番外 奴隷を集めよう後編
前回までのあらすじ。
「安売りしてたから奴隷買った」
ついに女奴隷を手に入れた主人公デルニシテ。奴隷の名前はムーナス。通称むーちゃん。褐色肌の大型わんこ系女の子。遠い国の出身なので言葉は通じないけどとにかく愛嬌があってかわいい。
そんな奴隷買ってきてどうすんだ、というのが周囲の大人の意見。大人はいつだって子供のやったことに反発するもの。この激突は仕方のないことです。
「名目上は秘書ってことで雇ってンのに言葉通じねぇのは致命的だろ普通に考えて」
「デルニシテ。元のお店に返してくるんだ」
隊長補佐のガナルとブレナンの説得を、しかしデルニシテは頑として聞きません。ガナルはともかくブレナンの言うことは今まで素直に聞いてきたのに、今回ばかりは強硬姿勢。子供ってそういう時期来ますからね。
「嫌です。むーちゃんはいい奴隷ですよ」
「にゃは?」
「ガナルさんより素直です。それに、仕事ができればいいんですよね?」
「……言ったな?では、見せてもらおうか」
「俺のことは関係ねぇだろ!?」
そういうワケで、とりあえず試用期間となったのですが。
結果から言うとあんまり仕事はできませんでした。まあそりゃそうですよね。文字読めないしデルニシテ以外とは意志疎通できないし。
何より、彼女は威力が高すぎた。殺意と言ってもいい。
生来のダイナマイトボディ(ダイナマイトはこの時代にはない)に買い与えた服を自分流に改造して脇やら腹やら腿やら放り出してあっちでひらひらこっちでひらひら。
もう軍人や兵士たちは揃いも揃って前屈み。堂々としていたのはデルニシテくらいのもの。こいつに関しては隠していないだけです。
「ガナルさんは平気なんですか?」
「あ?そりゃお前、俺にだって好みってやつがあンだよ」
「ブレナンさんは?」
「昔から感心は薄かったが、この歳になってみるとさすがに衰えを感じるな。会報ではイドは今も孫と同い年の子供を作っているそうだが本当か?さすがと言わざるを得ない」
「その前に会報ってなんです?」
「イドの信奉者が所属する会合で発行されるイドの最新情報を掲載した新聞だ。知らなくても無理はない、第一号発行は尖り歯の里の隣の町にある総本部から国内全土へ交通網が整ったつい最近だったからな」
「えぇ…?」
「俺もあまり気にならんな。何故なら、俺の目に映るのはお前だけだからだデルニシテ!さあ遠乗りに行こうじゃないか!」
「ドゥリアスさん、僕が一緒に乗ってる時のアルティさんすごく嫌そうな顔してるの気付いてます?」
そんな風にとにかくスケベを振りまくせいで他人の仕事の効率も下げ、ついでにデルニシテに四六時中べたべたしているムーナスは正直使えないを下回る邪魔そのものではありましたが、一つ。
一つだけ、見るところがあったのです。
「手を止めるンじゃねぇ!今晩は寝かさねぇぞ!」
「でもガナルさん、もう夜ですよ…」
「お前がムーナスと遊びに出かけて仕事溜め込ンだのが悪いんだろが。ムーナス、お前も出てけ。こいつお前ばっか気にしていつまでも集中しねぇンだから」
と、執務室を放り出されたムーナスはしばらく寂しそうな顔をした後、ふと何かを思いついたかのように顔を上げ駆け出します。
向かった先は、厨房。
全員が夕食を終えた後も仕事の終わらないもう一人の人物、小隊の食の全てを預かる番人ブレナンが座す聖地。
突然の来訪者に驚くでもなく、ブレナンは現れた女を睥睨しました。
「…ムーナスか。どうした?」
「にゃ!」
「……?もしや、料理がしたいのか?」
「んに!」
「ふむ……デルニシテに夜食を、ということか。奴隷として主人を気遣う、良い心がけだ。だが……」
言葉は通じない。でも、強い意志を秘めた瞳から心が伝わった。
