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「捜査協力お疲れさん、アカネ」

「あ、サカキ兄。本当に疲れたよ」

 警察署の廊下に設置された椅子で休憩していたアカネは、既知らしい刑事に声を掛けられた。サカキと呼ばれた刑事は、コーヒーの入った紙コップ片手にアカネの横に座る。

 アカネは、ニジコの件を通報した後、被害届の提出や事情聴取のために警察署に来ていた。緊急を要する事件でもないので後日の手続きでもよかったのだが、トキオが即時の解決を強く願ったためである。

「馬場園の件、通報してくれたんだな」

「そそ。偶々遭遇しちゃったの。ニジコちゃん、大丈夫そう?」

「怪我は言う程でもないな。でも、精神的に怯えてる」

「犯人分かりそう?」

「う~ん……馬場園が、襲われた時の事を正確に覚えてないらしいから、何とも言えないな。というか、あれは何か隠してる」

「隠してる?」

「ああ」

 サカキは優し気に微笑む。

「扱い難い年頃だからな……これから目撃者とか監視カメラを洗ってみるけど、期待薄だと思う」

「大した事ない事件だしね。警察は本気出さないね」

「言うなよ。そうだけどさ」

「あの辺の巡回は強化するの?」

「それはするな。良く分からん事件が多発してるから、それらへの警戒も兼ねてだが」

「へ、へ~…そっかー…」

「微妙な反応だな」

「そ、そうかな?」

「……なるほどな」

 アカネの反応に、サカキは何かを察したらしい。周りに誰も居ない事を確認してから、アカネに顔を寄せて小声で尋ねた。

「あの近辺に、なんかの事件の犯人がいるのか?」

「まだ犯人と決まった訳じゃないよ。でも、一応ね」

「勘弁してくれよ。女子大生連続失踪事件に、女性突き落とし事件、連続放火事件、異臭騒動その他諸々。面倒な事が立て込んでるんだから、私刑は大概にしてくれ」

「なんで?罪が確定したら、手続き取らずに裁いた方が、楽でしょ」

 アカネがあっけらかんというので、榊は苦笑するしかない。

「外道をするには、それなりのリカバリーが要るんだ」

「事後処理は大変そうだけど!でも、決定、実行の早さは、何事にも優先されるって映画で言ってた」

「確かに、お前達に回す事件は警察の手に負えない事件で、超法規的な行為も必要になる。警察が暴力装置として位置付けられている以上、第三者的に証拠を開示しなきゃならないのに対し、証拠さえあれば行動してくれるお前達は重宝する。けど、そういう恩恵にあやかりながらも、言わせてくれ」

 サカキは真剣な目をして、アカネの顔を正面から見た。

「人間が人間を裁くのに、傲慢に成っちゃいけない。たとえ放棄するにしても、人間が決めた手続きを心に描きながら、人間が決めた刑に沿って裁定しなくちゃならない」

「傲慢でも、それはそれで人間でしょ?映画で言ってた」

「畜産とか農業とかあるだろ。牛とか馬とか育てて食うヤツ」

「あるね!」

「育てて食うのに特別な感情はないんだよ。同時に人は牛とか馬とかを可愛いと思ったり、場合によっちゃ崇拝までする。そこには当然相手を認める心がある。

 二重に存在する無関心と関心。その二律背反が人間だ。いやこの際、忘却と記憶と表現しようか。

 私的な制裁っていうのは、自ら進んで忘却のみに進んでしまう。相手から人間性を剥奪し、細かな事情は鑑みず、その人の欠落によって悲しむ人達の存在も消し去ってしまうんだ。つまり、世界から目を逸らし、自ら望んで馬鹿になることに他ならない。

 その結果論としての他者評価が傲慢だ。全ての関心を炉の中に投げ入れて、馬鹿に成り下がった人間は、人間の機微を失ってしまう。それは神の視座だけど、人間は神になんてなれない。

 馬鹿になることで高みに至り、しかし馬鹿故に何の意味も持たないアセンデット。そんな皮肉的な存在をこそ、『悪魔』っていうんじゃないか?」

 サカキは聞こえ難い音量で、独白の様に口にする。そして、ついぞ声を潜めて、我慢ならないように吐き出した。

「アカネはきっと、それとは違う。神に成れる器だ」

「何か言った?」

「いや、気にしないで良い」

「そ。つまり、傲慢に成り過ぎた人間は、最早人間ではないって事?」

「私的な見解でしかないけどな」

 アカネは、成程と唸った。

「傲慢に成らない為には、どうすればいい?」

「人に関心を持つんだ。この人は何を喜んで、何に悲しむのか?どうすれば自分を好いてくれるのかを考え、相手の行動に一喜一憂する」

「難しそう」

「難しくないさ。誰かを好きになればいいだけだ」

「私は、皆大好きだよ?」

「博愛じゃなくて、憎愛の事を言ってるんだけどな」

「憎むのはダメだって、映画で言ってた」

「伝わり難いか。綺麗に言うと、俺はアカネに恋をしてもらいたいんだ」

「恋……恋してると思うけど」

 アカネは、自身を確かめるように言った。アカネの言葉に、サカキはつまらなさそうな顔をする。

「恋してると言えないと思うけどな。あ、試しに俺に恋してみるとかどうだ?」

「サカキ兄に?う~ん、でも、私の初恋は所長だから」

「所長ねえ。ま、チャンスがあれば飛びついてみろ。恐れずに、自分の衝動に従うんだって事で」

「できなきゃ、人間じゃないかな?」

「それは……そんな事も無いけどな。思い悩まなくても、アカネは人間だ」

「うん。サカキ兄、ありがとう」

 アカネは椅子から立ち、鞄を提げた。

「私、帰るね。学校行かないと」

「今からか?警察の事情聴取の在った日位、サボってもいいだろ」

「サボりなんてダメ!清い学生生活こそ、健全な人間生活の基盤だって、漫画で言ってた」

「あー……いや、分かった。頑張れよ」

「うん!頑張って来る」

 アカネは元気よく言うと、警察署の出口へと走っていった。

 夜は既に明けており、空ではカラスが鳴いていた。警察署から学校まではかなりの距離があるが、アカネの脚を以てすれば始業時間に間に合うだろう。

「神様は、アイツをどうして虐めるんだろーな」

 サカキは冷めてしまったコーヒーを飲みながら、アカネの背を見送った。

 懸命に『人間らしい』生活をなぞる姿は、滑稽に思えてならない。

 普通の人ならばこうするだろう。

 一般的な人ならこう思うだろう。

 アカネの思考はそんな下らない事で埋まっている。

 人間は、本能に従って生きれば自動的に人間になる。勿論、時には非人間的な行いもするし、鬼畜的な素行を持つこともある。けれど、それを含めての人間だろう。

 しかし、オートマチックに人間になれない彼女は、マニュアル操作で『人間らしく』振る舞うしかない。常に心に刻んだマニュアルを参照しながら過ごしている。突発的な『ミス』でさえ、人為的に行わなければならない体たらくだ。

 そんな心に『愛』など生まれるだろうか?

 間違いを間違いのまま受け入れ、衝動のままに相手を求める。アカネが人間らしく生きるために排しているモノこそ、自身を人間らしく過ごさせるための必須であるとは酷い話だ。

「まっずいな……こんなモノ好きな奴の気が知れねーぜ」

 サカキは安いインスタントコーヒーを口に含み、文句を垂れる。一気にカップを空けると、空のカップをゴミ箱に投げて、仕事に戻っていった。

 握り潰されたカップは、ゴミ箱の蓋に弾かれて廊下を転がっていった。

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