第3話 三人目は女間諜

「ふふ。国を越えても女性の扱いは変わりませんねぇ」


「ああ、そういう意味ではこの馬鹿力にも感謝している。私を最後まで女扱いしてみせた男はいなかったからな。…主を除いて」


 凛々しい顔に甘い微笑みを浮かべながら下腹部をさする新しい女奴隷イリシアのことは一旦忘れることにしたイドでしたが最後の一言にだけは男の沽券を賭けてなんとか反論しました。


 扱われていたのは俺の方だ。


 屈辱でした。


 倒し奪い凌辱し心を折るつもりが最後の最後で逆転されて。


 挙句好きなように朝まで犯されたとあっては奴隷に対して示しが付かない。


 何より爆発させるはずだったけだものの如き征服欲はどこへぶつければいいのか。


 勝手に納得して惚れている女奴隷たちを好き放題したところで喜ぶだけでこちらはさっぱり満たされまい。


 そう、彼は今、己の内側から顔を出した醜い欲望と戦っているのです。


 本来戦わずともよい仲間との戦いは果て無く、また年若きイドには厳しいものでした。


 ではなんとするか。


 買うしかあるまい。新たな奴隷を。





 一人目の女奴隷、元貴族のご令嬢アルテミシア。彼女は自分を道具として扱う親兄弟に嫌気が差し家を出ましたが向かった先はなんと奴隷商人の店。半ば脅すようにして自らを商品とし、良き主人に巡り合い、良き子種をもらい、良き子を産み、やがてその子を当主に新たな氏族を興す野望を持つ、見た目の清楚さからは想像もつかないような過激派奴隷でした。ちなみに売り文句では家事も何もできないと奴隷商人に言わせましたが良き主人に仕えるなら己も良き女でなくては、と奴隷の世話係からあれこれ教わっていました。はっきり言って普通なら返品モノの危険人物です。


 そんなアルテを掴まされた奴隷商人のところでは二度と奴隷を買わないと決めたイドは別の店へ向かいました。


「おや。これはこれは…よくぞ我が店においでになりました。鬼殺し殿」


「…鬼殺し?」


「おや、ご存知ではありませんでしたか?魔女と同じくらい恐れられていたあの『剣鬼』を仕留めたと話題になっておられますよ。中にはその素敵な毛皮を真似するものもいるとか」


「…」


 剣鬼?


 え、知らない。


 店主の言うところによると、「全身を固める鎧は矢を打ち込む隙などなく、その怪力で数人を一度に薙ぎ払い、分厚く大きな剣でもって鎧ごと真っ二つにされたもの数知れず。ゆえに剣の鬼です」とのこと。


 さすがに誇張も入っているでしょうが、それにしても人食い鬼と呼ばれ味方にまでドン引きされていた男がいつの間にか鬼殺しなどと呼ばれているのには、さすがのイドも皮肉気味に鼻を鳴らしました。後の世で語られる彼の伝説に彼女との決闘が加えられているのはおおむねこういう事情があったからというわけです。


 実情がほぼ一方的に兜越しとは言え女の顔を何度も殴った(よく考えればおかしな話なのですが)ダーティなヒールでもみんな派手な話が好きなのです。最初に話を盛った誰かのことを考えると人間の業を感じますね。


