第5話 五人目は魔女

 その夜、里が一つ燃え尽きた。世界に生まれ落ちた禍つの焔、『滅びの魔女』の手によって。


 後に残るは灰の山。炭と残ることすら許されなかった一族はしかし、滅びてはいなかった。


 覆い被さるように積もる灰の下から黒い毛皮が、その下から子供が這い出る。ざらざらと背中から零れる灰。澄んだ空気。夜闇にも明るい月の光。


 父に、父祖代々の品に守られ生き残った少年は空を見上げた。


 数多の魔法使いが、そしてあの女がいた場所。今はまだ手の届かない遠くだが、やがて彼はその領域にすら手を伸ばす。


 もはや流す涙さえも渇きに奪われた瞳に、炎の最後の一片を宿して。





 魔法によって放たれた炎は命じられた対象だけを焼きました。周囲の山々が無事だったのは彼にとっての幸運で、しばらくは豊かな自然が少年を生かしました。


 しかし自然とは生きとし生けるもの全てのゆりかごにして棺桶。狩りどころか釣り、果実の採集さえおぼつかぬ幼い少年には厳しいものです。


 残ったものは小さな身体と纏う毛皮だけ。ただ、少しばかりの知恵と復讐へ燃ゆる内なる焔が生み出す根性が彼を生存へ駆り立てます。


 具体的に言えば、寝ました。


 少しでも消耗を抑えようと水場の近くで毛皮にくるまり、生える草を嚙み、時に寄ってきた虫をかじりました。


 しかし根性論で腹は膨れません。水だけたらふく飲んだところでこちらを舐めきった獣が不思議な顔をしているだけ。


 何故生きているんだ?どうしようもない弱者に生きる意味はない。やがて強いものの糧となるだけなのに。


 そんな獣の首が落ちたのは果たして運命か、あるいは毛皮の少年が引き寄せた必然か。


「…あら?」


 現れたのは、女でした。


 仕留めた獲物を近くの枝に吊るし血を抜くのを眺めながら、しかし少年は女に話しかけようとはしませんでした。


 女の方もこちらを見はしますが身じろぎ一つしない黒い毛皮の少年に構うことなく飯の支度を進めるばかり。


 そんな膠着を破ったのは女の方でした。


「…もしかして、動けへんの?」


 痩せこけて肌が土気色の子供をどうして偶然山中で出会った地元民だと思ったのでしょう。口も動かせず、ただ目だけを向ける少年にやっと女は手を差し伸べたのです。


 それから数日。女は丁寧に少年を看護しました。


「ぼん、あの灰山、ぼんの里やったん?」


「……」


「みたいやねぇ。なんでわかるんやって?この刀、がえらい好きな悪食でなぁ。妖刀言うて、人斬りのためだけの得物でな、うちをここへ運んだのも、ぼんのええ匂いがしたんやろなぁ」


 されるがまま助けられていた少年が口を開いたのはさらに数日後のこと。


「おれの子をうんでくれ」


 なんというクソガキでしょう。食事の準備に小鍋をかき回していた女は口がきけたことに驚き、そして大笑いしました。


「うちみたいな変なのにほだされたらあかんよ、ぼん。…なんて。殺された一族をもう一度増やそうやなんて、殊勝やなぁ。よお思いつくわ。うちはてっきり、ぼんはぜーんぶ殺せば後は野となれの方やと思てた。人間の目利きはまだまだや」


「……じゃあ、ちからをくれ。ひとを殺したい」


「ええよ。でも人間の目利きがいまいちやから、加減まちごおて途中で死んだらごめんな?」


 事実、弱りきった子供の身体には山を駆け川を飛び越え崖を下る、そんな体力はありませんでした。女がその辺の木から適当に作った武器を振り回すのも一苦労です。


 そんな状態でも女は子供の言葉通りに人殺しの術を授けました。


 いくら非力な子供でも、子供は元より育つもの。教育者としてはともかく養育者としてどんな獣もあっさり狩り立て様々な可食植物を知り少年の腹を満たす女を良き師として、少年はやがて一人の戦士となります。


