土曜日Ⅲ

「あの、入ってもいいかな?」


 昼過ぎにやってきた七色先輩を見て僕の中で警報が鳴った。いつもなら七対三の割合で肌が多く見えているところなのに、今日は長袖のシャツにデニムといういたって普通の格好だ。露出度が正常値に保たれている。きっとなにかを企んでいるに違いない。


 僕の警戒を悟ったのか、先輩が曖昧に笑う。


「別に変なこと考えてないよ。あえて隠したほうがそそるかなとか、そういうことじゃなくて、今日は、その……」


 言葉が尻すぼみになっていく。視線を逸らしてもじもじとする。いったいどうしてしまったんだろう。今日の輪子先輩ははっきり言って変だ。


「そんなに変、かな……」


 とりあえず部屋にあげて、飲み物を用意する。先輩はその間も大人しく座布団に座っている。ベッドで匂いを嗅ぐ変態的行為も今日はしないらしい。まるで借りてきた猫状態だ。


「今日はね、いつものお礼を言おうと思って」


 先輩は僕の淹れたインスタントコーヒーを二口すするとそう切り出した。僕はそんなの必要ないと手を振る。僕のほうこそいつも先輩にはお世話になっているのだから。


「ううん、そんなことないよ。いつもあなたがいてくれるから、私はこうしていられる」


 先輩の言葉は嬉しいけれど、それは過大評価だ。僕はなにもしていない。僕のほうこそ先輩がいなければ、こんなにも人間らしい生活は出来ていないだろうと思うし。


「それとね、ひとつ伝えときたいことがあるの」


 そこで息をひゅっと吸って、先輩が言葉を止めた。言い出しづらいのか、口を結んだまま俯く。前髪が垂れ、先輩の表情を覆い隠した。カチコチと時計の秒針の音が響く。僕は先輩の言葉を待ちながらコーヒーをすする。


「…………」


 先輩が俯いたままに手招きをする。なんだろうと思いながら僕が促されるままに近づく。先輩の手が僕の襟を掴み、ぐっと引き寄せた。かと思うと、頬に柔らかな感触。そして先輩のいたずらっ子の笑み。


「えへへへ、引っかかったー」


 語尾に音符マークでもつけたくなるような陽気さで先輩が笑う。やったやったと小躍りをして喜ぶ先輩。僕は呆気に取られて、頬に手を当てていた。


「これが私からのお礼よ」


 そう言うと先輩は「さて、用事も済んだし帰ろうかな」と立ち上がり、すたすたと玄関へと向かった。僕はきょとんとしたままに見送りに向かう。


「私の唇、どうだった? もっと大人なこの続きはまた今度ね」


 んーまっ、と濃厚な投げキッスを飛ばして、先輩は帰っていった。いつも通りの輪子先輩だったが、最後扉が閉まる寸前に見せた寂しげな表情が、やけに気にかかった。

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