4

「所長、アオと会ったの?」

「どうしたんだ、アカネちゃん。藪から棒に」

 学校から帰宅したアカネは、定位置である来客用ソファに座り、ハガネに問いかけた。ハガネは事務机に座ったまま、困った表情で言葉を探す。

「今日、アオと話したら、所長の名前が出てきたの」

「何の話をしたんだい?」

「ん~……なんだっけ?」

 アカネは難しい顔で考え込む。といっても、難しい事を考えている訳ではない。

 一方で、ハガネは固唾を飲んでアカネの動向を見守る。一歩間違えれば、自らが転覆する事を理解しているのである。

「あ!所長が、私のお父さんだとかの話!」

 アカネは思い出せた事で満足するように、うんうんと頷く。

 ハガネは内心では息を呑んだが、動揺はおくびにも出さない。自身の軽率さを悔やみながら、想定の事態の範囲内である事を自分に言い聞かせる。

「それか。いや、道で彼に会ったんだけど、勘違いされてね。訂正する暇が無かったんだよ」

「アオは、騙されたって言ってたけど?」

「お茶目な子だからね。言動がそのまま真実という事は無いだろう」

「あ~、そっか。アオは嘘吐きだもんね。母親が言ってた」

 アカネが子供っぽく頷く。自分が『正解』を踏んだのだと理解し、ハガネは息を吐いた。

 アオが何か仕返しをすると踏んでいたが、アカネを嗾けるとは。ハガネを殺す気はなかったかも知れないが、冷や汗ものの逆襲であった。

(コレに喰わせられれば、それでお終いなのに。扱い難いポンコツだ)

 ハガネは平静を装いながら、アカネのスイッチを切り替えに掛かる。

「ところで、私の頼んでいた件の調査は進んでいるかい?」

「どの件?」

「女子大生連続失踪事件だよ。正直言うとね、その黒鉄葵君が、犯人候補なんだ」

「アオが!?……って、前から言ってたっけ?」

「…………そう。茅ヶ崎ユウミ、寝屋川フユキの2人の女子大生が、相次いで失踪している事件。警察では、バラバラな事件として扱っていたが、サカキ刑事が2人に共通点を見付けたんだ。といっても、違和感という程度の小さい物で、警察内部で発言出来る程じゃなかった。それで、ウチに依頼が回ってきた訳だね」

「そうだってね」

「それとは別に起きたのが、女性連続突き落とし事件。群発的に女性が突き落とされる事件で、階段から突き落とされたり、窓から突き落とされたりと様々な状況だね。この事件発生現場の近くでよく目撃されているのが、黒鉄葵君だ。アリバイがあるものもあるが、偶然の遭遇にしては出来過ぎている。そして、女性連続突き落とし事件での死者は1名だけだが、それが欅タカコ。女子大生連続失踪事件の被害者と共通点を持つ女子大生なんだ。これを数えれば、女子大生連続失踪事件は3件目になる。つまり、彼は3人を殺した殺人鬼だ」

「所長は、失踪した女子大生2人は、殺されてると考えてるの?」

「そうさ。今までは隠蔽が完璧に成されていたが、3人目は何か事情でそれが出来なくなって、殺人方法を変えた。更に3件目である事を隠すために、女性連続突き落とし事件なんて言う新しい事件まで作った。つまり、私は女性連続突き落とし事件を、3人目を殺したいがためのABC殺人事件ではないかと考えてるんだ」

「アガサクリスティだよね。漫画で言ってた」

「そう。特定の人物を殺す怨恨殺人を隠すために、関係ない者を殺して連続殺人を装う。この世でも最も悪質な殺人さ」

「アオがアガサクリスティ……私を突き落としたのも、アオ?」

「その可能性は高いと思うよ。勿論、どうやったって可能性でしかないけど。アカネちゃんが、突き落とされた時の事を思い出さない限りね」

「う~ん、難しそう」

「じゃあ、手を変えなくちゃならない」

 ハガネは、有無を言わせぬ顔つきになる。

「冤罪でも捕まえるの?自白じゃダメだよ」

「いや、もう一度犯行に合って貰う事は出来ないかな?」

「囮捜査?酷いこと言うね」

「私としては、アカネちゃんに思い出してもらうのが一番なんだよ。でも、サカキ刑事にもせっつかれている手前がある」

「そもそもアオが犯人だったら、もう一度同じ相手を狙うなんてしないと思うな~。ああいう感じのクラスメイトは、慎重派だって漫画で言ってた」

「なら、アカネちゃんが黒鉄葵君の監視でもするかい?犯行を見逃さない様に」

「ん~……男子の後付け回してると、目立っちゃうし……」

 アカネはソファの上に寝っ転がり、髪を弄りながら考え込んだ。

 そして、大変な事を思い出したとばかりに跳ね起きた。

「あああ!そうだった!目立つと言えば、告白されたんだった」

「告白?穏やかじゃないね」

「トキオに、付き合ってって言われたの!それも教室の皆がいる所で。しかも、断る前にデートの日取り一方的に言って、どこか行っちゃうし!信じられない」

「すっぽかせばいいんじゃないのかな」

「ダメ!人間は約束を守るもんだって、映画で言ってた」

 色恋においても頑固なアカネの様子には、ハガネも呆れてしまう。

「そ、そうかい……で、いつどこに行くんだい?」

「今度の土曜日に、ダブルデートなんだけど、アオとマキと、私とトキオで遊園地に行くの……はあ…憂鬱……」

「黒鉄葵君の居る所でデートか……しかも、遊園地だなんて危険じゃないか?」

「危険?」

「黒鉄葵君が犯人の候補であることは事実だ。それはいいね?」

「うん。候補なのはいい」

「例えば、突き落とされてジェット―コースターに轢かれるとか、何かの機械の歯車に挟まれるとか、通常考えられない傷を負うかもしれない。アカネちゃんがそれで生きていられる保証はないんだよ?しかも、それを殺人ではなく、『事故』と片付けられるかもしれない」