 そこまで数年。奇しくも尖り歯の一族における元服の歳でした。


 見た目の年齢の割に博識な女から刀剣のみならず様々な武器の扱いを教わった中で彼は棍棒など殴るものを好み用いました。


「戦場での生け捕り?手足落としたら暴れへんけど、生け捕りならまちごうてもはらわた破れるくらいで済む方がええなぁ。斬ったら血散るし」


 とは師の言葉。これが後に人食い鬼と呼ばれる傭兵を生みます。


 生け捕り。親から伝え聞いた戦場での習いを一つずつ思い出していく中で固めた彼の方針の一つでした。


 全ては復讐の、そして復興のために。


「ぼん。行くんならこれ持ってき。骨董品やけど。…わ、思った以上にやばい…なんだこれ…あ、におうとるようんうん」


 と、旅立ちの日に受け取った餞別こそが獣の顎を象った面頬でした。


「復讐者なら顔隠さんとなぁ。仇の前で外して「お、お前はまさか…!」ってやるんがええよ。特にぼんは尖り歯やろ?目立ってばれたら面白ないし」


「…ありがとう、師匠」


「ええよええよ。これはうちの目的でもあるんやから」


「……?」


「ぼん。いずれうちも気が向いたら戦場へ出るかもわからん。そん時にその面頬を見つけたら、全力で突っ込んでいくわ。その時には、ちゃんと殺し合おうな?」


 さあ、懐かしの夢はここまで。ここより先は再び血讐の戦場へ。


 そう、魔女との戦いの舞台へ戻るとしましょう。





 イドが目を覚ました時、最初に見たのは女の顔だった。


「あ、起きたぁ。前回の気絶から…三分?早いねぇ、あは」


 紅潮した頬、滴る汗、半ば蕩けたようなまなこ。いや、女の熱は顔だけではない。


 身体ごとべったりと、裸身同士で密着されている。


 腕は、動かない。足も、どころか首でさえ。特別絞まるような感触はなく、しかし身体だけが縛られたように動かせない。抵抗のできない胸板へ無遠慮に唇が押し付けられる。


「ん。ん。あー、淫蕩の味。しみるわー。ああ、覚えてない?拘束のまじないだよ。そ、特別製。君はなんか並外れて強かったしさぁ。べろ」


 好き勝手に身体を、顔を嘗め回す。


 男に跨ったまま一通り二人分の汗を啜った女は満足げで、しかしまだうずうずと腰を横に揺らしにまにまと下卑た笑みを浮かべる。


「思い出したかな?君はね、もうずーっとあたしの奴隷だよ。大丈夫、生命維持も衛生もしっかり対策してるから。そう、ただ君は、あたしと気持ちよくなってればいいの……」


 女は悦びの嬌声を上げ、男はただ歯を食いしばり仇敵をねめつける。薄暗い部屋に縛られた虜囚はただ、女主人に凌辱されるのみ。


 そこでイドは思い出した。いかにして、自分がこの魔女に負けたのかを。






「おおーイドぉ!やべぇぞ!魔女だ!魔女が乱入してきやがったぁ!」


 同業の友人ガームが全身黒焦げ、ついでに爆発したように縮れた髪の毛で姿を現したのは昨日、戦場でだった。


 他ならぬ親が目の前で黒焦げにされているイドにはそれが単なる煤であることくらいはすぐにわかったが何故髪の毛が爆発していたのかはよくわからなかった。しかし、それより優先すべき言葉がある。


 魔女。


 彼の傭兵人生における全ての始まりにして、この戦争の支配者。


「手下を連れててよぉ、魔女を討ち取ろうとしてそいつらにかかずらってた連中はみんな魔女の魔法にやられちまった。俺はお前に知らせようと思って逃げてきたんだけどよぉ、やっぱ飛ぶのは卑怯だよなぁ!」


「魔女はどこにいた!」


「俺がいた右翼に…いや、もう来やがった!何故なら俺を追っかけてきて魔法で遊ばれた結果がこれだからなぁ!」


「そーのとーり。傭兵が、男が向かってこないとかなーんかおかしいなぁって思って頭チリチリにしたりして遊んでたら…見事大当たりってわけ」


 その声は上から降ってきた。イドがすぐさま振り返ればそこには屈強な肉体を晒しながら袋のような仮面で頭を覆った男の集団と、その後ろ。


 宙に浮く箒に跨る女が、一人。


「ッ…ま、じょぉぉぉぁぁぁぁ!!!!」


 抑えは効かなかった。ガームの静止も振り切り、熾った焔は視界を染め上げていく。


 たちまち覆面の手下に取り囲まれるがイドが振り回す戦鎚は確実にその頭部を直撃する。とても平静を欠いた男のそれではない、尋常ならざる殺戮技術はいかに鍛え上げられ、そして魔女のまじないで強化された肉体であってもたやすく叩き伏せた。


