最終話 女奴隷を集めた傭兵のお話

 世はまさに大戦争時代。あっちでオラオラこっちでオラオラ、いくつもの氏族が勃興したりしなかった時代に、新たな英雄が誕生したところ。


 名前はイド。苗字は誰も知りません。今はもう滅びた名前なので。


 しかし、生き残った、あるいは死に損なったイドには目標がありました。


 そう、復讐です。当然ですよね、親兄弟親戚縁者まとめて目の前で灰になるまで焼かれた少年が復讐を考えるのは当然です。


 で、問題の復讐相手なのですが、これまた厄介な奴で。


 肩書きは滅びの魔女、名前はカーラ。なんともヤクい超常生物、魔女の一人です。


 そいつは今そこそこの国同士でやってる戦争に個人で介入し、両方の国が滅ばないように、かつ戦をやめないように片方の国でふんぞり返っています。


 世界でも稀に見る外道で、十年ほど前にイドの故郷を焼いた女でもあり。


 傭兵イドの伝説、その最後に挑む宿敵でもある。


 それでは始めましょう。女奴隷を集めた傭兵のお話、その最終話を。






「じゃーん。というわけで五人目の奴隷はまじないの魔女オルガでーす美少女はすはす」


「なんで私たち捕まってるんでしょう…」


「お、お仕事ができませんよお…」


「うへへアルテちゃんとエリーちゃん姉妹みありすぎていいわーいい匂いするわー。そんで非処女でしょ?えちっ…ここ来てよかったわー」


「イドくん、今回はだ、だいぶ個性的な人選ね…いえ、文句はないのよ?」


「うーん、これが魔女か…」


 前回のあらすじ。傭兵に蹂躙され奴隷に堕ちた人の形をした超常、魔女。しかし性欲だけで生きてきた彼女は今日も周りの視線をものともせず幸せそうでした。


 しかしそれでは困るのが奴隷の主人、傭兵イド。復讐のため戦鬼と化した少年は何としても『滅びの魔女』を討ちたい。


「だから、あたしに協力しろって?」


「ああ」


「同族を売れって?同族を滅ぼされた奴が同族殺しに加担しろってあたしに言うの?」


「ああ」


「いいよ!!」


「いいのか…」


「イリシアちゃんさあ、あたしを何だと思ってるの?奴隷だよ?奴隷は主人の言うこと聞くんだよ?あ、ところでイドさあ一つ聞いていい?」


「…なんだ」


 魔女はさすがに魔女。自由身勝手極まりない女奴隷は主人の抗議の視線を全く意に介さず、どころか両脇に抱えた先輩奴隷にセクハラを働く始末。


 と言うかイドの屋敷に来て以来、主人の部屋のでっかいベッドを半ば占領しています。今もベッドで美少女二人とべたべたしているので誰が主人かわかったもんじゃない。


 ただ、それでもやはり魔女は魔女なのです。


「イドさあ、効かない魔法と効く魔法があるよね。なんで?」


 意外な話題でした。ウルザは真面目な話題に少し後ずさるくらいの衝撃を受け、エリーは様子の変わったオルガを不思議そうな顔で見た後イドの方に顔を向け、アルテは自分の胸に忍び寄る魔女の手を表情のない顔で抓り上げ。


「……この毛皮が魔法を弾く」


 イドは、自分の肩に手をやりました。


 父祖代々受け継ぐ秘宝、尖り歯の一族に伝わる漆黒の毛皮をマントとしてイドは纏っていて、ただつい最近あっさり魔法で捕縛されました。


「弾けない魔法があるのはこの前初めて気付いた。お前に捕まった時だ」


「あーやっぱり?それちょい貸して?」


 イドは躊躇なく毛皮のマントを魔女へ渡します。


 すると魔女は突然毛皮に顔を突っ込み、「んすぅぅぅぅぅはあぁぁぁぁぁ!!」


 …思いきり匂いを嗅ぎました。しかし、一見ただの変態行為かと思われたそれはなにがしかの試験行為だったらしく、意外な見解を告げるのです。


「…うん、間違いないね。これさあ、魔女の血が染みてる」


「魔女の、血?」


 魔女の血。漆黒はなるほど、血が乾ききった色に見えなくもないでしょう。


 元より毛皮は漆黒の獣のそれではなく、血の染みた獣の毛皮だったのです。


「魔女の血はさあ、魔法を弾くんだよ。でもこれ無理矢理搾ったわけじゃないね、ほら、普通なら血で毛が固まるでしょ?魔女の誰かが自分の血を定着させるまじないをかけたんだ。誰かは知らないけど。まあ、世界に一つしかない貴重品ではあるよね。大事にしなよ」


「言われずとも。だが、それがどうした」


「イドが弾ける魔法はそのマントに触れた魔法だけ。直接意識を奪ったり操ったりするあたしの得意な魔法には相性悪いけど、とにかく派手に火とか嵐とかぶちまける滅びの魔女の得意な魔法には強いってこと。こういうことを聞きたかったんでしょ?」