しかし、故に、ブレナンはムーナスの前に立ち塞がった。
「この隊の食事を管理してきたこのブレナン・マードックにも意地がある。食によって、兵士の心と身体を養ってきたという意地がな」
かつて戦場において十人の敵兵を討ち取り一時は隊長への推薦さえ受けていた男、ブレナン。
その身に受けた怪我が元で軍人としての出世の道は絶たれたがそれでもなお自分のできる範囲で仲間を支えるために戦場へ残った歴戦の戦士。
そんな男がまさか夜食で翌日に影響を出す可能性を看過するわけがなかったのだ。
あわれムーナスはかわいいだけの役立たず奴隷として
「ぐわぁぁぁぁぁ!!!!??」
十分後。ムーナスは豊満な胸を張ってるんるんとご機嫌で厨房を出ていった。
女奴隷が過ぎ去った後に残るは床に倒れ伏す巨漢のみ。
かつて不動の守護神として厨房を守ってきた男が敗れ去った瞬間であった。
「な…なんだあの、料理は…がくっ」
「でるにー!」
夜も更け往く中、男二人が黙々と書類をこなしていく何の色気もない執務室の静けさを、女奴隷は破壊するかのような勢いで帰還した。
思わず顔を上げる主人と中年。
「…むーちゃん?」
「あ、こらムーナスお前入ンなって…あンだ?料理?」
「んに!」
満面の笑みで彼女が両手に掲げてきた皿をそれぞれの机へ滑らせる。
「これは…卵?」
「ブレナンから夜食預かってきたのか。あンだよ、たまには働くじゃねぇか」
皿に乗っていたのは解いた卵を楕円形に焼き上げた料理。見た目にふわふわと柔らかそうで、その仕上がりが上質なものであることは見た目に疑いようがない完成度。
だが、待っていたのは未知の衝撃だった。
「ぬわーっ!!!!!???」
「ガナルさん!?」
おお、それはいかなる不可思議か。何とも思わず料理を口にしたガナルは定位置である応接用の椅子から飛び上がり、錐揉み回転しつつ頭から床に突き刺さった。
さすがのデルニシテも声を荒げざるを得ない。もう一度卵料理に目をやった後顔を上げると、そこには相変わらずにこにこと笑顔でその時を待つ女奴隷。
意を決して、一口。
味を舌で認識した瞬間彼を襲ったのは全身から服が弾け飛んだような衝撃だった。
やけに引き延ばされた時間の中でゆっくりとその感覚を味わい、飲み込んだ時は思わず虚脱し背もたれへ身を預ける。
ほんの一瞬で乱れた呼気、上気する頬。
なんということでしょう。
女奴隷ムーナスは。
「「う、うまい……」」
桁外れの料理上手だったのです。
ただし、卵限定で。
デルニシテは生涯を通してほとんど女奴隷に制限を設けませんでしたが、唯一。
ムーナスにだけは、「一生俺に卵料理を作ってくれ」と役割を課しました。
さて、そんな変な女奴隷ムーナスが、デルニシテ反逆の動乱をどう生き残ったのかと言うと。
普通に隠れていました。
「……」
隊舎を囲む不穏な気配に歴戦のブレナンと同じくらい早くに気付き、そして息を潜めていました。
ブレナンたち後方部隊の面々が投降し連行される時も。
名目として調査という名の空き家荒らしが行われている時も。
中でも腕は立つが粗暴な兵士が反逆者が囲っていたという女奴隷をものにせんと鼻息荒く嗅ぎ回っている時も。
何もかもが過ぎ去るまで。
至極退屈そうに全てを眺めていた。
何をするでもなく執務室の隊長席で。
その時の彼女を見えているものがいたならば、それはあまりに異様な光景だったろう。
確かに彼女はいつも通りの目立ついでたちでそこにいるのに誰も彼女を見咎めないし兵士たちはみな何もないものとして行動する。
頬杖を突いて、時折居眠りをする無防備な女を。
誰一人見つけられることなく去っていった後ようやく彼女は立ち上がり、大あくびと伸びをして、何事もなかったかのように外へ出ていった。
行き先は?
