5
冬の日暮は早い。5時も過ぎれば太陽は悲鳴を上げ、地の底に引きずり込まれていく。空はぶち撒けられた昼の残骸で真赤に染まり、人々はせき立てられるように影の中に消えていく。
「楽しかったね」
茜色に揺れる観覧車に向かい合って座り、アオはアカネに感想を漏らした。
女の子を口説くのは初めてではない。復讐を決めた日から、女子大生達に近付く為に日々嘘の愛を囁き続けてきた。
しかし、アオは口にしてから、今日の言葉が社交辞令ではない事に気が付いた。胸を突いた鋭い痛みに、自分は本当に楽しかったのだと大いに驚いた。
アカネはジェットコースターにキャアキャア言い、お化け屋敷にキャアキャア言っていた。大人っぽい見た目と幼稚な行動のギャップが扇情的で、退廃的で、背徳的で、邪な気分になってしまう。
大した時間を過ごした訳ではないが、これが最後だと決めて観覧車に乗り込んだ辺りが、どうやら『寂しい』気分にさせている様だ。
アカネは夕焼けに染まった頬で、外を眺めている。このまま告白してしまえば、OKすら貰えそうな雰囲気に感じられた。
今にして思えば、トキオが早まった真似をしてよかった。アイツだってちゃんとしたプロセスを通してここに至り、告白をすれば、アカネと恋人同士に成れていただろう。
(いや、必要なのは告白じゃないね。『人間っていうのは、デートの後には恋人になるもんだ』っていえばいい)
言わないけどね。と、アオは自嘲する。
もしかしたら、自分が普通の人間で、アカネが普通の女の子なら、恋人として学生生活を過ごす未来もあったのかな?なんて思ってみた。
しかし、それは有り得ないか。
自分は異常だからこそアカネに惹かれ、それはアカネが異常だからこそ起きた奇跡だ。それを差し置いて普通が良かっただなんて言ったら、幾億もの可能性を殺した果てに在るのであろう、この現実に申し訳ないではないか。
とっくの昔に決めているのだ。この現実と添い遂げると。
不実なる妄想には終止符を。代わりに彼女に極上の愛を。
破滅の一歩を共に墜ちよと、気障な告解をしようじゃないか。
「ちょっといい?アカネ」
「ん?どうしたの?」
「今思い出したけどさ、トキオって、極度の機械音痴なんだよね」
「そう言えばそうかも。スマホとかも『分かんねえ!』で持ってなかったもんね」
「……」
「どうしたの?」
「いや、楽しそうならそれでいい。デートだからね」
トキオに対する嫌悪感などは無のかと思ったが、まあ、無いのだろう。
「でさ、盗撮写真を覚えてる?あれって隠しカメラ的なモノで撮影されてなかった?」
「どうだっけ?」
「後、アカネの家みたいな場所で撮られてた気がするんだけど」
「そうだっけ?」
アカネはどこかから写真を取り出し、アオの指摘を確認する。
「本当だ…私の部屋だ……こっちは旅行に行った時?」
事実の齟齬に、アカネが混乱するように首を傾げる。
――ギチリと、歯車が止まる幻音を聞いた。
デート中の女子として振る舞っていたアカネが停止し、次の役割を求めてアオを見た。
深い深い妄虚な瞳。硝子と表現するには異物が多過ぎる、闇というべき空洞。
受け止めるアオはゾクリとして、思わず笑みが零れた。
「機械音痴のトキオにそんな撮影できないと思うんだよ」
「じゃあ、誰が犯人なの?」
「人の世はさ、推定無罪だよ」
「知ってる。映画で言ってた」
「一番可能性が高いのは、君のとこの所長だ。部屋にも容易に侵入できるし、探偵だから撮影機器の扱いにも長けてる。旅行ってのにも、着いて行けるしね」
「でも!なんで所長が!」
「…推定無罪だって言ってるでしょ?犯人とは言ってない。証拠を集めて積み上げて、犯人か否かを決めればいい。でも、相手が犯人だって確定したら、殺……怒らなくっちゃならない。嫌いにならなくちゃならない。分かるよね?人間ってのは、そういうモノだ。沸き立つ衝動のみが唯一の生きる標。アカネだって、それに従わなくちゃ」
「そう……なんだ。うん、知ってる」
アカネは親に見栄を張る子供の様に笑う。それを見てアオは、『いつかの自分もこんな顔をしていたのかな?』なんて後悔した。
いや、もしかしたら、今でもしているのかもしれない。
先輩、上司、友達、恋人、子供、神様。
人は誰かに媚びを売って生きている。自分がナンバーワンだなんて思って生きている人間は居ないのだから。結局、人は四六時中へらへらして生きなければならない。
今のアオの媚びる相手は―――
(……俺の人生は十中八九、今夜終わる。媚びた笑顔を向けてた奴にナイフを突き立てて)
アオは一つ息を吐き、自分の頬を触った。
今まで誰にも頼らず、突っ張って生きてきて。
今まで誰にだって媚びを売って、独りで耐えてきて。
この人生の最後の時に、誰かに甘えてみたくなったのかもしれない。
「アカネ、少し聞いてくれる?」
「どうしたの?」