「……ああ」


「ということは…ご主人様、滅びの魔女に」


「勝てないよ」


「「えっ」」


「勝てないよ。今のイドじゃぜえったい勝てない。魔女舐めてんの?下の口舐めてよほらほら」


「嫌ですけど…じゃ、じゃあどうするんですか」


「勝つかどうかじゃない。必ず殺す」


「無理だって言ってんじゃん。だから、あたしが力を貸したげる」


 会った時と同じように、にまにまと。


 蕩けた笑みで魔女は嗤うのです。


「魔女は血統で魔法を継ぐ。あたしの名前は『まじないの魔女』。見せてやろうじゃん、魔女の本領発揮ってやつをさ」





 一方その頃。


 敵国の傭兵が突如現れた魔女を打ち倒したという噂は、長く役割を果たしていなかった議会を揺るがしました。


 結論は容易に合致、方針はすぐにでも定まります。


 今こそ切り札を切るべし、と。


 これを受けた魔法使いの老人は恭しく、あくまで切り札として腰低く拝命しました。


 魔法使い。


 読んで字のごとく魔法を使う者です。この世界ではとんでもなく魔女が恐れられているのですが、それは剣や槍で突き合ったり弓矢をひゅんひゅんやってるところへごくまれにド派手な火の玉をぶち込んで「今のは大魔法じゃないわ、あくびよ」とかしてくるからです。扱いとしては災害と同じです。


 一方魔法使いは同じく魔法を使えますが、むしろ人々の間では人気者です。


 魔法がしょぼいので。


 そもそも魔法とは血統に受け継がれるもの。少数民族魔女の血統のみが魔法を使えますが、要するに魔法使いは魔女ではないけど魔女の血を継ぐ人のことです。


 でも魔女として名と力を継ぐのは魔女が子供を産む際必ず一人は生まれる女子だけ。男子や二人目以降の女子はほぼただの人。残酷な継承システムですよね。まあ女子の方には一部例外があるので男子なんてほんとカスみたいなもの。


 ともあれ、カスでも魔法は使えるので「一つ頑張って鍛えてみるかぁ!なんかの足しになるかも知れんし!」と立ち上がった前向きな奴が一人いました。こいつが今の魔法使いの始祖。


 仲間を集めてなるべく親切な魔女に師事してみたり自分たちで鍛えてみるとこれが案外伸びしろがある、それを見てさらに血の薄い魔女の孫やほぼ一般人も加わって今では世界にいくつか魔法使いの集まりがあるほどにその勢力を増やしました。頑張って居場所を勝ち取る。美しい物語ですね。


 でも魔女に比べればカスです。でも魔女よりよっぽど安全なので国で雇ったりもします。


 かつてはこの国も魔法使いと尖り歯の一族を擁する双牙の国などと呼ばれもしましたが、良き商売相手だったはずの尖り歯を他ならぬ魔法使いと魔女に依頼し滅ぼしたことで魔女に半ば国を乗っ取られた上戦力も大ダウン。しかし魔法使いはめげませんでした。


 尖り歯なき後魔法使いの戦力はこの国の中核と言っていいくらいの位置につき、尚且つ尖り歯を自国で滅ぼしたという後ろめたい秘密を盾に魔法使いの地位向上を成功させました。


 今の首領たる老賢者の手際です。しかし決して驕らずたゆまぬ努力を重ねてきたからこその功績でもあります。


 それが、同じ戦場を駆けた尖り歯の一族を滅ぼしたせめてもの贖罪だと思っているから。


 そんな志、滅ぼされた側にとっては何の足しにもならないということを思い知ることになるのです。


「……では、次の戦は魔法使いの部隊が出ます。必ずや悪鬼を仕留めましょう」


「不足だな」


 まとまりかけた会議に口を挟んだのは、議席の最奥。


 本来王の着く席を足蹴にし一段大きな、それこそ玉座の如き椅子に寝そべる女は不遜に、魔法使いの長たる老賢者を見下した。


「…今、なんと?」


「不足だ。貴様らが何人いようと魔女に勝ったものには勝てん」


 どこまでも深く、一切の光を吸い込むような黒髪。


 赤い瞳だけを昏く輝かせて、魔女は下等種を嘲笑います。


「伝承ですな。魔女の命を奪ったものは魔法の力を得ると…」


「単に力が足りないとは思わないのか?随分と傲慢だな。魔女の血を引き、魔法を使えるというだけでつけあがるのも大概にせよ、愚物」


「む…!?」


「十年前だったか?尖り歯を焼いてその秘密を抱える代わり出世した貴様らが、何故私に対して言葉を返す?私がいなければ貴様ら如き、矢で射落とされて皆殺しに遭ったろうに!」


 いくら言葉を返そうとこの最悪の魔女はつけあがるばかり。そう頭ではわかっていても口が勝手に動くこと、ありますよね。老賢者もまたしまった、と思いつつ魔女をねめつけ、


「…あまり侮られまするな。我らの研鑽はその程度のものではない」


 と言葉にしてしまいました。ただ、返ってきた答えもまた意外なもので。


「どうだかな。…此度の戦、私が出よう。貴様ら魔法使いには我が前を往く栄誉をくれてやる」


 不遜ではありましたが、しかし魔女カーラにしてみればよほど前向きで建設的な発言です。ここらが落としどころと察した老賢者はそっと頭を垂れました。


「……承りまする。我らで仕留めても構わぬのなら」


 かくして、魔女出陣は成りました。国を動かす議員にとっては好ましくない戦況に追い込まれるたび策を練って魔女の出陣を希うわけですが、今回はその苦労もなく勝手に行ってくれるのだからありがたい話です。


