第七話 実家へ挨拶に行こう
ミザ王国は横長の国。それというのもかつて戦争をしていた隣国を丸ごと併合したから。
でも色々な事情から遷都とかはできなくて、仕方なく旧ミザ王国の王都をそのまま新ミザ王国の王都に据えた。国の逆側の端っこはちょっと遠いけど、統治は上手くいっている。中枢から地方が遠すぎると良からぬ企みとかありそうなものなのに。隣国の元王都みたいな大きな街もあるのに。
でも大丈夫。謀反なんて起きません。そんなものよりよっぽどデンジャーな奴がいるから。
ミザ王国旧アデリック王国領の山中深く。
空から見ればぽっかりと穴が開いたような盆地に、木造の小さな家がまばらに立ち並ぶ集落があります。
その中で一際大きな一軒の屋敷にアルハレンナとその従者として一人の若い騎士がいました。
盆地の夏でもひんやりと冷たくつややかな黒木の床の上に敷かれた絨毯の上に直接正座を組み、一段高い場所に座す相手を仰ぎ見る形。
デルニシテのクーデター以来、その支配から離反したミザ王国の戦力の七割をまとめ上げる総大将となった戦乙女、アルハレンナ。
彼女が見上げる相手など、この国には二人しかいないでしょう。
一人は父と共に忠義を捧げたミザ王。軍将として仕えた主。
ではもう一人は?
それはこの国に住む生ける伝説。
戦鬼、魔女狩り、尖り歯の王といくつもの名を持つ傭兵。
「よく来たな。俺が、イドだ」
女奴隷を集めた傭兵は、上座から睥睨するように二人を迎えた。
素肌の肩に漆黒の毛皮を羽織り、肘置きに身を預ける不遜な態度。
覗く肌は余すことなく鍛えられ傭兵の中では矮躯とさえ言える身体を大きく見せる。
顔へ袈裟斬りに刻まれた裂傷は右目を潰すように痕を残したが、開いている左目の眼光は幾分か穏やかで。
年齢の割に若々しく未だ獣の荒々しさと青年の精悍さを備えた男は、一応二人を歓迎しているようだった。
「お目通りが叶って光栄です、傭兵イド」
そんな男にアルハレンナは躊躇なく頭を下げた。同行する騎士も慌てて追随する。
二人とも慣れぬ正座ゆえにぎこちない所作ではあるが、気にするイドではない。
「名乗ります。我が名はアルハレンナ・シームーン。都を追われながら未だ王を仰ぐ身として志を同じくするものを束ねるもの」
「な、名乗ります。我が名はマーカス・アルデミル。アルハレンナ様の麾下で栄えある側仕えを拝命しております」
「……その名乗りを聞くと今でも腕が疼く。どうだ、どっちか俺と立ち合わないか」
「ご冗談を。我々では二人がかりでも無聊の慰めにはなりますまい」
「最強の軍将、焔のアルハレンナらしくもない空々しい言葉だな。……そう怯えるな従者。客に喧嘩を売るほど飢えてはいない」
「怯えてなど!…あ、申し訳ありません……」
くっくっ、とからかうように戦鬼は笑った。
そんな男をアルハレンナは危険だな、と思う。
魔女狩りの一戦以来、イドは戦場に出ず故郷に引き籠っている。
それが国に配慮してのことなのか単に一族や里の復興に励んでいたのかを知るものはいないが、誰もが少なくとも怪我が原因の引退だとは思っていない。
実際に会って確信した。故に、アルハレンナは本題を切り出す。
「傭兵イドに、依頼があります」
「……ほう?」
「デルニシテに勝つ方法を教えてください」
「……ほう」
その眼に覗かれたとき、アルハレンナは己の肌が粟立つのを感じた。
先程と変わらぬ機嫌の良さそうな、しかし獰猛さを隠そうともしない獣性の笑み。
その左目だけがこちらに牙を立てるような凶暴な輝きを見せた。
……笑えない。何が最強の軍将。
わかってしまう。この男は生まれながらの捕食者だ。強きも弱きも平等に喰い吼え猛ってきた、人と言う名の獣。
