第五話――絶体絶命(チェック)

 堕天男ルシファーの体を、突如謎の浮遊感が襲った。

 己の体を地に縛りつける重力の感覚が、消えた。

 ジェットコースターで急降下する時の、あの奇妙な感覚が、ずっと続いている感じだ。


 そう――堕天男は今、空を飛んでいた。


「私に掴まっててください。放したら落ちて死にます」

 黒の女は平然とそう言い、堕天男は必死で彼女の左腕を握りしめる。

 せいか、あまり力は必要なかった。

 だが安心するのも束の間。


 すぐ脇を、サーマの放った高熱の光が通過する。


 間一髪――コンマ一秒でも遅れれば、おそらくふたりは一瞬で消し炭と化すであろう。

 公園の地面が溶岩のごとく融け、灼熱色に輝いているのを見て、堕天男はふたたび戦慄する。

 壊れた水道の蛇口さながらに連続で放出される熱線を。

 しかし凄腕パイロットの乗った最新の超音速戦闘機のごとく、縦横無尽にうねるように複雑な軌道を描いて飛び回避する、謎の女。

 だが標的を失ったその高熱の破壊光線は、容赦なく町を破壊し、焼き尽くし。

 人の命など塵芥といわんばかりに、たやすく地獄に変えていく……


「動くな~! 貴様らは完全に包囲されているう~!」

 サーマが半ばふざけた口調でそう言うのと、女の顔が曇ったのは、ほぼ同時。

 それもそのはず……


 が、堕天男たちを囲むように大勢飛びかかってきたからだ。


「くそ――『爆ぜよエルペーゲ』!」

 女の腕から先ほどよりも大きな光の弾が放たれ、それは警官たちの直前で爆発!

 警官たちの何人かが爆発に巻きこまれ!

 腕がちぎれ、足をもがれ、血や臓物を撒き散らし!

 原型も留めぬほどバラバラの肉片と化す!

 だが――それでも、多勢に無勢。

「できれば生け捕りにしてにしたいところなんですけどお~、このまま逃がすとめんどくさいのでえ~、いっそっておしまい~、なのですう~!」

 相変わらず年頃の少女のように、天使の如く……いや天使そのものの無邪気な笑顔で。

「他の女に渡すくらいなら殺してやるうッ!」

 冗談なのか本気なのか、サーマがそんな台詞を叫ぶ。

 どこからやってきたのか、すでに百人を超える警官天使の軍勢は。

 一斉に構えた拳銃ニューナンブから、弾丸ではなく、レーザービームを、放った。

 いくら凄腕の戦闘機乗りでも、百機を超える敵の集中砲火から逃れる術は、ない。


 苦し紛れに光の榴弾を放とうと掲げられた女の右腕を、しかし雨あられと降り注ぐ無数の光線のひとつが――〈切断〉した。


「いぎ」

 女の顔が、苦悶と驚愕に歪み。

「うわ。だ、大丈夫か」

 体勢を崩しながら堕天男が悲鳴に近い声で叫ぶ。

 そのまま倒れこむように地面に不時着したふたりを、警官たちが即座に包囲する。


「袋のネズミ、とはこのことですねえ~。どうしますう? 最後に命乞いでもしてみますかあ~?」

 狂ったように見開かれたサーマの眼の中心で、十字模様の虹彩が、まるでこれからふたりに死をくれてやる、と言わんばかりに禍々しく輝く。

「ま、待って」

 残った左手を上げて、降参の姿勢をとる、黒服の女。

 右腕を失った激痛のせいか、脂汗がすごかった。

「まあ待ってください……取引しましょう。私、こう見えても魔界公爵家の娘でして。いい情報持ってますよ。〈魔王〉の居場所とか、弱点とか。私の命を保障するなら、知ってるかぎりのすべての情報を話し――」

「ん~」

 サーマは可愛らしく口もとに人指し指をあてて唸る。

 あれだけの破壊のかぎりを尽くした後では、かえって不気味ともいえるが。

「おとなしくルシちゃんを返すならあ~、考えてあげてもいいで」


「何て言うと思ったか――『爆ぜエルペ』」

 女は不意を突き、とっさに左手をサーマに向けて振りあげ――


 ――


「いけませんなあ。いくらゴミクズ魔族のお嬢さんとはいえ、人様の子を勝手に誘拐なんかしては」

 いつの間にか女の背後に立っていた、店長。

 その背中には、サーマと同じ、白く輝く翼が、生えていた。

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