 そうやって腐った国と戦争は続いていく。勝つこともなく負けることもなく、ただいたずらに消耗だけを繰り返して。


 そんな愚か者の人形を並べた箱庭の主人、カーラは一人闇の中で微笑むのです。


 おとぎ話の魔女のように、邪悪な笑みを浮かべて。






 魔女や魔法使いは魔法で空を飛ぶことができます。


 出陣する魔法使いが揃いの純白のローブをはためかせながら飛行するのを見て自国の兵士は勝利がやってきた、と喜ぶそうですが。


 その日は魔法使いたちが編隊を組んで飛ぶその後方、闇の尾を引く一本の箒が追従していました。


 まるで凶兆、悪しき流れ星のように。


 魔女の箒を、兵士たちは畏怖と諦観をもって見送ります。


 前線を立て直せるという幸運であると同時、とっくに倦み飽きた戦争がまだ続くという表れでもあるからです。


 それでもその日の気分が少し違うのは、仮にも敵国に一抹の希望を抱いているせいでしょうか。


 人食い鬼、鬼殺しと来て、囁かれるのは魔女狩りの名。


 ついに魔女を打ち倒した傭兵が現れたという、ただの噂に過ぎないそれを、しかし彼らは心のどこかで信じているのでした。






「先頭、遠見はできているか」


『はい、問題なく。既に戦列が視界に入りました。大規模ですね…』


 魔法使いたちの長である老賢者は伝心の魔法で距離を越えて会話をしながら、自分も遠見の魔法をかけ進む先にある開けた荒野を視界に入れます。


 今回の主戦場となる土地を見てみればなるほど、地を埋め尽くさんばかりの大軍勢。


「だろうな。例の男を切り札に置き、高まった士気でもって戦を決する気よ」


『甘い考えだ』と、もう一人若い声が割り込んできました。こちらは老賢者の近くに控える若き将。才気に溢れ、老人の弟子の中では一番の使い手。


『魔法に対してほとんど対策を講じていない。連中、馬鹿なのかよほど強気に賭けに出ている気分なのか…』


「驕るでないぞ。驕慢は許されぬ。それが我らの信条。破ることが己を裏切るに繋がるのだ」


『…はっ。出過ぎたことを言いました』


「良い。ん、だいぶ近付いてきたな…待て、一人離れたところにいるな。あれは?」


『確認します!…ひい!?』


「どうした!?」


 短い悲鳴と突然の回線の乱れに老人は思わず声を荒げました。


 まあ、無理もないでしょう。


『ばっ、ばばば、化け物です!!』


 回線に繋がる全ての魔法使いが反射的に遠見の魔法を強め、目にしたものとは。


「あっ、ああ…わあああ!!!」


 歴戦の老賢者でさえ狼狽する、紛れもない化け物の姿だったのだから。





 最前線の街全ての傭兵を動員し、兵は軍上層に無理を言って最大限の数を揃え。


 まさに最終決戦にふさわしい編成でもって国は戦に挑むことを決めました。


 その堂々たる軍容の外、誰よりも前にイドは手頃な岩を見つけて座り込んでいます。


 ぽつんと一人飛び出しているのは魔法使いからも見えていましたが、理由があるとすればそれは、誰も近寄りたがらないからでしょう。


 


 女は見た目に力なく、身じろぎ一つせずに男の首にかかっていました。もっと言えば全身傷だらけ。刃傷、打撲、浅くも深くも傷だらけの血だらけ。


 狂気的なまでの傷害を行ったと目される男もまた、顔も、身体も、全身を赤く汚して開戦を待っていました。


 背後には武器が四種。それぞれ突き刺してあったり、無造作に置いてあったり。しかしそれは不思議と直立する従者のようにその場へありました。


 身につけているものと言えばいつもの毛皮、その下には何も纏わず見せつけるような肉体も露わで、下半身も含めろくな防具は見当たらず、そう、顔も。


 魔女との決戦に臨む以上面頬はなく、もう目敏く獲物を見つけた時の獰猛な笑みを隠す理由はない。


 存分に尖り歯を晒して。


 空の彼方から飛行してくる魔法使いに、殺意を向けられるのです。






『うう…おお…』


「師匠!どうしたんです!?師匠!」


『バズガンゾルド…奴が…まだ生きていた!あああ!!!』


「師匠!?くっ、全員聞こえるか!指揮は俺が引き継ぐ、編隊を崩すなよ!」


 さて、そうは言ったものの若き指揮官は困り果てました。


 敵を見れば血に塗れた女の死体をこれまた血みどろの男が担いでいて。


 味方を見れば少し歳の行ったものは老賢者を筆頭に一斉に恐慌を起こし、また若いものもそのあまりの禍々しさに腰の引けるものがいる。


 それでも。


 引くわけにはいきません。自分たちが背負うのは勝利、強き者としての矜持。


 己を奮い立たせ、指揮官は今一度現実に臨みます。


『あれが…もしかして魔女狩りか!?』


『じゃあ、あの女は…』


「落ち着け!各員守りの魔法は絶やすな!奴が動くぞ!初撃を凌ぎ一気に接近し叩く、先陣の誉れを望むなら俺に続け!」


 まるで蛮族か何かのように凄惨な風貌の男は無造作に立ち上がり、その拍子に女が滑り落ちましたが特に気にするような素振りはありません。落ちた女もまた、首が変な角度にねじ曲がっていますがぴくりともしません。