当然、主人の元へ。
ムーナス。覇王デルニシテの一人目の女奴隷。遠い異国から来た褐色肌の女。
その素性は彼が大陸を統一した後も、その後年も杳として知れない。
なんて語りましたが、他の女奴隷はこんな得体の知れない存在ではありません。むしろ公明正大なくらいに身元も功績もはっきりした女たちです。
例えば、二人目の女奴隷。
アンヤ。
彼女は暗殺者でした。
デルニシテが二人目の女奴隷を手に入れたのはクーデター成功後、元帥就任から少し経ってドゥリアスが国へ帰った直後のこと。
王命によって守護者となった彼は城に部屋をもらいました。ただ、最初にもらった部屋は大きすぎて落ち着かない、とあろうことか文句をつけてまで好みの部屋を自分で探して移りました。
幸いそれまで城の部屋を与えられていた多くの武官文官は逃げ出した後。割と選び放題だったのです。
彼が居着いたのは本が多くて日当たりの悪い部屋。元が広くもなくどちらかと言えば本棚で圧迫感があって、でもベッドは大きい。明らかに陰キャの部屋でした。でもデルニシテも陰キャなのでそんな元の部屋主の趣味が気に入ったようです。
見つけたお気に入りの部屋で本を読み、剣を磨き、逃げ延びていた女奴隷と遊び、すやすやと眠る。
満たされた生活です。
一点以外は。
「……」
その夜は、月のない闇夜でした。
呼吸さえ聞こえないほど静かに眠るデルニシテ。別に部屋を与えたムーナスも夜は自分の寝床で眠っているので夜だけはどうしても一人。
そう、重要人物の無防備な一人寝は当然狙われるに決まっているのです。
ともすれば陰鬱な部屋に影が滑り込む。
音もなく気配もなく、それは幽霊と見紛う朧気な影。
いえ、人間でした。
見るからに小柄で、全身を暗殺用の黒装束に包んだ中で唯一光を吸い込むような昏い瞳だけが目標を見据えている。
一切油断なく罠を警戒し一通りの確認を手短に済ませた後、寝台に近付く。
それは驚くほど無造作で大胆。なのに空気の流れさえ感じさせない。
仕手は熟練の暗殺者でした。
でも相手が悪かった。それだけ。
先手を取られた暗殺者は刃物を出す間もなく安っぽい毛布から突然伸びた手に捕まりました。
並外れた剛力でそのまま引き摺り込まれ、しばらく毛布の中で格闘。外から見ると毛布がどたんばたん割と派手に跳ね回るのに不自然なくらい静かな気味の悪い戦いです。
勝者は当然デルニシテ。まだ半分寝ているような半目で小柄な暗殺者に跨り両手首をまとめて掴み全ての抵抗を封じた上で空いている片手で覆面を剥ぎ取る。
現れたのは、昏い瞳をした女でした。明確に少女と言っていい。
無理矢理口の中に指を捻じ込みよだれに塗れながら毒入りの小袋を取り出し、纏う衣装から邪魔になりそうな武器や仕込みを器用に片手で一つずつ外していく。
「……殺さないのか」
と。暗殺者はそこで初めて言葉を発しました。
相変わらず人としての気配は薄いものの、捕まえた女が喋ったことで現実味が宿ったのかデルニシテも心なしか目が開きます。
「殺さないよ」
「何故」
「意味がない」
「自らを狙う暗殺者を処分するのは意味のない行いか?」
「そうだよ。あと、時間稼ぎなんて考えない方がいい。あらかじめ飲んでおける毒くらいで自殺なんてさせないよ。五番目の母さんから解毒はある程度習ってる」
「……」
「でも、少し大人しくしておいてくれると嬉しい」
