水曜日Ⅲ

 甘い。

 虚ろな意識の中で僕は最初にそう感じた。


 唇に触れている柔らかく温かい感触。するすると忍び込むとろけるような匂い。ゆっくりと目を開くと、先輩の端正な顔立ちがすぐそこにあった。


「おはよう。恋人のステップ、あがる?」


 耳元をくすぐる声。弱った身体が休息を欲し、猛烈な眠気に襲われている。意識が海のように広がっていき収束しない。今日は何曜日だっけ。輪子先輩がいるから、土曜日かな……。


 鼓動に合わせて頭痛がする。内側をハンマーで殴打されている。身体は古いエンジンのように熱暴走を起こし、関節が錆びたように軋みをあげる。昨日雨に打たれたせいで風邪を引いたらしかった。


 瞼が落ちていく。先輩の色素の薄い灰色の目に優しさが浮かんでいる。まるで聖母のような優しさに包まれて、僕はミルク色の眠りの中に落ちていった。


「おはよう」


 次に目を覚ました時にはもう夜だった。窓辺に座った七色ななしきしずく先輩が本を置いてこちらへとやってきて、手を伸ばし僕の額へ触れる。冷たい。先輩が頷く。


「熱はひいたみたい。よかった」


 相変わらず雫先輩の感情は読めないが、どうやら僕の心配をしてくれていたようだ。一日僕のそばにいて看病をしてくれたらしい。僕が礼を言うと、彼女は首を横に振った。


「なにか食べる?」


 先輩が袋から物を取り出して並べていく。僕が寝ている間に買い物に行ってくれたらしい。レトルトパウチのお粥各種・栄養ドリンク・十秒で飲めることを売りにしているゼリー飲料etc。


 卵粥を指さすと先輩が電子レンジで温めてくれる。一分半ほど加熱すれば食べごろだ。優しい出汁の香りがふわりと広がる。卵の黄金色がまぶしく見えて、僕のお腹がぐうと鳴る。


「熱いから」


 そう言って先輩がスプーンを自分の口元へと持っていくと吐息をかける。湯気がゆらりと揺れて、僕もぐらりと揺れた。雫先輩の血色の良い唇に視線が釘付けになる。


「はい、口開けて」


 言われるがままにすると口内に卵粥がどろりと流れ込んでくる。薄い味付けのはずだが、身体が欲しているのか塩分をしっかりと感じて美味しい。先輩はすでに次の一口を用意してくれていて、僕はわんこそばのごとく食べ進めた。ぺろりと一袋分を平らげる。栄養を摂取して元気を取り戻した身体が熱を持ち、汗がぶわりと溢れ出す。


「汗拭くから、脱いで」


 タオルを片手に先輩が言う。恥ずかしくて躊躇っていると強引に脱がせようとさえしてきた。今日の先輩はやけに積極的だ。


「ふふ、こういうシチュエーションもいい」


 背中を拭く先輩から聞こえた言葉に、僕は思わずカレンダーを見る。今日、土曜日じゃないよね?

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