「たぶん大丈夫だよ」

「大丈夫って、どういう意味でだい?突き落とされないって意味?黒鉄葵くんはそんな事をしないって事?それとも自分はその程度では死なないって?どれか一つでも、確信を以て断定できるかい?」

「できないけど?」

「なら、大丈夫だなんて言えないよね?デートは中止に出来ない?若しくは安全な所に場所を変えるとか」

「それは無理だよ。1回約束したし」

「そうか……なら、私も着いて行くよ」

「え?」

「いや、デートに同行する訳じゃないよ。遊園地に入って、近くで警戒しておこうと思うんだ。何かあるとは限らないけど、念のためにね」

「所長……ありがとう!」

 アカネはソファの手すりから身を乗り出し、花開くような笑顔で礼を言った。

 アオも思った事だが、恐ろしく彼女は美しい。幼さを残しつつ、成熟した女性の色香を漂わせる。

 それは清廉な透明感ではなく、誘蛾灯を思わせる淡い濁り。異性を自身の周りにへばり付かせ、致死量の存在しない猛毒で相手を狂わせる。

 だから、共に住んでいるハガネは既に手遅れで、彼女の賛辞に調子に乗ってしまったらしい。いつもは犯さない凡ミスを踏んでしまう。

「気にしないでくれ。黒鉄葵って奴は、信じられない奴さ。殺人なんて『人間ではない』蛮行を行う。その魔の手からアカネちゃんを守るのは、当然に成すべきことだからね」

 ――ハガネの言葉に、アカネの動きが停止した。

 ピクリと筋肉が蠕動し、ゴキブリでも見付けた様に目を見開く。

「ひっ!」

 空気が凍り付く。自分の失敗に気が付いたハガネは、顔色を変えて逃走する。

 その背中を、悪鬼の如き表情のアカネが追う。

「人間じゃないなんて!どうしてそんな事を言うの!自分は何様のつもりなの!人間は、皆等しく人間なの!それを否定する権利なんて、誰にもない!アンタなんて、人間の最底辺のビチクソよ!腸引きずり出して、口に突っ込んでやる!」

 目は血走り、牙は剥かれ。泡を飛ばしながら、怒鳴り、叫び、口汚く罵り、アカネはハガネに肉薄する。

「ご、ごめんよ!そういう意図で言ったんじゃないんだ!」

「意図?アンタの小さな脳味噌でそんな高尚なモノを生み出せる訳がないじゃない。アンタの口から得るモノなんて、歯垢と口臭くらい!そんな無駄なモノ、引き千切られるべきよ!」

 アカネの指がハガネの腰に掛かる。

「うぐあ!」

 間一髪でアカネから逃れ、ハガネは自分の部屋に逃げ込んだ。大慌てでドアを閉め、ハンドルを回して鍵を掛けた。

 バン!

 と、頑丈な鋼鉄扉が軋み、ハガネは小さく悲鳴を上げた。

「逃げるな!人間は逃げちゃダメだって漫画で言ってた!人間じゃないっていうの、アンタは!そんな訳ないでしょ!逃げないでよ!」

「に、逃げてないよ!自分の部屋に急用があったんだ!それよりアカネちゃん!人間はドアを壊さない……分かるね?君は人間だ。そんなおかしな真似はしないよね!」

「……確かにそうね。女の子は、はしたない事しちゃダメって、漫画で言ってた」

 ハガネが悲鳴の様に訴えると、狂ったように扉を叩いていたアカネの手が止まった。スイッチが切れたみたいに静かになると、ブツブツと何か漏らしながらソファに戻っていく。

「たす……かった……?」

 ハガネは息を殺して、アカネの停止をドア越しに願う。暫く音を殺してアカネの再起動がない事を確かめてから、へなへなと座り込んだ。

 荒くなっていた呼吸を、唾の様に吐き出した。スーツは汗でぐっしょりと濡れ、頬には涙の筋が出来ている。腰からはドロリとした赤が、痛みと共に染み出てきた。

 アカネの指の先が引っ掛かった時に、肉を抉り取られたのだろう。指が後一センチ深く掛かっていたら捕まっていたのであろう事実に脳がひり付いた。

「どうしてこんな魔窟で生きなきゃならないのか…こんな、化け物の館……」

 ハガネは、アカネと初めて会った時の事を思い出す。そして、なぜ自分だけが生き残ってしまったのかと不運に震えた。

「なんて自問、もう飽きた。とにかく食われて堪るか……私は生き延びるんだ……」

 ハガネは血と汗で染まった白スーツを脱ぎ、床に投げ付ける。

 アカネに聞こえない声で、『ビッチめ』と吐き捨てた。

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