視線一つで理解させられた。
目敏く女の変化を見て取った男はばつが悪そうにうなじに手をやる。
「……いけねぇな。お前は美味そうに見え過ぎる」
「……重ね重ね、光栄なことです。ですが、あなた相手にも屈するわけにはいきません」
「ああ、だろうな。お前はデルニシテの奴隷だ」
「……え?」
呆気に取られる。
背後で従者がにわかに色めき立つのを感じた。騎士は反射的に膝を立て横に置いた剣を手に取り抜きかける。
「イド殿…今の発言この若輩には量り兼ねる。だが、我が主への冒涜は看過できません」
「やめろマーカス。家中だぞ」
すぐさまに女主人は従者を諫めた。だが、視線は前に向いたままだ。こめかみを汗が滑り落ちていく。
従者は歯噛みしつつも剣を収め元通りに座り直すが、少しばかり腰が高い。次はない、という姿勢だった。
対する獣は眉一つ動かさずまたからかうように笑う。嗤う。
「違うのか?デルニシテめ、いい女を見つけたものだと感心したんだがな」
「違います。私は、奴の敵として立つもの」
「本当にそうか?お前の匂いは正直だ」
「貴様……!!」
再び腰を上げた騎士に対しイドは微動だにせずむしろ笑みを深めて見せる。
「抜くなよ従者。抜くならもう一度名乗れ、俺は殺す奴の名は覚えんぞ」
纏う殺気の凄絶さこそが既に抜き身。否、剥かれた牙か。獣は座したままに騎士と相対した。が、
「やめろ。…マーカス、下がれ。一対一で話す」
そこで主人が割り込んだ。いくら若くしてアルハレンナの側仕えに抜擢された精鋭であっても相手が悪い。他者の運命を捕食してきたもの相手の戦いなど教えてはいないのだ。
若い騎士はそれでも少しの間は激情のまま獣を睨んでいたが、最後には剣を差し直し怒気冷めやらぬ様子で部屋を出ていった。
改めて向き合う。今は先程のような悪意は伺えない。どころか表情を浮かべるのさえ無駄と言いたげな、ある意味息子にも似た空虚な顔をしている。どうやら先程も気遣ってくれたらしい。
「……いい騎士だ。最初は無意味に委縮していたくせに最後には気迫りを見せたぞ。教育が徹底している。高く売れる手の人間だ」
言葉も発音は綺麗だが抑揚が少なくなり特有の癖らしきものが出ている。こちらが本性、なのだろう。
「誉め言葉として受けておきます。それで、本題なのですが」
「ああ……やめておけ。あれは俺の手にも負えん」
「デルニシテはあなたの方が強いと言っていましたが」
「あいつは思い込みが強い。子供の頃何度か転ばしたのを勘違いしてそのまま成長したんだろう」
「では、デルニシテの方が強いと?」
「ああ、あいつの方が強い。お前はわかっているだろうが、俺とあいつは明確に違うものだ。そして、お前とも違う」
「……なんとなくは、わかっていました。でも、あなたの言葉を聞いてよかった」
「私ならデルニシテに勝てる。私しか、デルニシテには勝てない」
「……聞かせろ」
アルハレンナは抱えてきた策を語る。最初からここに来たのは最後の確認をするためだった。腹心にすら明かせない、デルニシテに勝つためだけの策が、ここでようやく整った。いやそれでも正直なところは五分。それでも。
この世界で唯一、デルニシテに勝ち目を得た。
全てを聞き届けたイドは笑った。
後にも先にもこれほどまでの呵々大笑は見せなかったと記録に残るほどの、それは快い大笑いだった。
「……くく。成程な。これがお前にしか取れない勝ち筋か。いや、納得した。お前にならあいつを…ふ、くくく…」
「ありがとうございます。奴の牙は必ずや私がへし折ってみせます」
「はは……いや、悪かった。最初は俺を雇ってあいつにぶつける気なのかと思ったが、最強の軍将の名は飾りではないな。度肝を抜かれた」