 今すぐにでも遠見をやめてしまいたいくらいに狂気的な光景でしたがしかし、指揮を引き継いだ身として目を離さずにいると、男は背後に従う武器から一つを持ち上げました。


 総鋼作りの剛弓。とても人間の扱うものとは思えないそれを手に取り、やけに太い矢筒から取り出すのもまた金属製の矢。


 いっそ余裕すら感じるゆっくりとした動作で番え、あっさりと引き絞り、矢を放ってみせました。


 あまりに自然な動作で放たれた矢は一瞬の虚を突き編隊の先頭へ飛来。


 しかし守りの魔法は既に分厚く並みの矢など通しはしません。弾き落としたら一斉に加速し、魔法でもって気味の悪い男を撃滅する。


 そう、指示を出すつもりだったのです、指揮官の彼は。


 守りの壁はたやすく食い破られ、尚も足りぬと言わんばかりに鋼矢は編隊の先頭と射線上にいたもう一人をまとめて撃ち墜としました。


「……は?」


 そうなりますよね。今まで土壇場でさんざん女に逆転されてきた男がいたとしたら同じような反応を一度くらいしたかも知れません。


「なっ……くそ、全員散開!怖気付くこと莫れ!作戦は変わらず、接近して魔法を叩き込む!」


 せっかくついてきた勇者たちが気丈なことに何とか心を奮い立たせている間にも常識外れの矢はそれこそ矢継ぎ早に放たれます。


 しかしそこはさすがに魔法使いも意地を見せる。狙われているのがわかればわざと統制を乱しそれぞれの飛行技術で弾幕を潜り抜け、狙いを絞らせません。そうやって十数の矢を外した男は、何を思ってか弓を手放しました。


「ここだ!全速力で飛び込めぇぇぇぇ!!!」


 ただでさえ揺さぶられっぱなしの魔法使いたちはここを好機とばかりに速度を上げ、ついに魔法の射程圏内へ肉薄します。


 作戦通りに包囲を完成させ、それぞれに得意な攻撃の魔法を放とうとしたその時のこと。


 ついに、魔法使いたちに決定的な決壊が訪れます。


 武器を捨て直立していたはずの男が、突然目の前から姿を消したのです。


 いえ、消えてはいません。その動きを目で追えてはいました。


 ただ、それはあまりに認めがたく。


 あまりにおぞましい光景でした。


 男が辿った軌跡を追い、ゆっくりと、


「なん…で…」


 使


『…やー、上手…さ…ご主…』


「!?な、なんだ、誰だ今の声は!?」


 動揺する指揮官をよそに、魔法使いたちの上空へ陣取った男が手繰るように腕を振り上げる。


 するとそれに応じるように四種の武器が浮き上がり、地面に在った時と同じように男の背後に並び立ちます。


 それは、まごう事なく魔法のなす業で。


 しかしこちらを見下し獰猛に嗤う尖り歯の男は明らかに。


 こちらを殺す気で……と。


 そこまでが彼らの限界でした。


 恐慌に駆られた魔法使いたちが子供のように叫び涙すら浮かべながら何もかもを放り出して逃げ出すのも、仕方ない。


 繰り返すようですが、全身血みどろで全裸の女の死体を担いだ全身血みどろで毛皮のマントの下素肌でやたら強い矢撃ち込んでくる男がいきなり魔法使ってきたら嫌になりますよね?


 そういうことです。まともに戦わずして魔法使いは敗走しました。


 当然ながら男は追ってきます。空を飛んで。どころか、魔法使いたちよりもさらに速く飛んで。


 手を伸ばせば背に付かせている武器がひとりでに男の手掌に収まります。


 弓は飽きたのでしょう、次に手に取ったのは槍でした。


 柄の尻にはためく布のついた短槍を、さてどう使うのかと思えば。


 投げました。ただの槍ではなく投げ槍だったようですね。


 しかしその速さがまた尋常ではない。高速飛行中に姿勢を保ちぶん投げるという荒業もさることながらどうやら男は身体自体が異様に強い。これもまた魔法による強化に見えるほどの、いやいっそできれば魔法であってほしいと若き指揮官は同期の男が背中から槍で貫通され撃墜される様を横目に見ながら思っていました。


『でっ、伝承の通りだ!奴は魔女を殺した!殺して魔法の力を奪ったんだぁ!!』


 ほとんどの声がまともな言葉の体を成していない中で誰かがそんな考察を口にしました。指揮官はああ間違いないその通りだろう、と心の中でだけ首肯しつつ飛んで行ったはずの槍が向きを変えて前から向かってくるという理不尽な現実に立ち向かうため回避行動を取ります。今回は運が良かったようで、後ろの方で一人誰かの悲鳴が聞こえました。


 もはや彼らには後ろを向く余裕もないので一応解説しておくと、獲物のはらわたを食い破った投げ槍は男の手元に戻り、再び投擲されまた戻って、を繰り返しています。


 ただ、それもある程度のところで止みました。


 男が標的を変えたのです。


 次に持ち替えたのは剣。ですが、それはまるで鉈をそのまま大きくしたような鉄塊の巨剣。


 障害ごと人間を真っ二つにする暴力の化身のような剣が向いたのは、先だって尖り歯を見て恐慌を起こし歩を止めていた中堅から上級の魔法使いたち。


 そう、かつて尖り歯の一族を滅ぼした、張本人たちです。


 戦慣れしているはずのベテランたちが怯えるというのは、彼らなりに思うところがあったのでしょう。会う場所が違えば生き残りがいたことを喜び償いのために彼を迎え我が子のように慈しむような展開もあったのかも知れません。