「お客様のような有名人にお買い物をしていただければ箔がつくというものです。では、どんな奴隷をお望みでしょう?実は優秀な下女を仕入れましてね」


「非力なくせに反抗心だけは強い、できるだけ何の役にも立たない女奴隷をくれ」


「えっ」


「健康なのがいいが、多少細っていても構わん。子を産める若い女奴隷がいい」


 勧めようとしていた商品を全否定された店主は少ししょげた顔をした後、改めて困った顔をします。


「…子を産ませるために女奴隷を欲している、という噂は本当だったのですね」


「ああ」


「それにしたってもうちょっと良い条件でもいいのでは…」


「これでいい。それで、いるのか」


 店主は少し考え込み、「実は、おります」と続けた。


 しかしその歯切れは悪い。まあ、実際を聞けばわかることでしょう。彼がとんだ不良債権を押し付けられたかわいそうな商人であることが。


「若く、見目も良く、それでいて反抗的で、まともに仕事なんかしそうにないのが、一人。連れて来させましょう」


「頼む」


 数分後、客側からは透けて見える壁の部屋に現れたのは、一人の女奴隷でした。


 少し陰りがあるものの顔立ちは美しく、すらりと美しい曲線を描く肢体は魅力的で、胸や尻の肉置きも良い。


 子を産ませるどころか、金を払って抱くに充分な価値ある美女でしょう。


 ただ、どことなく煽情的な女奴隷の視線は、イドをねめつけているようにきつく。奴隷の側からは見えない壁の向こうにいる客の下種な視線を嫌っているつもりなのでしょうか。


 しかし奴隷のそばにいるはずの世話係が壁のこちら側へ控えているのも不思議でしたが、イドはもっと不思議なところに目を向けました。


「気付かれましたか。どうか勘弁してやってくださいませ。何せ、この女は間諜だったのです」


 女奴隷の両手にかけられた手枷を指し、商人は苦々しい顔でそう言いました。


 間諜。敵国へ潜入し情報を盗み、時に弄び、必要ならば暗殺、襲撃を含む破壊工作をも辞さない影の者たち。つまりスパイですね。


 一般的に、奴隷商人は奴隷にかかる負担を極力排除し質を高く保つことで値段を上げ利益を出します。枷だなんて前時代的なもの、以ての外。傭兵でも金さえあれば相手にはしますが、客の吟味は欠かしません。奴隷に合った職場へ買われることで仕事への心持ちも変わり、客も奴隷も満足満足。


 ただ、それはあくまで傭兵や人攫いに売られたり、自身の身売りによって生まれる個人契約奴隷のお話。


 軍、ひいては国に捕らえられたものは末端の兵士であってもろくな扱いは受けません。ましてや間諜、内通者、敵国の重要人物まで行くと政治の駒から民衆の娯楽までその末路は幅広く。


「軍から内密に…や、はっきりと押しつけられたと言ってしまいましょうか。連中、取り締まる側の立場を利用してこうやって奴隷として流すことがありまして。意図はわかりません。が、こんな危なっかしいもの到底普通には売れません。我々の信用問題に関わります。本当ならお客様にだって」


「わかった。いくらだ」


「これだけいただければ」


 即答でした。口では嫌がっても身体は正直なものです。


「安いな」


「こちらから払ってもいいくらいです」


 そんな調子のいい商人でしたが、次のイドの一言にはさすがに難色を示しました。


「ぜ、前言撤回です!勘弁してください!」


「気にするな。いい買い物だった、また来る」


「ちょっとぉ!」




(どういうことなの…?)


 傭兵イドの新しい女奴隷こと間諜のウルザはただひたすらに困惑していました。


 商談はつつがなくまとまり、奴隷売買の決まり通り安物の仕着せを着せられ、店の外へ。


 そこまでは聞いたことのある流れでした、現状に歯噛みしつつ枷に繋がった鎖を引かれるままに歩を進めるしかありません。


 拷問を受け弱っている今だからこそ商人も客を選ばずさっさと売り払ったのでしょうが、しかしウルザは既に逃走のための計画を頭の中で進めていました。


 どんな醜悪な悪党だろうと女には勝てません。手練手管があり、人には欲がある。十中八九成功するでしょう。


 ただ、ここで少し予想が外れます。彼女を店の入り口で待っていたのは、自分より背の低い、いっそ少年と言っていい若い男でした。


 しかしその奇矯な恰好には覚えがありました。この街の軍人を相手に暗躍していた時、幾度か目にした獣の頬当てと漆黒の毛皮。


(かつては人食い鬼、今では鬼殺しとも呼ばれる非道にして凶悪の傭兵、イド)


 そんな男が、今。


(なんで私の手を握っているの…?)