「それも考えました。実際、あなたであれば奴を抑えうると思っています。ですが、それでは足りない。私は私が奴に勝つ方法を模索していた」
「…そうか。気に入った、外へ行きたいと言う奴がいれば連れていってもいいぞ。時間稼ぎにくらいは使えるだろう」
「いえ、結構で『ぬわーっ!!!!!???』」
「「……?」」
聞き覚えのある、突然の悲鳴。
二人して表に出てみれば、なんともはや、倒れ伏す若い騎士と木剣を掲げ勝ち誇る少女、囃す子供の集まり。
「……マーカス、これは?」
「あっ、アルハレンナ様!この子たちめちゃくちゃ強いんです!子供と遊ぶくらいならと思ったらこれです!剣持ってるし剣で戦うのかな、と思ったら力ずくでぶん投げられました!」
「ええ……?」
「本当なんですって!イド殿!あなた近所の子供にどんな戦い方教えてるんですか!」
「全部俺の子か孫だが」
「ええ!?会報に書いてあったことは本当だったのか……すごい……」
……とまあ、そんな一幕もありましたが二人は無事帰途につきました。
その直前、会談中には姿を見せなかったイドの奥方、もとい女奴隷何人かと会って話もしました。
客を迎える時はいつもこうして話が終わるまで別の場所へ行くとのこと。それでもあの大笑いを聞いて居ても立っても居られなくなったとか。
「いじわるされませんでした?イドさん、美人はすぐいじめたがるんですよ」
「いえ、丁重に扱っていただきました。私では物足りなかったのでしょうね」
実際、強さと美しさの塊などと呼ばれるアルハレンナさえ紛れるような美人の多い里でした。中でも今話しかけてきたのは気品と年齢を感じさせない美貌を兼ね備えた、貴婦人と呼ぶに値するような女奴隷で。
「そんなことありませんよ。でも、ふふ。ご主人様、楽しそうでよかったです」
「……あの」
「はい?」
「私の知り合いに、ここから来たという男がいまして。嘘か真かはわかりませんでしたがとにかく父と呼ぶイド殿のことを誇らしく語る男でした」
「でしょうね。みんな、イドさんのことが大好きですから」
「ええ。でも、外へ出たのは母のためだと。いずれ母の願いを叶え里へ戻るのだと、それは晴れやかな表情で言っていました。奴ならいずれ成すでしょう。その息災を伝えたかったのですが…母君が誰かまではわからず。ぜひ、心当たりがあれば伝えていただければと思います」
「……ふふ。ええ、わかりました。確かに伝えますよ。心当たりはありますから」
最後まで穏やかに笑い見送ってくれる貴婦人に手を振り、里と近くの街を往復する馬車へ乗り込む。
こうしてアルハレンナは勝利の鍵を握り戦場へ舞い戻る。
その目論見通りに、デルニシテに敗北の苦渋を噛み締めさせるまで、もうすぐ。
馬車は揺れる。来たるべき運命を乗せて。
「……ところで、その子は?」
「え?ああ、なんでも街へ出るそうですよ。この馬車、乗り合いですからね」
「なのるなら、コルナタともうします。どうぞおみしりおきを、祖父イドのお客人」
「ふむ……コルナタくん、イド殿は多くの武技をそれぞれ向いていると思った子に授けているそうだが、君は何を?見たところ得物らしい得物は見当たらないが」
「ぼくはたたかいにきょうみがないので。祖父はけいこをしいません」
「なるほど…では、何をしに外へ?」
「しょうにんになりに。祖父のつてで、よいししょうのもとへいきます」
「……そうか。私たちは途中までしか一緒に行けないが、君の旅が無事に済むことを願っているよ」
「はい。ありがとうございます」
馬車は揺れる。次なる運命を乗せて。
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