最終章『新たな夜明けへ』1

 哲学的ゾンビ。若しくは、現象的ゾンビというモノを知っているだろうか?

 ゾンビとはご存知の通り、人間が死んで、腐って、墓の下から這い出てきて動き回る奴だ。動きに感情は感じられず、人間を喰うという単一の行動をのみ行使する。見た目や行動からして人間と違うそいつらは、肉体的ゾンビと呼ばれる。

 肉体的ゾンビと対照的に語られるのが哲学的ゾンビだ。見た目も行動も人間と変わらず、奴らは普通に日常生活を送る。しかし、そこに感情は無く、いうなればNPCの様にオートマティックに行動をする。感情を持たない故に人間とは別とされるのである。

 所謂思考実験の一つで、他人を外側から見ただけでは、人間かそうじゃないかの判断が付かないし、恐ろしいよねという結論に至る。

 しかし、感情の有る無しに人間の根拠を求めるなら、『この俺に感情はあるのだろうか?』という疑問にぶち当たってしまうのだ。

『お前の事は知らないけど、私は感情が在るよ』そんな人が居たら、待って欲しい。

 感情とは何だ?

「バカ」

 右の2文字を見たら、苛立ちのような感情が湧いたかもしれない。

 その感情は、本当に自分の内側から湧いたモノだろうか?

 もし、文字を見たら感情が湧いたのだとすれば、感情は文字の側に存在するのではなかろうか?

 つまり、今までの俺の結論としては人間に感情は『無い』というものだった。

 でも、運命の夜に、この衝動を知ってしまった。

 ――月下にて、血だらけで。獣の様で。アカネを見て俺は目が覚めた。

 アイツを殺したくて殺したくて殺したくてしょうがなくなった。

 これは一時的な反応反射ではなく、焼き付いて離れなくなった原風景への持続的な――。

 ――恐らくは『愛』と呼ぶべき反応なのだ。

「……そろそろかな?」

 自分がしようとしている事の下らなさから、人間はなんて残酷なのかと怒りが過る。

 しかし、それは環境がそうさせているのだから仕方がない。

「頼むよ、可哀想な悪魔。叶う事なら生き延びて、俺に殺されてくれ」

 苦いコーヒーに顔を顰め、これを好む人が居るのかと思案していると、二階から聞こえていたアカネの罵声が止んだ。乱暴に白崎探偵事務所の扉を開ける音がして、階段を下りて来たアカネが何処かへ走り去っていった。遠くなる後ろ姿を喫茶店の硝子越しに目視し、アカネの服に仕込んだGPSでもアカネが離れていく事を確認する。

「この夜の先に、新しい夜明けがあると信じるよ。だから、皆大人しく死んでくれよ」

 残りのコーヒーを胃の中に放り込んで席を立つ。会計を済ませて白崎事務所の下に位置する喫茶店から出ると、足音を殺して二階へと上がっていった。

 娘代わりの女の子を盗撮して、それを糾弾されて落ち込んでいるであろう、キツネ面のいけ好かない探偵を慰めてやるために。

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