「……?」
寝台の周りに暗器を放り散らかし終えたデルニシテは、残った装束を力ずくで破り開きました。
さすがに暗殺者もそこまで来れば自分が何をされるかさすがに察しました。わざわざ手間をかけて危険物を除いたのも、そういうことなら一応納得は行く。
しかし体内にさえ毒を仕込んである全身暗器たる彼女に死角はないのです。ここまで忍び込んだ時点で暗殺の成功は決まっていた。
そうやって成功させてきたのです。
生まれてすぐから暗殺者となるため死の淵を彷徨い続ける日常を送りいざ一人前になった後は己の力のみを奉ってきた、殺伐の日々。
そんな裏付けが彼女を油断させた。
何せ相手は人類の規格外品として生まれた突然変異。
人の形をした暴力は、飢えていました。
度を越えた憤怒と殺戮が呼び覚ました蛮族の血は、彼の薄い理性を蝕んでいたのです。
平和な日々?そんなものは誰も求めていない。
念入りな調査の上で行われた絶対成功の暗殺?否、男は待っていた。滾りを思う存分にぶつけられる何かを。
あの愛嬌に満ちた女奴隷ではない。欲は煽られても思う存分愉しむための対象ではない。
市井の娼婦、城にいる女中では食いでがなさすぎる。
待っていたのだ。
多少喰い散らかしても平気な、おもちゃを。
絵に描いたような慇懃から一転、気だるげなのに軽薄で自分勝手な本性を晒してからというものますます濃くなる血の気配に。
彼はようやく、身を任せました。
さて、その後数日に渡って好き勝手されまくった暗殺者ですが。
まあお決まりの展開です。堕ちました。完全なわからせ成功です。二人目の女奴隷、ゲット。
ムーナスに手当てされ、全身をくまなく洗浄され、服装を整えられた後は。
「アンヤと申します。なんなりとお申し付けください、御屋形様」
まるで何年もそうしてきたかのように堂に入った傅き具合でした。よく見れば瞳にも光が戻っていて、身体は髪の先から爪先まで先輩女奴隷が整えたおかげで見違えるような美少女に。元々暗殺技術の一環として容姿を整え利用する術には長けていたのですが、今はそれを主人に媚びるためだけに用いている。
でもデルニシテは態度の急変を疑いませんでした。自分は女から仰がれるにふさわしいと考えていたので。
自称世界で二番目に強い生き物は伊達ではありません。本気でそう思っています。
「オヤカタ?」
だから、まずは聞き慣れない言葉を聞き返しました。
「我が一族では仕えるお方をそうお呼びします」
「へぇ…ん?今なんでもするって言ったよね?」
「はい。なんなりと。……その、夜伽とか」
「じゃあ諜報とか頼もうかな。アポロニアに任せっぱなしだけど、大変そうだし」
「は、はい。がんばります」
「わかってる?両方、だよ。お前は俺のものなんだから」
「……御意」
主人と崇め奉ることを決めた男から見下ろされ、小さな身体をさらに小さく丸めて震える少女暗殺者。
その震えと共に湧き上がる歓喜を感じるたび絶頂し股を濡らすような己の被虐体質に気付いたのは、果たして彼女にとって幸か不幸か。
こうして、二人目の女奴隷を手に入れたのです。
「言い忘れてたけどアンヤ、かわいいね。頭撫でてあげる」
「あっあっ」
暗殺者アンヤ、弱点は主人に優しくされること。
こうなると次も剣呑な人間を凶悪なアレで躾けたんだろ?エロ同人みたいに、エロ同人みたいに!
