現実との対話Ⅰ

「それで調子はどうだ?」


 相変わらず部屋は薄暗い。分厚いカーテンが日光を遮った室内の明かりと言えば、壁際の大きなアクアリウムと先生の口元に灯る赤い点だけだった。


「なにも変わりなくか。それはいいことだ、少々つまらんが」


 すぼめた口から煙を細く吐き出す。紫煙はくるくると渦を巻きながら天井へと昇り、ぶつかって散り散りになって消えていく。部屋の隅に沈殿する闇と先生の吐く煙とが混ざりあって、この部屋はモノクロになっている。


「律儀に毎週通ってくれるのはありがたいが、私にできることなんてなにもないぞ。お前にその気があるかどうか、それだけだよ」


 自分の仕事を放棄するつもりか。


「そう文句を言うな。この仕事はそういうものなんだ。あれこれと手を変え品を変え、患者を騙す詐欺師みたいなものさ。傷を癒すことなんてできやしない。目先をずらして傷を見えなくするのが関の山だ」


 先生が肩をすくめておどけてみせる。咥えタバコで目を細め、肩をすくめるその姿はまるでロードムービーに出てくる女優のようだ。だらしなく着崩した白衣すらそれらしく見える。


 先生は僕の主治医だ。まだ若いが腕はあるという。

 それで先生、今日はいったいなにをするのだろうか?


「いつもと同じ。私とおしゃべりをしよう」


 ほら、と指で挟んだタバコで促してくる。水泡の弾ける音。アクアリウムの水草の上を悠然と泳ぐ大きなアロワナ。口をパクパク。


「……相変わらずだな」


 先生が灰皿でタバコをもみ消す。かと思えば新たなタバコを咥えて火をつけた。ライターの小さな雫型の炎が暖かな光の輪を作る。


「何度も言ったとは思うが、どの検査をしても問題ないんだ。お前の喉にはなにも異常はないよ」


 それでも。


「あとは精神的な問題なんだ。


 だから私にできることはもうないよ。と先生は投げやりに言う。それでも僕の主治医なのか。僕は文句を言うべく手を動かした。


「だから、こうして毎週治療という名の雑談をしているんだろう。一応、主治医としてできることを模索しているわけだ」


 悪びれもせず先生はそう言った。美味しそうにタバコをむ。


「私が気になるのはお前よりもあっちだよ。……わからないような顔をするな。わかってるだろう。七色ななしきだよ」


 七色先輩。


「そうだ、七色だ。知らないとは言わせないぞ。私の知る限りこんな珍しい苗字は彼女ひとりだけなんだ。お前の初恋の彼女」


 初恋の七色先輩。


「そう、彼女だよ」


 先生の吐く煙が視界を覆い尽くす。薄墨を流したように流動的に姿を変えるそれに、過去の光景がフラッシュバックする。先生の声が遥か遠くから聞こえてくる。タバコの火種が赤く灯る。


「彼女――

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