第3話

 残念ながら、サウサミーケの力量に見合う仕事はどこにもなかった。また、彼女を雇うものも一人も現れはしなかった。

 陽はとうに暮れている。

 宿もない、金もない、仕事もない。あるのは彼女の健全な体と思考と、それからくたびれて萎れた革の袋のみだ。中にはナイフが一本と、数日前に落としてヒビを入れてしまったカンテラが一つ。家を出るときにもらった不気味な本が一冊入っているだけ。

 彼女の荷物はたったのその三つだけだった。

 力はあるはずだ。彼女自身もそれを認めている。自惚れているわけではない。だが、その力を発揮して働くには何分、性別と、年齢と、体躯が足りなかった。

 サウサミーケは困ったことになっている。

 宿がないことは問題ない。常に逼迫している懐の事情により、宿に泊まれることなど滅多にないからだ。また、仕事がないのも問題ではない。また明るくなってから探せばいいだけのことだった。だが、金がないのは彼女にとって死活問題だ。

 金がなければ何も買えないことぐらい、若干十二歳の彼女だってわかっている。何も買えないということは、今日の食事はないということになる。

 石畳の上をカツカツと歩いた。履いている靴の底は既に擦り切れて指先が見えそうだ。

 横を通り過ぎた店には暖かな灯りが点っている。調整された暖かな空気と、料理のいい匂いと、人々の談笑と、抑えたような音楽の音がガラス越しにわかるようだった。

 すれ違った男女が、サウサミーケを何度も振り返る。上等な洋服を着た人達と、彼女の差はなんだったろうか。

 育ち盛りの彼女の腹を、体を、空腹が苛んでいた。

 ふと見上げれば月があった。銀色の光が汚れた路地に光を落とし込んでいる。

 そういえば、この街の東側に森がある。獣だか、魔物だかが出ると掲示板に注意が書いてあったのをふと思い出した。

 食事にありつけるなら、サウサミーケにこだわりはない。

 薄汚い路地裏でも、地面の冷たい森の中でもだ。




 見事である。

 ものの三十分でサウサミーケは二匹もの魔物を仕留めていた。

 ジタバタと最後の抵抗を見せる魔物を締め上げて絶命させる。だらしなく身を投げ出したそれの脈を確認して、素早く縄で縛り上げた。

 せめて、あともう一匹くらいは欲しいなと思う。サウサミーケが組み付くだけで倒せる大きさの魔物が、たったの二匹だけでお腹が満たされると思わなかった。


「困ったな」


 本来ならば今は魔物より獣が食べたい気分だ。だが、獣を追いかける元気もない。

 魔物はサウサミーケが目をつむって寝転がっていると、彼女のことを死肉だと思って無防備によってくるのだ。獣はそんな馬鹿なことはしなかった。

 今晩の夕食を二匹引きずって、春の陽気に元気に伸び始めている下草を踏み分ける。

 そんな中、彼女のことを影の中から見ていたものが声をかけた。


「なあ、サミー」

「……突然話しかけるとびっくりするよ」

「はは、うそだな、サミー。そりゃ冗談だろ。さっきまでで八回も目が合ってるはずだ。お前が俺様に気がついていないはずはない」

「そんなに目が付いてるんだから、いずれ一度は目が合うでしょ」


 彼女の進行を防ぐように、ぬっと黒いものが地面から湧き出た。大きさは二メートルを少し超えたくらいか、人の形を模してはいるが、到底人とは思えない容姿をしている。地面のように黒く、体の至るところに目玉が生えている。その一つ一つが眼球運動を繰り返し、サウサミーケとその周りの様子を伺っていた。頭部と思わしき場所から生えた黒くて長い毛が、全身を覆っている。

 サウサミーケが嫌そうに体を少し反らして黒いものを呼んだ。


「ニフユ」

「なんだい? サミー」

「だから、サウサミーケだと何回言えばわかるかな?」

「サミーの本当の名前はサウサミーケなのはわかるが、俺様が呼ぶときはサミーでいいんだ」

「そんなに親しくなった覚えはないよ」


 ニフユが自信満々に言ったのを見て、サウサミーケが眉間にシワを寄せる。実に嫌そうな顔をしていた。


「親しい、親しくないじゃなくて、俺様とサミーは使い魔と召喚者の関係だろー?」

「召喚した覚えはないから帰って」

「そりゃ無理だな」


 実に楽しそうなニフユが笑っているようにも見える。笑っているかどうかは、声音から判断するしかない。

 静かな森の中であるのに二人の話し声は軽快だった。

 絶命し、今晩の夕食になるであろう魔物をニフユがちらりと視界に収めた。

 また、笑ったような気配がする。


「ねえ、サミー。お困りなら、助けようか?」

「あいにくそんなに困ってないよ。」

「困ってるよ、獣が食べたいんだろ? 臭い魔物の肉じゃなくて、さ」

「…………」


 月光の中、サウサミーケは突き進む。甘言を吐く自称使い魔など無視したかった。なぜ彼女が魔に魅入られなければならないのか。生憎、まだ魅せられる兆候はない。


「獣と偽って、なにか他の物を食べさせる気だろ?」

「そんなことしない。それに獣を捕まえるのは俺様じゃなくてサミーだ。だから、騙せるもくそもないよ。それに、騙せるとも思っちゃいない」

「……油断したところを食べる気だな」

「なんで? 俺様サミーみたいなちんちくりんより、もっと年のいったおねーさんが好みだぜ?」

「……なら、ついてくるなよ」

「それとこれとは話が別だ。好きと好みと、召喚者は違うって話」

「だから、召喚してないって……」

「したよ、あんなにドラマチックにね」


 ニフユが嬉しそうに体を揺らしている。いつの間にかまた前に回られてしまい、サウサミーケはため息をこぼしながら足を止めるしかなかった。

 月光が枝葉に遮られて、不思議な模様を生み出している。


「とにかくさ、ここから少し行ったところの崖下だよ。獣が何匹かいる。元気に動いてるし、そんなに強くない。サミーなら狙える」


 髪の毛の隙間から瞳が覗いていた。

 声音が嬉しそうな理由がわからない。

 なにか言おうかと迷っているうちに、ニフユは地面に溶け消える。しかし、あの無数の目でまたどこかからサウサミーケのことを見ているはずなのだ。

 彼女は肩を落とした。

 なぜ自分がこんな目にあっているのか。ただ、自分の夢を叶えたかっただけであるのに。

 そして、指定された崖下で更に肩を落とすことになるのだ。

 間違いない。自称使い魔のニフユは人間を食べ物と認識している。

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