第三十二話――魔王

「ま、魔王――」

 天を覆いつくさんとばかりにそびえ立つ巨大な黒い影を、眼を見開き凝視しながら、ガクガクと震える、シー。


 第二世界に住まう全ての魔を統べる者――〈魔王〉。


「これはこれは。とんだ邪魔が入ったな〜」

 シーの放った竜巻魔法ヴィエス・べトラから脱出し、戻ってきたデカトリースが舌打ちする。

「お前たち、総出であのデカブツを食い止めろ。倒せなくてもいい、時間を稼ぐんだ。その隙に私が〈特異対象L〉を捕獲する!」

「な――! ズ、ズルいですよ、隊長!」

 いつの間にか復活したメグロスが、困惑気味に喚いた。

「あ、あんな化物、〈天使エンジェル〉や〈大天使アークエンジェル〉に止められるワケがないじゃないですかあ……!」

 天使階級第八位の大天使アークエンジェルであるメグロスやアウトノア、ましてや第九位の天使エンジェルである末端の兵隊が、〈魔王〉を相手をするなど蟻が巨象に挑むが如き無謀。

 はるかに格上の第四位〈主天使ドミニオン〉であるデカトリースが、魔王よりもはるかに劣る堕天男やシーを相手にするというあからさまな職権濫用に、メグロスは抗議する。

 しかし――

「〈できない病〉にかかっているなア〜、メグロス君。できない理由を探すんじゃなくて、どうすればできるのか考えるのが君の仕事だよオ〜?」

「そ、そんなご無体な……!」


 ヴォオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎


 ――と、思わず耳をふさぎたくなるような、巨大な発声とともに。


「伏せて、堕天男――!」

 とっさにシーが叫ばなかったら……

 あるいは浮遊魔法フローテで地から遠く離れた空中にいたら……

 堕天男は、そのまま御陀仏おだぶつだったかもしれない。

 

「わ」

「ピ」

「ぽろ」

 断末魔の悲鳴をあげる暇もなく、塵と化し、消えていく天使たち――


「ギャアアアアア」

「グエエエエエエエ」

 デカトリースの側近、大天使アークエンジェルアウトノアとメグロスは、全身をズタズタに引き裂かれながらも、何とか生き延びた。


 これが――魔王。


 眼の前で起きた荒唐無稽なその光景に、堕天男は絶句する。

 百体もいた天使の、そのほとんどを一瞬で葬り去ってしまったのは。

 魔王の物理攻撃でもなければ、魔法でもない。

 だったというのだから――


「こりゃ、想像以上にとんでもないのが出てきたな……シー、お前こんなヤツと戦って生き延びたのか……」

 防御魔法をかけて地面に伏せていたおかげで、ほとんどダメージを受けずに済んだ堕天男は、引きつった笑みを浮かべた。

 それもそのはず。爆弾が近くで爆発したとして、全身で爆風を受けるのと、伏せてごく一部分で爆風を浴びるのとでは、ダメージに天と地ほどの差がある。

「ですから、一度殺されたんですってば」

「こんな出鱈目チート、ブリーゼでも勝てないんじゃないか。お前ら以前はどうやって帰ってきたんだ……」

「さあ。何度も言いますが、私は死んでいたのでわかりません」

「ブリーゼのヤツ、何がいい修行になる、だ。まったく」

「ですが――おかげで天使たちの大部分が消し飛びました。今のうちに、進みましょう」


「じ、冗談じゃない……あんな化物……! か、勝てるわけが……」

 先ほどの〈声〉でズタボロにされたメグロスが、二日酔いの青ざめた顔で喚いた。

臆病者チキンは仕事しなくていいです! 隅っこで震えていなさい!」

 メグロスとは対照的にやる気満々のアウトノアは、聖斧ホーリーアックスを構え、自ら先陣をきって〈魔王〉に飛びこんでいく――!

