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 怒りとか、失望とか、心配とか、驚きとか、不審とか。

 トキオの行いに対して、様々な感情が湧いては消えていく。

 アカネに向けたって、同じだ。様々な気持ちが生まれては、直ぐに死んでいく。

 慈悲とか、博愛とか、慈愛とか、愛慕とか、悲哀とか。

 正直な所、それが本当に自分の内側から湧いた想いなのか分からない。あいつ等の行為を見て、自分の心で感じて、生み出した感情だという確証が持てないのだ。

 感情とは、外的刺激に対する反応に付けた名の事ではないだろうか?と。例えば、人は青色を見て『青色だ』と思う。それは外的要因に対する反応であって、人の内的な想起ではない。

 そうでなくとも、友達2人へ向けたこの感情が、映画を見て沸き上がる気持ちと同程度の反応でないと、誰が言い切れるのだろうか?

 つまりは、人を見ても人と思えず、自分自身ですら人であるとの確信が持てなかった。

 人間に感情はあるのか?

『あの日』以来、この疑問は悩んで終わりという手遊びではなくなった。

 人間は無駄をする生き物であり、感情が存在しようがしまいが、心が在ろうとなかろうと、人間は沸き上がる衝動に従わなくちゃならないのだと初めて思ったのだ。

 衝動こそが相手を解体し、――を与えたいと言う唯一の不義なのだから。

「つまりは、俺の本能が言っている。やっぱり綺麗なんだよ。あいつ」

 ――思い出すのは月下の景色。

 ――鮮血の化粧を纏う彼女は、本当に綺麗で。

 合理的とは言えないこの衝動は、自滅的な蜜の味。避けられないのなら、死に至らぬ程度に嗜んで、酔っぱらったっていいじゃないかと思うのだ。

「ああ。俺も恋したんだな」

 スイによると、アカネの調書が終わった後に、白崎ハガネの調書を取るらしい。つまり、俺が警察署から出てきたアカネに爆弾を仕込んでしまえば、白崎ハガネはその爆発を防ぎようがないという事だ。

 そこから後はアカネの行動に合わせて、取るべき行動を取っていくだけ。勿論、アカネなんかに運命を任せれば、碌な事に成らないのは分かっている。

 まあ、復讐を始めた時点で、まともな終わりが来ないのは理解していたのだが。

 いや、今思えば俺は復讐を始めたのではなく、復讐を始めさせられたのだ。何たる間抜け。予め定められた破滅へ向かう俺は、売れない芸人よりも面白かった事だろう。

 ああ。環境を整えさえすれば誰かを操れるっていうのは、操られた側としての、恥ずかしい経験に基づいている。

 だから、思うのだ。青を見て赤だと笑い、悲劇を見て爆笑する。誰にも予想できない衝動に任せていれば、自分でも予感できなかった場所に逃げられるんじゃないかと。

「やあ、アカネ。用事は済んだ?」

「え……アオ?」

 トキオの暴行事件の調書が終わり、警察署から出てきたアカネに声をかける。幽鬼のように歩いていたアカネは、涙を拭った。

 やっぱりこいつは、涙や流血が実に栄える。

 肩までの美しい黒い髪、整った顔立ち、透き通るような白い肌、服に隠された完璧な肢体。

 望めるのなら薄く雲の掛かった月明かりの夜。シンと冷える冬の空気の中で。仄かに照らされた体を、彼女の血で真っ赤に染め上げたい。

「今からデートしよう。ただし、ジャージはダメだ」

 俺は言って、アカネに紙袋を渡した。

「なにこれ?」

「マキに服を見繕って貰ったんだ。不満そうだったけど、ちゃんと選んでくれたよ」

「買ってくれたの?」

「ああ、プレゼント。人間っていうのは、理由のあるプレゼントは受け取るモノだよ」

「そうなんだ。理由って?」

「それを着たアカネとデートしたい」

「分かった!」

 やはり、こいつはおかしい。

 あれだけ盗撮されたのが嫌だとか、性の対象として見られる意味が分からないとか喚いておきながら、いきなりジャージを脱ぎ出した。何の色気もない白のブラとパンツを見せ付けてから、可愛らしい布を身に纏っていく。

 これを見越して、周りからは見え難い場所にしておいてよかった。やっと警察署から出て来たのに、即座に露出狂として舞い戻られては堪ったものじゃない。

「荷物になるし、ジャージはここに置いとこう」

「え?なんで?」

「もし無くなってたら、新しいのを買ってあげる。それでいいでしょ?」

「分かった」

 何が分かったのか知らないが。アカネはプレゼントの服の入っていた紙袋に、脱いだジャージを突っ込んで植え込みに放置した。

「行こうか。遊園地、まだ全然楽しめてないでしょ」

「そうね。あ!そうだ」

「なに?アメリカ大陸を見つけたコロンブスみたいな声出して」

「手、繋ご!」

「はあ?……うく、恥ずかしい」

 アカネは感情の写らない瞳で、アオに手を差し出した。

「デートだったら手を繋ぐもんだって、映画で言ってた」

「……どんなベタな映画だよ?」

 恥ずかしさを紛らわせるために、アカネ聞こえないように毒付く。

 アカネに聞こえれば、こいつは馬鹿正直にどの映画の内容かを答えるだろう。別に聞きたくもないというか、いかがわしい映画名とか出てきたら今後に差し障る。

 だって、そのいかがわしい漫画や映画と同じプロセスを辿り、『映画でやってたよ』といえば、いかがわしいことが出来てしまうのである。

「ほら、行くよ」

「へへ。これ、デートだね」

 恥ずかしさを我慢してアカネの手を握る。薄い皮膚を通して生物としての温もりを感じながらも、どうしても思ってしまう。

『こいつは、誰であっても、プロセスを間違えなければこんな風に笑うんだろうな』

 なんて。節操も無く胸に穴が空き、風が吹き抜けた気がした。

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