 土砂崩れもかくやといった悲嘆の表情を浮かべ渋る商人から鍵をぶんどった、もとい受け取ったイドはすぐさま手枷を外し、その細い指を掴んでそのまま店を出たのです。


 声こそ上げませんが、正直に言えば少し痛い。拘束と拷問で荒れた手にはあまり優しいとは言えない、がさつなエスコート。


 ですが、ウルザは何故か特に反抗する気も起きず、引かれるまま年下の男に従い歩きます。


 …もしかすると、手の握り方がまるで力加減の下手な子供のようだと思ってしまったからかもしれません。


「…!?」


「どうした」


「な、なんでもないわ」




 なお、本当のところイドに特別な気持ちはなく、その気になれば外せる手枷より自分の手で握っておく方が気持ち的に楽だっただけです。




 裏の裏通りを出て、いかがわしい通りを抜け、表の大通りまで出てイドは馬車を拾いました。


 ウルザは傭兵ごときが馬車を、と内心で思っていましたがそれ以上に御者は澄ました顔で背の低い傭兵に手を引かれる成人女性に対して二度見するほど驚きました。


 連れて来られたのは寂れた高級住宅街に立つお屋敷。イドが奴隷を飼うために用意した物件。


 イドが無作法に扉を開ければ従順で仕事熱心な奴隷たちが出迎えに集まってきます。


「おかえりなさい、ご主人様。もうすぐごはんですよ」


「おかえり。あの部屋の寝台なんだが、脚をねずみがかじっていたから新しいものと交換しておいたぞ。軽かったが腕力を使ってしまったのでまた筋肉がついてしまう…」


「ぎょわー!!」


 ウルザは斃れました。


 死因は驚き過ぎです。理由を解説していきましょう。


「あれ?新しい奴隷さんですか?」


「任せる」


「お任せくださいっ」


「あ、あ、貴女!なんで貴女がこんなところにいるの!?」


「なんで、とは?」


 おや、息を吹き返しましたね。しかし突然面識のない女から指をさされ、アルテは困惑しました。困ったような顔で首をかしげてみせます。


 わななくウルザを置いて主人は奥へ引っ込みましたが、奴隷たちは応じてくれる模様。ちょうどいいので本人の口から解説を聞いていきましょう。


「三ヶ月前!私はある依頼を受け調査を行っていたわ!格上である第一位貴族との婚姻を前にして護衛という名の監視と警備が巡回する屋敷から突然姿を消した少女の捜索をね!さあ、話してもらうわよ!どんな間諜や情報通でさえその行方を追いきれなかった真相を!第三位貴族息女、アルテミシア・ア「奴隷に家名は必要ない」え?」