 その子供、仇の顔を全員分覚えてるので後で皆殺しにされますけどね。


 若い魔法使いたちが横を通り抜けていく中、彼らの中にはせめて若者だけでも逃がそうと動いたものがいくらかはいました。


 より強力な守りの壁を作り、葛藤を抑え魔法で迎撃し。


 その戦ぶりを語るほどの時間もなく斬り潰されました。


 あるいは、本望だったかも知れません。


 あの魔女の暴威を目の前にして絶望したのは生き残りの子供だけではありません、研鑽と世代交代の果てに魔女を超えることを目指す魔法使いもまた同様。


 何より、同じ戦場での活躍を目にしていた尖り歯の一族がなすすべなく皆殺しに遭うのを見て心を折られたものは多かったのです。


 遥か遠き高みにて、滅びの魔女は他のあらゆる一切を見下し続ける。


 その資格ある絶対強者であると、認めてしまった。


 魔法使いとしての自分に誇りを持てなくなっていたものにとっては魔女を狩った男に踏み越えられるのは希望と言えなくもないでしょう。


 そんなこと考える前には臓物ぶちまけて空に散っていましたが。





 逃げ、抗い、命を乞い、泣き叫び、そして魔法使いはついに死に絶えました。


 それをつまらなそうに、魔女カーラはいつも通りに見下します。


 特に思うところはありません。命はいずれ死ぬものです。それに挑みかかっていって逆に殺されたことに文句を言うのでは道理に合わない。


 そう、災厄同然の存在にさえ道理はありました。


 故にわからないのです。男の存在は道理に反する。


 一つ一つすり潰すように確認し燃やしたはずの尖り歯の人間が何故生きているのか。魔法使いですらないはずのあの蛮族に何故魔女の気配があるのか。


 彼女は魔法使いたちが盲目的に信じている、魔女の命を奪ったものは魔法の力を得るという伝承が嘘だということも知っています。


 道理に合わない。


 なので、改めて殺すことにしました。





『いやー、爽快爽快。あれだけ派手に暴れるとこっちも仕掛け人冥利に尽きるよ。あ、みんなもあたしの遠見を伝心の魔法で共有して観てるよー』


『ご主人様ー!最高でーす!』


『あの、アルテとエリーがやたらはしゃいでるんだが見せても良かったのかこれ!』


『楽しそうだからいいんじゃない?イドくん、こっちはこの通り何も心配せず帰りを待ってるわ』


『でもでも、やっぱり心配なので無事に帰ってきてくださいねえ!』


「……ああ」


 耳元に響く奴隷たちの声援に、イドはほんの一瞬だけ心を緩めました。


 魔法使いの用いていた遠見の魔法と伝心の魔法を利用したオルガの本気狩マジカルオペレーション(魔女に伝わる古い言葉で、意味は『魔法による戦術的支援』)は遠く離れたイドとその屋敷とを繋ぎ、その戦いを見守りかつ応援していたのです。


 最初にイドが担いでいた女の死体?あれはオルガが魔法で作った人形です。割と精巧で夜のあれそれなことにも使えます。血もただの演出です。


 魔法使いの魔法は魔女に比べるべくもない弱いもの。しかし対人戦においては十分に殺傷能力のある代物です。故に、魔女戦を前にして負傷の可能性を減らしたかった。


 なのでまずはさんざんビビらせてから片付けてやろう、と。


 魔女による仕込みが完成したのは少し時間を遡り、決戦前日。


「まじないってさあ、魔法とはちょっと違ってさ。魔力と術そのものを人やものに直接仕込むんだよね。だから魔法と違って放つ意志がいらないし維持魔力がある限り効果を発揮し続ける。直接あたしから供給してれば維持魔力も実質無限。イドを捕まえた時に使ってた兵士はあたしの魔法とまじない両方でもって支配、強化した個体でね。まあそれはいいや、とにかくさあ。魔女や魔法使いとやり合うのに魔法の力抜きじゃさすがに話にならないんだよね」


 というわけで、と。


 オルガが取り出したるは預かっていた毛皮のマント。


「これと武器にー、色々まじないをぶち込みました!あたしの魔力とマントに元々ついてるまじないの維持魔力がなんかびっくりするくらいあったからそれもちょっと引っ張ってきて。使い切るほどじゃないから。先っちょだけだから。まあとりあえず空を飛ぶのと紐づけした武器を操るのと遠くでも話ができる伝心と、あとは入るだけ防護詰め込んだ。それでもあいつの火力じゃマントだけ残って殺されるって可能性もなくはない。でもほら、あたし『まじないの魔女』だから。まじないにかけては最強だから。信じてくれていいよ」


「……」


 正直、イドは断るつもりでいました。魔女に復讐するにあたって魔女の力を借りるのはやはりなんか違う気がする。そんないかにも人間らしいことを、珍しくも彼は考えていたのです。


 しかし、それは甘い考えでした。


「す、すごいですね…え?ご主人様飛ぶんですか?」


「飛ばすよ?小さい頃にわとりを飛ばすまじないを作ったんだけどまさかその経験が活きるとは思わなかったよね」


「それほんとに大丈夫なんですか…?」


「武器は私たちで用意した。きっと君なら全て扱いこなすだろう」


「なんとか軍へ渡りをつけたわ。貴方の戦いが終わるまで手を出さないと確約させた。と言うより、あちらも魔女との戦いに巻き込まれるのが嫌だから最初からそのつもりだったみたい。とにかく周りのことは気にしないで存分にどうぞ、ご主人様?」