どうせアカネは、聞いたことを何一つ覚えない。反応と反射だけの生物。ゲームのNPCみたいに、こう聞けばこう答える、こう言えばこう行動すると言うのが決まっている化け物。
彼女に感情はないと思う。恐らくは記憶も無く、環境に従っているのみであろう。
だから、懺悔をする相手としては極上だ。これがただの独白になるのだから。
「俺さ、母親を殺したことがあるんだ」
「アオ!それは……」
「安心して。法に触れる事はしてない」
「そう。良かった」
何がいいのか分からないが、アカネは胸を撫で下ろした。
「5年前に父親が、自殺したんだよ。俺はそれが納得できなくて、父親が自殺した原因を探してた。その時知り合ったスイって刑事が、警察に接収されてた父親の携帯を見せてくれたんだ。それで分かったんだけど、父親は高校生だか中学生だかのグループ相手に買春をしたらしくてさ。で、その女子高生のグループに、『援助交際を黙ってて欲しければ金を払え』って脅されたらしい。変に真面目だから、馬鹿正直に金払って、更に集られ続けて、どうにもならなくなって、自殺したって訳」
「そうなんだ」
「俺はそれを知って、どうしていいのか分からなくてさ、母親に相談しちゃったんだよ。そしたら、母親は次の日に首を括った」
「……」
「で、両親がいなくなった俺は、スイに援助して貰ったりして生き延びて、復讐を始めた。女子高生……もう殆どは女子大生になったけど、そいつらを殺していったんだ」
「アオ!それは……」
「………安心して。法に触れる事はしてない」
「そう。良かった」
やっぱり何がいいのか分からないが、アカネは胸を撫で下ろした。
「さらに言えば、最後の三人は、俺は殺してないんだ。一人は水城イチコ」
「ああ、イチコなら私が食べたよ。あの子援助交際して、更に相手を脅してお金巻き上げてたの!……ん?もしかして、アオのお父さんと一緒!?不思議な事もあるね」
「……残りの二人だけど、それは水城マリと欅タカコなんだ」
「連続女性突き落とし事件の被害者だね。所長はアオが犯人って言ってた」
「俺が犯人って?」
「うん。それで私もアオを調べて、アオを食べる寸前までいった。けど、調べてる途中でイチコの事があって、ちょっと調査が止まってる状態」
(マジか……)
「いや、最近、俺と仲良くした女の子が突き落とされることがあるんだ。水城先輩とか、欅タカコとか、アカネとかね」
「私?……あ!あの階段の!」
「多分、それも一連の事だよ」
「そうなんだ。アオは良く知ってるね」
「まあね。そして、アカネはもう一度突き落とされると思う。それも、階段なんて生易しい場所からじゃなくて、生死の直結する取り返しの付かない場所からね」
(それでアカネが死ぬならそれでいい。犯人は捕まり、俺はアカネの死体を確認できるって事だ。アカネが本物の化け物で、万に一つも死ななかったら……それは神様が俺を見捨てなかったって事かな)
アオは静かに立ち上がり、1周回り終えたゴンドラから降りた。
(理想を言えば、アカネがこの世界の全部を殺してくれればいい。けど、アカネはそんな便利な奴じゃない。証拠を積み上げて、そいつが悪なら喰っちまうって奴だ。そして、その証拠ってヤツもどれがどう響くか分からないブラックボックスと来た)
ならば、たとえ死んでも後悔の無い選択を。
「今から自分のする事、分かってる?」
「え~っとね……」
アカネは答えようとするが、アオは先に解答を並べ始める。
「まず、事務所に帰って、所長が盗撮の犯人かどうか調べる。もし、そうだったら……怒るんだっけ?」
「うん」
「そうなると落ち込むよね?なら、ちょっと見晴らしのいい場所、一人に成れる高い場所で落ち込むのが人間だ。三色町の商店街近くの廃ビルとか見晴らしが良いと思うよ。映画でもあったでしょ?」
「うん?そうね。そう言えばそうだわ。所長が犯人だったら、そうしようっと」
恐らく、本当に所長が犯人だと分かれば、アカネは先程とは比べ物にならない位取り乱すだろう。同級生が突発的に盗撮したのと、父親代わりの同居人が、ずっと自分を性的な目で見ていたのとでは、環境は変わってくるのだから。
ああ、可愛そうな化け物め。
今から積み上げてきた人生が不誠実なモノだったと知って。
それを自らの手で壊して、潰して、投げ捨てて。
大切な人の精神をとことんまで追い詰めるのだ。
そんな残酷な現実に巻き込まれると言うのに……いや、現実を覆う優しい嘘を自ら剥ぎ取れと言われたと言うのに。
すべき事を与えられたアカネは、無邪気で、無敵で、誇らし気で、褒めてくれと言わんばかりの視線をアオに向けている。
一体、こいつは何なのだろう?
疑問に思うより早く。アオはアカネの頭を撫で、上出来だと送り出した。
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