「奴隷に家名は必要ありません。そうですよね?」


「…え?」


「なので、私は家名を捨てました。あなたには私がその女の子かどうか、確かめようがありません。そうですね?」


「…あ、はい」


 何かを知ろうとする時には引き際の見極めこそが重要です。朗らかながら華やかな笑顔を咲かせる少女を前にして、正解がどちらかを察し引き下がった彼女は賢い女でした。


 顔を逸らした先にいたもう一人の女奴隷と目が合う。まあ色々あるよなと言いたげな顔でうんうんと頷いていた。


「イリシア…いえ、家名はなしでしたね、イリシア殿。剣姫殿。貴女は何故ここに?」


「…その名で呼ばれたのは久しぶりだな。最近は鬼呼ばわりだったから…軍の関係者か?」


「ウルザ・ノベンバー。間諜です。ですが、貴女の誇り高き戦ぶりは祖国でも随一。私のような末端のものでも存じております」


「…間諜とそのまま名乗られるのも不思議な気分だな」


 こちらが浮かべるのは苦笑。余計な威圧はなく、伏し目がちにイリシアは求められた全てを語った。


 勇猛な軍人であった兄の失墜、報復のための苛烈な戦ぶりがそのあだ名を変えたこと、巡り合った仇との戦い、敗北。


 そして、己の抱え続けていた真意を。


「私はな。騎士になんて、なりたくなかったんだ。彼に仕えているのは私の意志で、騎士が嫌だから奴隷になった。それだけだよ」


「…そうですか」


「ああ、でも!誤解しないでほしい。私はここで幸せに暮らしているよ。貴方もきっと幸せになれるさ」


「…私は」


 と。


 そこでアルテが手を叩いた。


「ごはんにしましょう!」


「え…?」


「ごはんの時間です!奴隷たるものご主人様をおなかぺこぺこで放置するのはいかがなものかと思います!」


「あ、はい…」


 イドが腹減りかどうかはさておき、場は食堂に移ります。


 長机がいくつも縦に並ぶ広い食堂で主人と女奴隷は食事を共にするのですが、まあ四人では当然空々しい。おまけに配膳されるのは当然豪華な高級料理ではなく大鍋で煮込まれたスープとパン。庶民の食卓です。


「「いただきます」」


「召し上がれっ」


 主人と料理番アルテのやり取りに合わせて食事は始まりました。


 ウルザは(食事の挨拶はするのね…)と内心で思いながら、まずは湯気立つスープに手を付けます。


 匂いは少なく、しかし肉を中心とした多くの具材がごろごろとたっぷり入っているのはこの大戦争時代に生きる間諜としてはなんとも言えない心持ち。


「…ん?」


 けれど現実は甘くない、違和感はいつだって口の中に入ってきてから訪れるもの。


 あの、と声を上げようとしたところへ先んじて「いまいちですねぇ」と調理者本人が声を上げた。


「気付いたか」


「え?」


「したいと言うから料理を任せたが、最初の一回は唇が痛くなるほど塩の効いたスープが出てきた。それからマシにはなったが、今度は味が薄くなったり濃くなったりと安定せん」