「わたしは細工をがんばりました!刺したり刻んだりするの、得意なので!」


「……お前達」


 そう、イドの女奴隷たちは揃いも揃って空気の読めない、無敵の女たちでした。


 ここまでお膳立てをされれば、主人として受け取らないわけにはいかないでしょう。


 かくしてイドは初めて尖り歯の流儀として毛皮を纏い、鎧など防具を用いず、複数の武器を携えて戦場に向かいました。


 かつて覚えた魔法使いの顔を思い返して全てを殺したことを確認し仇討ちの半分を達した後。


 上空で待つ最後の仇を睨みつけます。


 間違いなく、今度こそあの日と重なる、凶兆の黒髪。視界に焔が燃え上がり、理性をじりじりと焼く中で。


 しかし、彼は正気でした。


『ここからが本番です。必ず帰ってきて、また奥まで満たしてくださいね』


『あの…この前読んだ本に女騎士と言えば尻…とかなんとかあってだな…興味があるなら…じゅ、準備しておくから…』


『私もまだまだ引き出しはあるわよ。全部使って、貴方に仕えることを約束するわ』


『わたし、オルガさんの話を聞いた時すごく羨ましくて…わたしも壊れるくらい、長く、激しく、ぐちゃぐちゃになるほど愛してくださいねえ…旦那様?』


『えっ…エリーちゃんってそういう属性だったの…?あたしから言うことと言えば、全員でぬるぬるべたべたわっしょいわっしょいしたいなー。ほら、功労者だからさ。お願い聞いてよね』


 こんな奴隷の発言を聞いていれば熱も冷めるというものです。本当に空気を読みません。


 だからこそ、帰らねばならない。


 今度こそ、しっかりと躾をしてやるためにも。


 イドが手繰り寄せたのは四つ目の武器、愛用の戦鎚。


 握る柄から込められたまじないを感じながら、魔女が落とす屋敷一つ丸ごと呑み込むような大火球に向かい、まっすぐに飛び込んでいくのです。





「魔女狩り。ふん」


 くだらない。


 一体どんな魔女がただの人間に負けるのか。


 尖り歯がどうやら普通の人間と違うのはわかっていた。


 しかしそれでも魔法の使えない人間が。


 魔女に、挑もうなどと。


「思い上がりも、大概にせよ!!」


 怒りのままに腕を振るえばのたうつ爆炎が幾条にもなって蛇のように火球へ殺到する。


 まるで、イドが抜けてくるのを読んでいたかのように。


 火球を破って、しかし無傷で現れたイドは炎の鞭を巧みに躱し、まじないを上手く操り飛翔する。


 気に食わない。


 魔女に逆らおうなどと。


 この尖り歯が生き残りだとするなら目的は復讐だろう。


 何故だ?


 人には営みがある。


 命を拾ったなら何かに阿りその営みに加わればよかった。


 誰もが何かを諦め、己の非力を恨みながらも身の丈にあった自分に、自分が歩むにふさわしい運命へ迎合していくものだろう。


 


「何故一人で向かってくる?この滅びの魔女に!!」


「一人じゃない!!!!」


 のたうち回る炎をまじないのかかった鎚で払いのけ、裂帛の気合と共にイドは波状攻撃の内側を突き進む。


「俺みたいな弱い生き物が一人で生きてきたとでも!?父に救われ!師匠に見出され!友に助けられ!挙句の果てには奴隷にまで手を借りたぞ!貴様のせいだ!何故あそこでもっと念入りに焼かなかった!燃え続けていれば、渇いて死ねただろうに!」


「なっ…」


「ふざけるな!何が人食い鬼だ、何が魔女狩りだ!俺はなぁ!イドだ!尖り歯の一族の族長バズガングルドの息子イーデガルドだったんだ!それをお前がっ、焼き尽くしておいて!責任の一つも取れないじゃ道理が通らないよなぁ!?」


「何を…ほざく!」


「俺が知った事かぁぁぁぁ!!!」


 様子は若干おかしくなってきましたが、むしろその体捌きは冴え渡っていく一方。


 炎を避けながらも向かってくる気迫に押されてか、ついに魔女はその場から箒を動かしました。


 魔女対復讐鬼、人外の領域で行われる高速機動空中鬼ごっこは苛烈を極めます。


 人間の分際で背後を決して離れずついてくるのがあまりに鬱陶しい。


 先程までの火球や蛇など児戯だと言わんばかりに敵対者を滅ぼす魔法を惜しみなく、際限なく繰り出す魔女。


 対してイドは弱者の絶技でもって色とりどり派手な魔法群に突っ込んで、そして無傷で切り抜けて見せる。


 鋼をも溶かす何百の炎の槍も、冷気だけで生物の命を奪う氷の礫の雨も、並みの人間なら巻き込まれただけで全身ずたずたに引き裂かれる嵐も、触れればその部分から腐り落ちる魔霧の魔法さえも。