 全てはこの時のために。師から授かった面頬はどこかへ外れ飛んだ。もう気にする理由はない。全て、全て、この女さえ殺せれば。


 復讐に曇ったまなこには、殺したはずの手下が起き上がる可能性は映っていなかった。


 包囲網を打ち破り魔女に肉薄しようとしたイドが後ろから追いすがる数多の腕に取り押さえられ、魔法で完全に制圧されるまで、数秒。


 魔女は口角のみを上げる厭らしい笑みを浮かべ、イドを抑える手下を引き剝がそうとするガームを叩きのめして。


 かくして尖り歯の傭兵は虜囚へとなり下がったのです。





 魔女の隠れ家に捕らわれ、薄暗い中犯され続ける奴隷の朝は早い。その生活は主人の寝台として始まる。


 戦の中で絞られ鍛え上げられた極上の肉体は今や魔女のよだれを受ける肉布団。


 いくら無様な寝顔を晒していてもそのまじないの縛りは強く、しかし常に動きを封じられていても違う種類のまじないが奴隷の肉体の健康を守る。


 細りもせず、筋肉も落ちないのに脱出できない歯がゆさはますますいらつきを募らせた。


「すぅ…んひっ。…なんか気持ちいと思ったらいれっぱだった。なんかごめんね」


 そんなとぼけた言葉と共に魔女は起き上がり、自然に凌辱を再開する。


「君は折れないねぇ。いや、棒のことじゃなくて。心がさ、折れない。なんで?」


「決まって、いる…俺には復讐があるんだ」


「復讐っ、んっ…復讐?そんなの、気持ちよければどうでもよくならない?ずっとしてあげてるのに、全然屈しないよねぇ」


「魔女、お前は…


「あたし?あたしはね、。オルガって名前を呼ぶのは身内だけ。それがどうかした?」


「何故、あの戦場へ来た…ぐ」


「我慢しなくていいのに。んー…いい匂いがしたから?ほら、あたしはこの通りの性欲だからさ。もう思いつく魔法もエロ関連ってくらいに。そんな女がいい男やいい女を飼うのはおかしい?」


「…なら、お前は。っ…滅びの魔女を知っているか」


「知ってるねぇ。あーでも、そっか。あいつに復讐したいんだ。それは、大変だねぇ。あは。諦めてあたしの奴隷になりなよ?ね?」


「…断る!」


「んひっ…あは、驚いた。動けないのに抵抗するつもりなんだ」


 相変わらず縛りは緩まない。しかし、イドは抵抗を試みた。


 少しでも動く部分は全て動かして、逆に魔女を攻め立てようと彼は蠢く。


 幸いにして栄養はどうやってか常に供給されている、いくら出そうと、いくら暴れようと身体の心配は無用。


 一矢報いるとは言わない、人は矢でもなくても当たり所が悪ければ打ち倒せる。相手が巨岩なら例え素手でも打ち続ければいずれは砕けるだろう。


「あはっ…やっぱりお互いやる気ある方がいいねっ」


「あっ、これいい、ここすご…」


「ちょっ、これはハマるって!ダメダメ!」


「うそ、なんでこんなっ、あれぇぇぇ?」


「待って待って待ってなんで縛り外れてんの!?ちょーい!?」


「…っ…は……ぁ…」


「……………」


「もっと!もっとしてー!!やだやだぁ帰るんならあたしも連れてってよぅ!」


 砕けた。


「え?奴隷?あたしのことだよね?」


 砕けすぎた気もする。


 それもこれもどいつもこいつもやたら学習能力が高い女奴隷たちとの戦いの成果である。技術的に進化していたのは情報を共有し全体が進歩する女奴隷側だけでなく、相手をするイドも同じだったのだ。


 悪しき魔女は滅びた。勝利は常に性技にあり。


 捕縛から一月近く経っての凱旋であった。


 魔女に首輪と鎖をつけ帰還した傭兵イドを誰もが褒め称え、敵国のにっくき魔女でないことがわかってもまだ街の全てを挙げての大騒ぎ。


「イドぉぉぉぉ!!よかったなぁ生きててよぉぉぉぉ!!」


 しぶとく生き残っていた鬱陶しい友人も。


「いや、信じてましたよ旦那。あのお嬢さんと暮らしてるあんたなら大抵の女には負けないってね」


 腹立つ奴隷商人も。


「おかえりなさい!ご主人様!」


「きみなら必ず戻ってくると信じていたよ」


「毎晩おろおろしていたのは誰だったかしら?さすがだわ、あなた」


「わたし、ずっといい子で待ってましたよ…だから、たくさん褒めてくださいね!」


 そして、多くの女奴隷たちも。


 みんなが騒ぎ、喜び、そしてその雄姿に打ち震えた。


 なお首輪と鎖は魔女本人の希望でした。


「たまにはこういうのもいいよねー、健全で」


 健全か?


 ともあれ、こうして傭兵イドは五人目の女奴隷を手に入れたのでした。




 <次回予告>

 ついに魔女までもを手中に収めたイド。時を同じくして敵国では同じ魔女の陥落を受けとうとう『滅びの魔女』が動き出す。

 イドが手にする復讐の決着とは。

 滅びの魔女がもたらす終末とは。

 これより語るは伝説の終わり。世界を渡り広まった傭兵の物語の完結。


 次回、最終回『女奴隷を集めた傭兵のお話』。

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