「私は健康的でいいと思う。従軍中はとにかく塩漬けだったからな…」


「お料理は難しいですねぇ。もう少し教わる時間があればなぁ…」


「そ、そう…ところで」


「…なんだ?」


 話を向けられたイドは口に運ぶ手を止め、女奴隷を見据えました。


 睨んでいるわけではないのに人を飲み込むような威圧感にほんの少しだけひるみましたが、それでもウルザは言葉を続けます。


 知る必要があるから。


 間諜はあえて、獣の口にすら飛び込んでみせるのです。


「貴方は、何者なの?」


「語る必要があるか」


「…ぅ」


 にべもない返答と、滲む敵意。獰猛な人食い鬼がこれで済ませるのがおかしいくらいの静かな、しかし牙の如き剣呑さが食堂に広がります。


 ですが、この場では運が彼女の味方をしました。


「ご主人様のお話、私も気になりますねぇ」


「ああ。せっかくだ、新しい奴隷の購入祝いに少し語ってくれないか?」


 なんということでしょう、怖いもの知らずの奴隷たちに空気は読めないのです。


 あまりに脳天気な物言いに、さすがの傭兵もため息一つ。


 パンをちぎり(やけに丁寧な所作で)、スープを眺めた後そのまま口へ運んでから。


 語り始めました。


 それは、この物語の始まりにして終わりへの道筋。


 彼が背負う運命と、辿る未来について。




「俺の名はイド。尖り歯の一族の、最後の一人だ」



 女奴隷たちの間に、三者三様の衝撃が走りました。


 イドは不機嫌げに鼻を鳴らし、口角を上げました。そこに覗くのは、なるほど常人よりよほど鋭く尖った八重歯。


 普段は面頬で隠す口元の秘密を、奴隷だけは知っていました。しかし、先程の言葉を聞いた後では全く意味が違ってくる。


「最後の一人って…それじゃあご家族は」「尖り歯の一族とは、あの?」「やっぱり生き残りがいたのね…教えて。あの日、何があったの?」


「三人同時に言うな」


 身を乗り出さんばかりの三人に、と言うか乗り出してきているのを制し、食事を続けながらもイドは続けます。


「十年前になる。俺は自分の血族を滅ぼされた。家族はいない、親兄弟みな焼かれた。イリシア、ウルザ、お前たちが知っている尖り歯の一族で、一部を除いて間違いない」


 事情に察しがついている二人がアルテ向けに補足する。


「尖り歯の一族とは、一族を挙げて戦に出ては嵐の如き強さを見せつけ、敵味方に畏怖された傭兵の血統だ。私やウルザの祖国の領内に里を持つことから長く盟友として多くの戦に力添えをしてくれたという。…だが、この国との戦争が始まる寸前のことだ」


「尖り歯の一族の武威を危惧した敵国が密かに兵士を送り込み、夜襲にて里を滅ぼした。私たちの国にはそう伝わっているけれど。さっき言った間違いは、ここね」


「ああ」


「そこからは私にもわからない。どういうことだ?」


「里を滅ぼしたのは私たちの国よ。当事者の口から聞いてようやく確信した」


 かつて騎士だったものは絶句した。イドは特に反論もなくウルザを見据える。その視線を受けてウルザは、


「尖り歯の一族は、自分たちを戦力として組み込みたがった国を嫌ったのよ。得意先ではあっても服従をよしとしなかった。だからこそ、敵に回るかもしれない脅威を祖国は片付けたかった」


 と続けた。


「私は昔から知りたがりでね。間諜として鍛えられた耳目でもって色々なことに首を突っ込んできたわ。これもその一つ。だっておかしいでしょう?仮にもたかだか一つの村落程度の人数で戦場を荒らしまわった豪傑の集団よ?それが、誰にも気付かれず国境を越えられる人数の兵に夜襲程度で皆殺しにされただなんて、にわかには信じられなかった。そんなに優れた兵があるなら、すぐに戦争も終わっている。では、肝心の誰がやったかなんだけど…」