 命削る躍動の果て、全てを躱し肉薄する。


 周囲に濃密な死が満ち空の全てが敵に回ったとしても。


 イドは一層にその速度を上げて、追いすがる滅びを振り切って。


 二つ目の黒い流星はついにその背に手を伸ばし、否。


『イド!カーラが守りの魔法を張った!』


「ぶち抜く!」


『違う!避けて!』


 そこでイドは初めて、迫る死の感覚を思い出しました。


 側方へのローリングで突然魔女の背後を外れる。いや、避け損なった。


 顔面を二分するように斜めに走った裂傷はイドから右目の視界を奪っていきました。


 魔女オルガが遠見の魔法で得ている視界を共有している女奴隷たちが主人の負傷に悲鳴を上げ…たりは特になく、むしろ『姿勢制御は!?立て直せますか!?』『オルガ、私達にも遠見ができるようにならないか?』『彼の目の代わり…いいえ、こちらで五通りの視界を提供する。イドくんなら並列処理できるはずよ』『山育ちなので目はいいですよお!旦那様のことはいつも目で追ってるので!』『山関係ないじゃんそれ…』


 なんともまあ頼もしい。どころか負荷を増やされた。


 まじないの魔女は性格の適当さとは裏腹に仕事が早く、すぐさまイドの視界が更新されていく。さすがのイドも五人分の視点には少し足元定まらぬ気もしたが足元が定まってないのは元々だし意地っ張りなのですぐさま適応してみせる。


『いーい?多分わかったと思うけど、カーラは守りの魔法を壁ではなくとして張ってくる!蜘蛛の巣のように絡め取るものじゃない、桁外れの魔力で強度を上げまくった魔法を無数の斬撃として展開するカーラの切り札。ここまで派手な魔法を見せておいて最後に不可視でわからん殺ししてくるあたりは何と言うか…変わんないなぁ…でも、逆に言えば切り札をやっと引っ張り出した。イド、なんか熱くなりまくってるけど覚えてる?』


「…ああ」


『ならよし。ついでに言っとくと維持魔力が予想以上に削れてる。空中でマント使い物にならなくなる前にケリつけないと次の瞬間絶命すると思う』


「ああ、死んでもいい。悪くない気分だ」


『ご主人様、戦場から帰ってたまにぼーっとしてたのって熱でおかしくなってたんですね…え、かわいい…今度からごはんあーんしてあげますね…』


 奴隷の新たな領域を開拓しつつ、把握の終わった新たな視界でもって滅びの魔女の姿を捉えた。


 こちらの負傷を見て笑っていやがる。おい、なんだその顔は。冷や汗掻きながら嘲笑うな。魔女なら常に余裕で見下せ。俺から全てを奪っておいて魔女としての振る舞いを乱すのは許さない。いつだって復讐するに値する悪鬼であり続けろ。さあ嗤え、あの時のように。里を焼いた時のように。


「でなきゃあ、殺すぞ!!」


「殺せるものか、人間風情に!!」


 再び、二つの漆黒の流星が空を駆けます。


 ただ、今度は少し様子が違いました。


 イドが回避行動をやめたのです。


 直線軌道で最高速の突撃を取ったのを好機と見たカーラは不可視の刃を次々と繰り出し、念入りに行く手を塞ぎ自分の周囲を固めます。


 魔法の効かない魔女同士でさえ必殺となりうる最強の手札。


 信頼度はいかほどだったでしょう。


 しかしこの物語は、誰であろうと常に希望に縋ったものが負けてきた残酷な物語です。


「……え?」


 次の瞬間、カーラが目にしたものは。


 空を裂いて飛来する、戦鎚。


 オルガが解説した通り、滅びの魔女カーラは守りの魔法までもが殺戮に特化した形状を取ります。


 不可視の刃として張り巡らされた守りの魔法は触れるもの、侵入者を守りの魔法として弾くのです。その結果あらゆるものがズタズタのバラバラに、なるはずなのに。


 ただの武器が?


 いかな膂力で投げたところで、いや、そこでカーラは思い出す。この鎚は先程も炎を弾いた。そもそも空を飛んでいるのだから魔法が関わっているのは明白。


 相手は確かに並外れた身体能力の持ち主ではあるが魔法使いではない、では、守りの魔法を破るための、そして空を飛ぶためのまじないが仕込んであるのだ。


 次いで魔女を追うように迫る三種の武器。間違いないとカーラは確信する。まじないは武器とマントに仕込んである。


 武器自体が手元に戻るのも見た、ならば。


「手ぬるい、手ぬるいなぁぁ!!」


 それぞれの武器の維持魔力を焼き尽くす!


 再び四本の炎の鞭が放たれ、剣を、槍を、矢を、鎚を飲み込む。


 対魔法処理を発動させ続ければまじないはやがて消え、そうでなくても拘束しておけば手元に戻らない。


 後はここに来て武器を擲った大馬鹿を親兄弟と同じように灰燼に帰すだけ。


 さあ、来い。武器を呑んだ炎の鞭の真ん中を突っ切ってくるところを、仕留め


「隙を見せたなぁぁぁぁ!!?」


「はっ…!?」


 予想はあっけなく外れました。


 イドが現れたのは直上。吼えながら太陽を背に急降下してきます。


 そう、彼女は考えられなかった。


 