いえいえそんなことはありません。彼が明確に性的な捌け口として使ったのは他と比べて比較的頑丈なアンヤだけです。慣れると食い足りなくなって他の女奴隷も一緒にあれこれするようになりますが、今のところまだ貪食と言うほどのものではない。
次の女奴隷は、それはもう平穏に手中に収めました。
説得で。
三人目の女奴隷は、他国の王女でした。
名前をマリーアルテ。彼女の代名詞があるとしたら、不幸。
不幸な元王女様。
まず不幸だったのは彼女の生まれた国がこの大戦争時代において平和主義を掲げる中立国家を謳うくるくるぱーだったこと。
次に不幸だったのは大勢の予想通り周囲の暴力国家からの嫌がらせで不満を爆発させた国民のクーデターで国が崩壊したこと。
三つ目に不幸だったのが、そこで死を選べるほど弱い女ではなかったこと。彼女はしっかり者の長女として生まれ、一家離散しても諦めずに亡命を成功させた不屈で有能な女でした。
まあ、何より不幸だったのは助けを求めた先がデルニシテが実権を握ったばかりのミザ王国だったことでしょうね。
「……というわけです。ぜひとも、その名高い武威でもって我が国の再興にお力添えいただきたく……」
「うんうん。大変だったね。察するに余りある。身内も執事も尊敬していた家庭教師の先生まで皆殺しなんて、とても酷い話だと思う」
どの口が、と横でアポロニアが呟くのが聞こえましたが目を向ける頃にはすいと顔を逸らしている。
俺だってみんなを殺されたんだからわかるよ。人を人でなしみたいに言うのはやめてもらいたい。
そんな非難を込めた目線もガン無視。アポロニア側もだんだんとデルニシテの扱いがわかってきた頃でした。そういうところだぞ、と思っても口には出しません。
「ところで、その……」
「なに?」
「いえ、あの、はしたないこととは思うのですが」
「うん?」
「……ミザ王へは、いつ謁見が叶うのでしょう」
逃亡生活の中でも気高く過ごしてきた才女らしい、それは強い口調でした。
彼女の不満ももっともでしょう、仮にも王族の亡命に対しミザ王は城の一室の提供と、何故かこの王族でもないやたら気安い青年を部屋へ寄越しただけ。そりゃミザ王国でも国難があったことはわかっていますがそれはそれ。せめて顔を合わせるくらいしてもいいのではないか、と思うわけですよ。
ええ、目の前にいる変な奴が件の反逆者だとは夢にも思っていません。
「王はまだまだ忙しい時期なんだ。だから俺が代わりに用件を聞きに来たんだよ」
「それはもう充分にわかりましたし用件もお伝えしました。早急に王へ取り次いでいただければと思います」
「困ったな。アポロニア、王様空いてそう?」
「無理ですな。単純に人手が足りないのをご自身で解決していなさる内はとてもとても」
「……では、人員の補充はいつ終わるのですか?」
「見通しは立っていないというのが正直なところです。お恥ずかしい限りだ」
「……」
みるみる内に不機嫌を募らせていく元王女。さすがに相手が悪い。
片や人をイラつかせる星の下に生まれた男、片や一族を挙げての政争に明け暮れてきた一族の男。
喋っているだけでは何も進展しない、最悪の組み合わせ。
ではどうするか。
交渉の時間です。
先手を取ったのはなんとデルニシテ。
「名乗り忘れてたけど俺の名前はデルニシテ・イーデガルド。この国の元帥です」
「えっ」
初手王手。アポロニアが笑いを堪えきれずに吹き出しました。
これに困ったのはマリーアルテ。
何故なら自分が恃みにしに来た名高い武威とやらが目の前にいるというのですから、態度を間違えるわけにはいきません。王はちゃんと正しい人間を派遣していたわけです。
気だるげなくせに軽薄で腹立つ男が相手でも。
それが、一つの国を一人で覆した力の持ち主であるなら。
マリーアルテは、頭を下げられる人間でした。
