6
深夜十二時も過ぎた頃、アオは夜の住宅街を歩いていた。寒さのピークは過ぎ去ったが、冬の夜はしつこく蔓延っている。冷たいと言うよりも硬いとう印象の空気を押し退けながら、アオある場所に向かっていた。
アオの左肩には、大きめのショルダーバッグが掛けられている。生地の軋み具合から見るに、中身はかなり重いと推察出来た。
「いい加減にしてよ。人を付け回すのは趣味が良くないよ」
人気の無い道を一人進んでいたアオは、足を止めて振り返る。誰も居ない道路に問うてみるが返事はなく、声は点々と点る街灯に吸い込まれていった。
「……」
「やれやれ、面倒な子だね。君は」
アオが停止を続けていると、やがて諦めたような声が返ってきた。脇の道から出てきたのは、白いスーツを着た、キツネのような顔をした男だった。
「本当に出てくるとは思ってなかった。ブラフで声を出しただけなのに、素直な人だね」
「これはこれは、心にもない事を。隙が有れば襲い掛かってやるって目をしているよ」
「さすがによく分かってる。返り討ちにしてやるって目をしてる、おじさん」
アオは上着のポケットから手を引き抜き、ショルダーバックの肩紐に右の親指を掛けた。
男が間合いに入れば、工具満載のショルダーバッグをぶつけるぞというアピール。男は見え見えの挑発には乗らず、薄ら笑いを浮かべたまま距離を保っている。
「初めましてかな?黒鉄葵くん」
「アンタ、誰?」
「白崎ハガネというモノだ。以後お見知りおきを」
「白崎?アカネの知り合い?」
「父親とでも言っておこうか」
「その父親が、何の用?」
「アカネちゃんの怪我について、聞いておこうと思ってね」
「怪我?いつの間に怪我したのさ、アイツ」
「いつの間に?変わった物言いだね」
ハガネは興味深げに考え込んだ。
「放課後に会った時は怪我してなかったし、さっき見かけた時も怪我している様子はなかった。ジャージ着てたから詳しくは見えなかったけど、歩き方に不自然な所はなかったよ」
「アカネちゃんに、さっき会った?」
「何故か知らないけど、俺の家を見張ってたんだ。娘に言っといてよ、夜遊びは程々にって」
「そうか……アカネちゃんは、自分を階段から突き落とした犯人が、葵くんだと思っているのだろうね」
「階段から落ちたのが、怪我の原因?」
「ああ。誰かに突き落とされたらしい。クラスメイトとして、心当たりはないかい?」
「アカネは変な奴だから、皆にイラつかれてるよ。完全にクラスで浮いてるし。ちょっと前にトキオの告白断ってから、トキオに付き纏われているのも心当たりかな」
「おいおい、あの子は健全な人間生活を送ってるんじゃないのかい?」
「逆に聞くけど、そんな難しい事アカネが出来てると思うの?」
ハガネは蒼の質問には答えず、渋い顔で話を続けた。
「……そのトキオっていうのは、隣のクラスの馬場園トキオくんの事かな?」
「露骨に流すね。そうだけど。でも、トキオは今日早く帰ってたから、犯人じゃないと思う」
「何時くらいに帰ったんだい?」
「学校終わってすぐかな」
「それは確認した事かい?」
「そこまで厳密に迫られると困る。友達、全部を見てる訳じゃないし」
「そうだね。君が最後にアカネちゃんに会ったのは、いつかな?そして、それまで君は何をしていた?」
「……アカネは、昨日帰ってくるの遅かったでしょ?」
「……私に質問かい?」
アオが質問をすると、ハガネの声が一気に不機嫌になった。
ハガネもまともな奴じゃないなと察したが、アオは努めて声色を変えないようにする。
「色々聞いてくるなって思ったから、質問返し。おじさん、職業は刑事さんか何か?」
「失礼。職業父親として、娘が心配なんだ」
「そんな派手な白いスーツ来た、職業父親が居る?」
「居るだろう、そりゃ」
「その服装はおじさんの趣味?それとも会社からの支給品?」
「趣味さ。仕事場では地味なスーツを着ているよ」
「昼間は地味だけど、夜中には派手な格好で男子学生を付け回す、と。変態じゃないか」
「不良少年を気に掛けるのは、社会人として当然の慈悲だよ。『さあ少年、更生しよう。今ならまだ間に合う』ってね」
「似合わないね」
ハガネの大げさに手を広げる様が本当に似合わなくて、アオは少し笑いそうになった。
「そう言えばアカネの家って、探偵だっけ。仕事場ってどこ?」
「知ってたんだね。性格の良くない子だ」
「俺が恍けてたみたいな言い方は失礼だよ。珍しい職業だから、クラスで話のネタになってたなって、今思い出しただけなのに」
「アカネちゃんに、あまり話さない様に言っておかないとね」
「で、いつアカネに会ったかだっけ?昨日の放課後は、一旦帰ったけど、忘れ物したから学校に戻ったんだ。その時に話をした。何時かは忘れたけど、夕方」
「なるほど」
「答えたから、聞いて良いよね?なんで、探偵さんは、夜更けに俺を付け回してる訳?」
「今、ある事件の捜査中で、歩き回っていたんだ。それで君を見かけて、興味本位で付いてきただけさ」
「たまたま……ね。何の事件?」
「教えると思うかい?」
「思うね。コミュニケーションは大切だし」
「ふむ。まあ、君も無関係ではないから教えていいか」
ハガネは鋭い目つきで、アオの目の前に情報を並べていく。アオの反応の一つも見逃すまいとしているようだ。
「最近、女性が突き落とされる事件が多発しているんだ。軽いものなら、階段から突き落とされたりって感じだけど、中には橋から落とされたり、ホテルの窓から突き落とされたりって事もある」
「怖いね。俺に無関係じゃないって、どの辺の話?」
「被害女性が、少なからず君と面識があるって事さ。少なからずっていうのがポイントで、知り合いから、一言二言話しただけの者まで様々に居るけど」
「狭い町なんだ。俺は社交的じゃないけど、顔を合わせるだけの相手なら結構いる。声を交わしただけで関係者っていうなら、住民全員に対して住民全員が関係者じゃない?」
「大袈裟な言い方は良くないね。真実を覆い隠してしまう。まあ、そういう訳で、仕事中なんだ。ついでに荷物を検めさせてもらえないかな」
「嫌だね。プライバシーの侵害だ」
「分かったよ。なら………失礼。電話だ」
「気にせず出てよ。俺はもう行くから」
「ああ。また会おう」
ハガネは携帯を取り出し、ディスプレイに写った相手の名前を見てこめかみを抑えた。アオはハガネの脇を通り、元来た道を引き返していく。
「葵くん、目的地にはいかないのかい?」
「月が綺麗だから、散歩してただけだよ。行く当てのないこの足さ」
「そうかい。これからも綺麗だといいね」
「月はいつだって綺麗さ」
「けれど、人間の目は直ぐに曇るものさ」
「……探偵っていうのは、偏見で食う仕事でしょ?それこそ始めから曇ってる。その特異性を一般化するのは良くないと思う」
「偏見こそが知性というヤツさ」
「知性……そんなモノ人間にあるのかな?」
アオは小さく呟いて、ショルダーバッグを担ぎ直した。
ハガネは面倒そうにアオの背中から目を切ると、携帯の通話ボタンを押したのだった。
「あの反応は黒かな。さて、アカネちゃんをどう説得するかな?」
電話の相手と話をする直前、ハガネはそんなことを呟いた。
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