 魔法使いを相手にする時使ったビビらせて竦んだところを叩きのめす戦法を、イドは魔女にも用いたのです。


 魔女の力は圧倒的で、中でも滅びの魔女は別格。


 大抵大規模な魔法を雑にぶっぱするだけで国までもひれ伏すような存在が、果たして人間一人と相対して殺すのに慣れているでしょうか。


 答えは否。


 大声で相手を威嚇するのは戦場の常識。声合戦とも呼ばれるののしり合いは日常茶飯事。


 わけのわからない言葉で相手の思考を乱したり、勢いよくかかっていって相手に身構えさせるのも常套手段。


 わざわざ魔法に正面から向かってみせるような、例えるなら愚直に急所ばかり攻める戦法で思考に偏りを持たせるのも効果的。


 わざと痛がるふりやケガをしてみせて相手を油断させるのは、まあたまに卑怯だと言われることもあるでしょう。


 囮を用いて後ろから殴りかかるのは上手くやれば戦略的だと褒められたりも。


 ついでに凄惨な殺しを見せたり死体を晒したりするのも立派な戦術でしたが今回虐殺された魔法使いたちでは魔女の心は動きませんでした。ただひたすらに残念な連中でしたね。


 つまり、魔女は傭兵の汚い戦場戦術に踊らされたわけです。かわいいですね。勝ち目が見えたところで勝ち目を見せられている可能性を潰したせいです。あーあ。


 揺さぶられ。


 殺すことを急かされたがゆえに。


「おのっ、れぇぇぇぇ!!!!」


 今度こそ最高速度での急降下に対して魔女は連続して無数の火球を放ちます。


 してやられはしましたがその魔法の威力は健在。どれもこれもが人間など軽く灰にまで焼き尽くす地獄の業火。怒りも乗ってさらに苛烈な魔法の弾幕に抜ける隙はありません。


 ですが、イドは真っ直ぐに飛び込んでいきます。


 魔女の血が定着した毛皮を正面に回し、全ての火球を弾きながら。


 もはや魔女に驚くだけの時間はありませんでした。


 悪態を吐く時にはもう組み付かれ、揉み合いながら箒から落下。


 魔法を使おうにも毛皮を被せられ邪魔をされるしその上からしたたかに殴りつけられまともにかわすこともできない。


 なんとか最後の力を振り絞って地上へ激突する衝撃だけ和らげて。


 魔女は、傭兵に組み敷かれていました。


 完全なマウントポジションで尖り歯がその顔を醜い歓喜に歪め、魔女は鼻血と涙に汚れながらも歯を食いしばり男を睨みつけます。


 細い手首はまとめて掴まれ頭の上で毛皮にくるまれ縄で縛られました。ばたつく足はこれまた白くなめらかでなんと弱々しいことか。


「ふっ…ふふふふはははははは…」


 だのに、魔女は未だ嗤っていました。


「何がおかしい」


「おかしいさ。貴様は私を捕らえた。全ての常識を覆しあらゆる道理に反し魔女に打ち克った。だのに、だのに!お前は私に復讐することができないのだから!」


「…何?」


「教えてやる。魔女を殺して得られるのはな、魔女は死して呪いを遺す!滅びの魔女たる私を殺すお前は、果たしてどれだけ壮絶な呪いを負うことになるのだろうなぁ!?それとも、やれないか!?そうだろうなぁ復讐は生きるためにするものだ!そうだろう!?わかったか、私はおかしくて仕方ないぞ尖り歯。結局最後には絶滅するのだから!!あはははははははは!!!!!」


「知ってる」


「はははは…は?」


「知っていると言った。どうした、笑えよカーラ。柔らかな髪だな、毎日気を遣っているのか?この長さだ、手入れは大変だろう。こうしてみればこの禍々しい灼眼も美しいものだ。俺が子供の頃から焦がれていたのはこの瞳だったのかも知れないな。なんだ、憎まれ口は終わりか?残念だ、お前の声もいいなと思っていたところなんだが。もっと聴かせてくれ、その声を。なあ、震えているのか?かわいそうにな。わかるよ、負けるはずのない相手に負けることは恐怖だよな。俺もここへ出てきて女の怖さを知ったよ。お前なんか俺より強いというだけでよっぽどいい女だった。なあおい、何か言って見せろよ。言いたいことは本当にないか?言い残すことは?滅びの魔女と呼ばれた女の最期、せいぜい飾って見せろよ女。お前なんかもう魔女じゃない。女だ。わかるか女。肉付きの悪い屑肉が。どうしたんだよ笑って見せろ。わかんねぇのか、聞こえないか。もっと大きな声で言った方がいいか、なぁ…カーラ」


『あー、あのさ。あんまいじめないでくれる?話があるんだってば』


「…そ、その声は…オルガ…?」


『そ。久しぶりだね。先に謝っとくよ。全部仕込んだのはあたし。いや違うマントだけは誰か知らない人。でも、仕方なかったんだ』


「仕方…お前、自分が…うっ、何をしたと…!」


『だって、一人死ぬか二人とも死ぬかじゃ損でしょ。だから、これが三つ目の道』


「な、何を…え?おい、お前何を…何故服を破る?おい?」


「黙ってろ。俺は、お前を殺さない」


「え?…いや待て、手を止めろ。何をするつもりだ…」


「俺は、尖り歯の一族を再興する。そのために女奴隷を集めた」


「や…やめろ!私は、滅びの魔女だぞ!」


「お前はもう魔女じゃない。カーラ」


「私の名前を呼ぶな!そんな…こんなところでっ、やめっ…わあああああああああ!!!!!!」






「お前は、俺の奴隷だ」

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