「では、重ねてお願いします!どうか出兵を!我が国に再び秩序を!このままでは、民が自分たちを食い潰してしまうのです…!」
「と言うと?アポロニア」
「どうやらかの国で起きた反乱は周辺国の工作による煽動が効きすぎたようですな。攻め込む隙を作るくらいのつもりが、激しい内部崩壊で逆に手を出し辛くなっている、と」
「その通りです……ええ、いっそ国を奪われたのなら別の統治者によって民が良き生活を送れるよう願いながら去る覚悟はありました。しかし、今あの国は空座。治められるものがいなければ民は惑い苦しむことになる……」
美しく、しかし逃亡生活で痩せた顔を伏せ悲嘆を零す王女はまさに統治者の鑑。
アポロニアはこちらが見えていないのをいいことに一瞬だけ心底不快そうに目を細めましたがすぐさま切り替えて、顎に手をやって考え込むような素振りを見せる。
「ふうむ。それはつまり、貴国を我が国へ委ねる、と?」
「……そう取ってもらって構いません。優れた統治と民を思う心あるミザ王であれば」
「それは困りますなぁ。そう取ってもらって構わない?そんな曖昧を言い方をされては、まるで後にお言葉を翻す準備があるように勘繰ってしまいます」
わざとらしく厭らしい芝居がかった口調でアポロニアは苦言を呈しました。これにはマリーアルテも憤慨せざるを得ない。すぐさま反論します。
「馬鹿にしないで!私にも王族の矜持があります!」
矜持!偶然王家に生まれただけの小娘の下らない戯言だな。
ふん、と明確に鼻を鳴らしアポロニアは首を傾げて見せる。
「しかし、マリーアルテ様。父王を始めとしたご家族は行方知れずとのこと。生死がはっきりしない内に貴女が外交の全てを取り仕切るのはご無理があるのでは、と。相続にしても二人の弟君が優先であられるとか」
「大事なのは民です。このことは父も弟たちも納得するでしょう。させます、必ず」
「ではこちらも率直に難しいと言わざるを得ませんな」
「何故です!?」
「我が国も今まさに二分されているからですよ。なるほどこちらにおわすのは最強の剣士たるデルニシテ・イーデガルド元帥ですが、あちらの総大将は最強の軍将と名高いアルハレンナ・シームーン殿。国内の戦力の半分以上があちらについて力を溜めているのです。元帥が王都を離れないことで膠着を保っているのにそれを崩すのでは一つの利もありません」
「では早く解決してはいかがですか。上に立つものとして民を思った末なら自ら引くことを誰も責めはしないでしょう。重要なのは国が良く治まるかどうかのはずです」
「我が元帥に反逆者として死ねと?これは随分なお言葉だ。手厳しいなぁデルニシテ」
壮絶な言葉の交わし合いの内にアポロニアはその嫌悪感を隠そうともせずにやにやとするようになり、マリーアルテの側も怒りを露わにして今にも罵り合いが始まりそうな険悪な空気。
「アポロニア、大人げないよ」
見かねたか、デルニシテが大きく息を吐いて臣下を諫めました。
「申し訳ありません、マリーアルテ殿。臣下のご無礼は我が責です」
元帥に自ら跪かれれば王女も矛を収めざるを得ません。一度大きく息を吸って吐いて、平静を取り戻した彼女は態度を変えたデルニシテに頭を上げるよう促しました。
姿勢を戻し立ち上がったデルニシテの顔は見違えるように優美で、マリーアルテも思わず見惚れるほど。元の作りはいいのです。普段の表情が緩すぎるだけで。
「わかりました。貴国の救援を王国元帥の名の下にお約束します」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。ただし、すぐにというのは難しい。この身は王命でこの城に縛られているがゆえに。守護者たれ、というのが我が王の下した私への罰です」
「……それでは、間に合わない…」
「いえ、間に合います。実はここに来る前、我が配下から報告を受けました。二人の弟君が、国内で旧臣を率い立ち上がられたと。これで幾許かの猶予はできた」