 だが、勇気とは時に無謀となり得る。

 天使階級第八位、下から二番目の〈大天使アークエンジェル〉であるアウトノアが、第二世界のすべての魔物の頂点に立つ〈魔王〉に敵うはずもない。

 天使じぶんには極限再生生物プラナリア並の再生能力があるから大丈夫だ――などと、天使軍内では比較的若手だったアウトノアは、浅はかにもそう考えたのだろう。

 だが、そんなことで魔王を倒せるものなら、教団はさっさと第二世界を制圧し、ここに罪人たちの収容所を築いていたにちがいない。


 大陸ほどもある、途方もなく巨大な魔王の手が――赤く、小さく、輝く。


 放たれたのは、アウトノアの背丈ほどの、赤く不気味な光弾。

 一瞬マッハで眼の前まで迫ってきたそれを、すんでのところで回避したアウトノアではあったが――

「アウトノアさん、後ろ――‼︎」

 刹那、メグロスが愛する女アウトノアのピンチに絶叫する。

 魔王の放った赤の光弾は追尾式で、一瞬でアウトノアの背中に着弾し、破裂――

「ウッ……⁉︎」

 アウトノアは短く呻き、地に墜落した。

「だ、大丈夫ですか、アウトノアさん⁉︎」

 心配そうに駆け寄る、メグロス。

 五体満足とはいえ、魔王の放った得体の知れない魔法攻撃だ。

「だ、大丈――オゲェッ」

 さんざ見下していたメグロスの手前強がろうとしたものの、アウトノアはすぐに苦しそうに呻き、どす黒い血塊を吐き出し、地にぶち撒けた。

 天使の血は本来人間よりも鮮やかな、桃色がかったあかであるはずが、まるで重油のようにどす黒い。

「いかん……これは、『魂魄毒アルマ・エメラ』――」

 駆けつけたデカトリースが解説するように呟いた。

「な、何ですか、それは」

「魔族の使う禁呪だ。魂をジワジワと闇に浸食させる毒魔法。天使の再生能力がいくら優れていても、根幹となる魂を壊されてしまえば彼女は死んでしまう」

「そ、そんな――⁉︎ ど、どうしたら彼女を救えるんですか」

「〈大教会〉の神官たちならば、解呪法を知っているかもしれない。メグロス君、今すぐアウトノア君を第一世界へ――」


「『闇に消えよブラックレイ』――」


 アウトノアに気を取られ隙だらけになっていたところに、千載一遇の好機と言わんばかりに、堕天男が暗黒の光を放った――

「ウオオオオオ⁉︎」

 慌てて退避する、二体の天使。

 その漆黒の光線は、身動きのとれぬアウトノアに直撃――

「グワアアアア」

 否――アウトノアをかばい、彼女の体を抱えて飛んだメグロスの左翼に命中した。

 直後に発生した黒球ブラックホールにふたりとも飲まれかけたが、当たりどころがよかったのか、メグロスは左羽をもがれるだけで済んだ。

「クッ……なぜ再生しない……⁉︎」

 黒葬魔法ブラックレイ魔力マナを含めたすべての物質を闇に葬る禁呪。

 天使が木っ端微塵にふき飛んでも再生できるのは、その体を構成する器官すべてに魔力マナが宿っているからであり、魔力マナごと喰われてしまったメグロスの羽が元に戻ることはないのだが、末端の兵卒である彼には知る由もない。

「私が時間を稼ぐ。メグロス君。君はその間に、アウトノア君を大教会へ連れて行くのだ」

「は、はい!」

 片翼の天使メグロス愛する者アウトノアを担ぎあげ、走り出す。

「さあ来なさい、堕天男! 私の部下には指一本触れさせない!」

 威勢よくメグロスとアウトノアの前に立ち塞がるデカトリースを、しかし堕天男とシーは無視して魔王城へ向かって飛び去っていく。

「待てー! 戻ってこーい!」

 左羽を失い、アウトノアを抱えて走るしかなくなったメグロスの頭上を、堕天男たちがあっという間に追い抜いて行く。

「メグロスくぅ〜ん! 『聖天使砲エンジェルバスター』でヤツらを止めるんだ!」

「は、はい!」

 アウトノアを抱えているメグロスは、右手だけを砲身に変え、堕天男たちを狙い撃つ!

