケは魔法はわからないけれど』


 魔法がわからないはずはない。こんなに立派な使い魔を連れ歩いている人間が、魔法を知らないなんてことあるはずがないのだ。また、魔法陣を知らないことすら、ありえないのだ。彼女の行動はおかしい。あの本のことだってそうだ。ヒルムセムトの召喚書を知らない魔法使いなんて、いるはずがない。どんな入門書を読んだって書いてあるはずだ。魔界で育った人間、ヒルムセムトの話は。

 あるいは、知らないのは一般の魔法に関わらないような人間だけであるはずだ。

 彼女の言動はおかしい。

 魔法の道具が盗まれることが少ないのも知っているはずだ。多少なりの魔力がなければ魔法の道具に触れることすらできないのだ。そうして、サウサミーケはサマリスの魔法の道具をここまで持ってきているのに。

 おかしい。


「さ、サウサミーケ。使い魔の話を聞いてやらなければいけないんじゃないのか?」

「だから、使い魔なんか知らないって言ってるだろ。こいつは……」

「俺様とサミーはまだ契約してないんだよ、魔法使いさん」

「はぁ?」


 そんな声を上げるのも、仕方がないということだ。

 契約もしていないものが、使い魔と行動しているなんて、どういうことだろうか。使い魔をこちらへ呼び出すということは、彼らにあったはずの魔界で過ごしていた時間を無理矢理なかったことにして、奪うということと同義だ。そして、サウサミーケが呼び出したであろう、使い魔は、まだ契約をしていないといった。自ら。なら、どうしてこちらに干渉しているのか。契約をしていないなら、干渉権だって持っていないはずだ。しかし、先程から足音も聞こえている。声も、そして、サマリスはニフユに触れた。


「ど、どういうことだ?」

「召喚の儀式は終わっているけど、まだお互いに契約条件に納得いかないし、サウサミーケは契約条件の提示の仕方がわからないからできないし、おまけに魔法陣を書けないときたわけだ。召喚だけは終わってるから、実体を持つのには苦労してないって話ね。簡単だろ?」


 ニフユが無数の目をサマリスへ向ける。ぎょろり、と凄まれた。


「だから、頼むよ魔法使い。こいつと俺様を契約させてくれよ」

「こいつを消してくれ、魔法使い」

「はぁ?」


 自らが召喚した使い魔の前で、サウサミーケはそんな残酷な言葉を吐くわけだ。サマリスが何か言う前に、ニフユがサウサミーケの方へ顔を寄せる。

 文字通り目一杯寄せていくものだから、黒くて長い髪の毛の中に、サウサミーケの顔はうもれてしまった。


「だからさぁ、説明したよね? 俺様ちゃんと。魔法初心者のサミーにもわかるようにさ」

「だから、契約とか、召喚とか、魔力がどうのとか、顔も知らない爺様がどうのとか、こうのとか、小一時間説明されてもわからないものはわからない。サウサミーケは決して賢くないし、お前は魔物だし、ただただホラ話にしか聞こえないんだ」


 サウサミーケがニフユを腕で突っ返した。二メートルを超える巨体がしゃがんでいるとは言えぐらつく。

 彼女の目がサマリスを見た。オレンジ色の瞳の中には、焦燥と怒りが織り交ぜられている。魔法がわからない、といことは本当らしい。不可抗力でも召喚した使い魔を、元に戻す方法を皆知っているはずなのだ。

 簡単なことである。


「お互い、このままやりあっていても、生産性ないだろ。お前もサウサミーケが納得する配当を出せばいいじゃないか」

「永遠の命をやるといった」


 ニフユが嫌そうに体を反らす。二メートル超える化物が、なぜそんな子供のようにすねた態度をとるのか。

 サウサミーケが隣に座ったまま答えた。


「だから、そんなものいらないから、帰ってくれって言ってるんだ。サウサミーケはニフユのことを呼び出していない」

「呼び出したし、名前までつけてくれたじゃないか」

「それはお前が自分の名前がないって言ったからだろ? かわいそうだと思って付けてやれば、付け上がって……」


 サウサミーケが呆れたように言う。

 その隣でサマリスは青ざめた。


「サウサミーケ、お前今なんて?」

「……付け上がって?」

「もっと前だよ」

「名前がないって言ったから?」


 サマリスの質問には何の意味があるのだろう。サウサミーケにはわからないままだ。しかし、彼の方は確実に色をなくしていた。


「サウサミーケ、その使い魔に名前をつけたのか?」

「つけたよ。なんて呼べばいいかも、わからないし」

「言いにくいことだがサウサミーケ、お前と使い魔との儀式は取り消せない。お前は使い魔と契約する他ないよ」

「は?」


 ニフユだけがほくそ笑んでいたことだろう。


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