「弟が…」
「ええ。この間に我が国の騒乱を終結させ、その上で貴女の国を救いに参りましょう」
「イーデガルド様!」
感極まったようにマリーアルテは声を上げました。
少なくとも王家はまだ健在で、家族もとりあえず弟たちは無事なのだ。
不幸だらけの彼女には望むべくもない幸運の雨です。
「王統が残っているのなら我が国が統治するわけにはいきません、救援後はそっくりそのままお返しします」
と笑顔で添えられては頬を伝うものを抑えることもできない。何度も何度も繰り返し頭を下げるのをデルニシテも困り顔で慰める。
「まだ何も解決していませんよ。お互いこれからです」
「ぐす……ええ、そうですね。どうか、どうか我が国を、よろしくお願いします。デルニシテ様」
「ええ、お任せください。それに際して一つ、よろしいですか?」
「はい、なんでしょう?」
涙を拭い晴れやかな表情で顔を上げる。少しくらい待とう、希望はもう満ち満ちているのだから。
なーんて。改めて追記するのであれば、彼女が最も不幸だったのはそんな善性でしかものを考えられない根っからの善人だったことでしょう。
あまりに振り回されたがこれは交渉なのだ。彼女はそれを失念した時点で負けていた。
「俺の奴隷になってください。マリーアルテさん」
「ええ!…えっ?」
「えっ?」
「えっ、あの……えっ?」
戸惑うマリーアルテ。いつの間にか壁に背を預けて肩をすくめるアポロニア。
デルニシテは真っ直ぐに見つめてくる。
「ダメ、ですか?」
「いえ、あの…何故ですか?」
「え?なぜ……貴女が欲しいと思ったから…?」
「ええっ!?あ、えっとそうではなくて!ええと…」
「貴女の国をお救いする代わりに貴女を頂く…両方に得のある提案だと思うのですが…」
「え、ああ、そういう…ええ…?」
「考えてもみてください。貴女がこの国まで助けを求めに来たのは民を救えるのはもはや自分しかいないと覚悟してのことでしょう?元より王家の復権にこだわりはなかったし、弟君がいれば王家の血統は続く。ほら、何の問題もないですよね?」
「そ、そう言われれば確かに…?」
「それに、俺と貴女が両国の間を繋ぐ鎹になります。それはとても素晴らしいことですよね?」
「うーん…そう、です、けど…」
「貴女の決断一つで多くの民を救うことができるんです。元より、貴女に出せる対価は荒廃した国か貴女自身しかなかった。その片方で済むのならそれは得ですよ」
「むむむ……」
「大丈夫です、安心してください。必ず大事にします」
「……だ、だったら……はい……」
「やった!たくさん子供産んでくださいね!」
「あ、あのそんな大声で喜ばれると……あ、アポロニアさん……」
呆れた様子で部屋を出ていこうとするもう一人の男を呼び止めますが、彼が向けてきたのは先程までの敵意ではなく、哀れみの視線。
あるいは、同じ被害者の同情の視線。
「諦めろ。どうしようもない。このクソガキはこういう生き物なんだ……」
緩く首を振って、今度こそ出ていく。
後に残されたのはにこにこしながら子供のように喜ぶ丈夫が一人と延々困惑している元王女様の女奴隷が一人。
こうしてデルニシテは三人目の女奴隷を手に入れたのでした。
ちなみに約束通り国は救ったし大事にしたし子供はたくさん産ませた。有言実行の男、デルニシテ。
さて、ここまで四人の女奴隷について語ってきましたがこれで多分タイトル詐欺の悪評も……え?ええ、四人です。
いや、まだ三人分でしたね。
まだ、その決着と顛末を語っていない。
四人目の女奴隷について。
運命の女アルハレンナ・シームーンとの戦いに、如何にして彼が敗北したのか。
語りましょう。最強同士の激突、デルニシテが奴隷を得て、王になった一幕を。
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