 が……アウトノアを抱えた不安定な姿勢で高空を高速で飛ぶ堕天男たちに当たるはずもない。

「『闇に消えよブラックレイ』!」

「うわっ」

 お返しに放たれた漆黒の光線を慌てて回避し、しかしバランスを崩してメグロスは転倒し、尻餅をついてしまった。

「なァにをやっとるかァ〜! もっと撃たんか! 下手な大砲数撃ちゃ当たる! このままヤツらを取り逃したら私の責任問題になるだろうが〜!」

 先ほどの威勢はどこへ行ったのか、部下の命よりも己の保身を優先する上司デカトリースの言葉にメグロスのやる気の最後のひと欠片が失われ、もはや愛する女性アウトノアを救うことしか頭になくなった彼は、ただ大教会へのゲートを目指して、けだした。


 ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎


 唐突に魔王による第二の死の咆吼デスボイスが放たれ。

 見えない音の壁が押し寄せ、第一波で削られた岩壁の表面がさらに細かく砕かれ、無数の石の弾丸と化す――


「く――」

 反射的にシーは堕天男の腕を引っぱり、地面まで急降下。

 音の波が到達する前に伏せたため、ダメージは最小限に抑えられた。

 が、しかし。


「追いついたぞオ〜、堕天男」

 地に伏せ、完全に無防備な体勢のふたりの前で。

 全身を音の衝撃波と無数の石にズタボロにされながらも、獲物を追いつめた狩人ハンターの如き獰猛な笑みを浮かべたデカトリースが。

 社会人精神注入棒を、振りあげていた――

「クッ……『弾けバルス』――」


聖闘セイント☆ホームラン――!」


 グシャッ‼︎

 即座に衝撃魔法バルステンで反撃を試みたシーより、さらに一瞬速く。

 天使デカトリースは、かつて堕天男にそうしたように、社会人精神注入棒で、シーを殴り飛ばした――


「がッ――」

 その威力は天使デカトリース人間てんちょうだった時の比ではない。

 バキベキボキ、と、骨が砕けたような嫌な音が響きわたり、きりもみしながら無残にふき飛ばされたシーは、そのまま受け身もとれず岩壁にたたきつけられ、柘榴ザクロの如き、あかい血の大輪を咲かせた……!


「とどめだ――」

 デカトリースは嗜虐的サディスティックな笑みを浮かべて岩壁にめりこんでしまったシーの眼前まで一瞬で迫り。

 ゴキゴキゴキ……!

 と、腕を数十回もねじり。

 教団精神注入棒を、まるでドリルの如く、シーの身体に向かって突き出した――!


 バリバリバリ、ビチャビチャ。


 ソーセージ工場で食肉が加工されるような、形容しがたい気味の悪いグロテスクな音。

 不思議と、痛みはなかった。

 あまりのダメージに、脳が痛覚を遮断したのか、と思ったシー。

「…………?」

 朦朧もうろうとする意識に抗い、重い目蓋をこじあけたその先には――


 シーに代わりデカトリースによって串刺しにされた、堕天男の姿があった……!


「グボ」

 社会人精神注入棒によってはらわたの大部分を失ってしまった堕天男は、逆流した大量の血液により、七穴噴血しちこうふんけつ

「オヤオヤァ〜。順番が変わっちまったナァ〜。イヒヒヒヒ」

 下卑げびわらい声を発しながら、堕天男に突き刺さった教団精神注入棒を、しかし無慈悲にもさらに捻り。

「ゴ……ゲ……グヒャ……」

 もはや空気の抜けてしまった風船のように脱力した堕天男の身体が、ビクンビクンと痙攣けいれんした。

「や……め……」

 眼の前で繰り広げられる流血の惨劇を、しかし自身も全身を砕かれてしまったせいで、ただ見ていることしかできないシーのその眼尻から、絶望の涙が溢れだす。

 光榴弾魔法エルペーゲ衝撃波魔法バルステンを使う程度の魔力は残されていたが、それを使えば瀕死の堕天男を巻きこみ、確実にとどめを刺すことになるだろう。


 ああ、お師匠……私が間違っていました。

 私は、あなたの言うとおり、無能で無力な、馬鹿弟子でした。

 帰ったら、どんな罰でもお受けします。

 どんな厳しい修行にも耐えます。

 いっそのこと、破門されてもかまいません。

 だから、どうか、堕天男を、助けてください――

 

 そう心の中で懺悔し、その眼を閉じた。

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