「いや…そこまで言われればわかる。…魔女だな」


 割り込んだイリシアの言葉に、初めてイドが反応を見せた。


 それは、今まで奴隷の前で見せたことのない感情。


 忌まわしいものに向ける侮蔑と怒りが、一瞬だけ彼の表情に表れた。


 それを見たアルテが駆け寄ろうとするのを手で制し逆の手で目を覆うことで不意に熾った熱を鎮める。まるで、この十年何度も繰り返してきたかのような手慣れた所作だった。


 魔女。


 それは、人の枠を超えた魔法の使い手。


 その血統に魔法を受け継ぎ、人とは違う時間の流れに生きるもの。


 イリシアとウルザの祖国にはそんな魔女が軍事的切り札として鎮座しているのだ。


 だからこそ戦争は終わらない。戦局が傾けば魔女が現れ覆してしまう。それをこの十年何度繰り返していることか。


 もはやこの戦争は魔女のものなのだ。殺戮と破壊の化身、『滅びの魔女』の、箱庭遊びでしかない。


「俺の里を焼いたのは魔女だった。魔女だけじゃない、奴は魔法使いを連れていた」


「…ご主人様は、どうやって生き残ったんですか?」


「父に守られた。この毛皮は魔法を弾く」


 漆黒の、何とも知れぬ毛皮はしかし代々の族長を守ってきた品である、と。


 今は部屋にあるそれがかかる肩を撫ぜた。


「毛皮を被せられ、熱から父にかばわれながらも。俺は奴らの顔を見た。今でも全員覚えている…改めて知ってもらおう」




「俺が女奴隷を集めるのは尖り歯の一族を蘇らせるため。俺が戦場に立つのは魔女と魔法使いに復讐するためだ」




「だから、お前たちには必ず俺の子を産んでもらう」


 今度は明確に、漏れ出たものではなく自らその魂を焦がす復讐心を全面に発露した、戦鬼の表情で。


 彼はそう宣言しました。


「…えっ」


 はい、ここでやっと自分の購入目的を知ったウルザでした。


 ともあれ。おいしいかどうかはさておき健康的な食事を終え(イドはきちんとごちそうさまでしたと言った)、後片付けを終えればお風呂の時間です。


 そう、この屋敷では毎日お風呂に入れるのです。この大戦争時代に生きる間諜としてウルザはまたも心揺さぶられました。


「…あ、あの」


「はい?」


「なんだ、ウルザ」


「その、本当に毎日この、とてつもなく広くてお湯がなみなみ満ちたお風呂に?」


「そうですよ?あ、大丈夫です!ちょっと広いですけどちゃんと掃除してありますから!」


「そうそう。知っているか?この街には清掃専門の傭兵がいるんだ。お湯だって魔法を利用した仕掛けで沸くからこの栓をひねるだけでいいんだぞ」


 間諜、本日何度目かの絶句。貴族出身の二人と奴隷購入以外の金の使い道にこだわらない主人の組み合わせが起こす異世界バブリー事故は的確に女間諜のメンタルを削っていきました。思わず湯に沈みそうになりますがしかし気を取り直して、彼女は切り出します。


「…あの、二人とも。聞いてほしいことがあるの」


 自分の目的と、そしてこれから行うこと。


 彼女たちからそれぞれの事情を聞き出してしまったせめてもの礼儀として伝えた上で。


 懐に武器を忍ばせ、主人の寝所に向かったのです。


 主人の思う通り、反抗的に。





 明かりのない部屋、その寝台の上で彼は新たな女奴隷を迎えました。


 今度こそ薬を持たず、妙な圧力も怪力もない、反抗的な女を。


 欲のまま食い散らかす、その悦楽に浸る時。


 顔色こそいつも通りに陰気ですが身体は既に熱を持ち今にもよだれを垂らさんばかりにいきり立つものはまさに蛮族の凶暴性の象徴と言えましょう。


 そう、蛮族です。あの蛮族ファッションはまんま蛮族だったからなのでした。


 対する女奴隷はお決まりの薄衣で、目を伏せたままゆっくりと寝台に近付いていく。


 一人寝にはあまりに広い寝台のその端へ辿り着いたその時。


 主人は我慢ならず奴隷を引き込もうと手を伸ばしました。


 しかし動いたのは奴隷の方が早かった。生まれながらの捕食者の魔の手を躱し、逆に寝台へ倒れ込むように踏み込みます。


 熱に浮いているところを完全に不意を打たれた男はもはやその目で後の顛末を受け入れるほかありません。


 女間諜の踏み込み。奇しくもそれはイリシアとの決闘で見せたイドの魔技によく似て、女の手が男の顔を捉え


 る、ことは、なく。


「……?」


 その横をすり抜け、男の頭を己の胸にかき抱いていた。


「あなたは…私と同じだわ」


 風呂上がりで上気した女の柔らかな頬に一筋伝うものがある。


 男はと言えば想定外の展開と無意識の諦めに身体を咄嗟に動かせず、強く抱きしめられその機を失った。


「私もね、幼い頃に家族を亡くしているの。両親と妹を二人。突然やってきた兵士に殺されちゃった。私が助かったのは偶然で、物陰に隠れたまま家にある食べ物やお金を奪っていく様を見送るしかなかった…身寄りを失った私は祖国の運営する施設に引き取られたわ。そこでは、国の役に立つための教育が行われていた。私はそこで間諜になったの。ええ、私の家族を奪ったあの兵士に復讐するために。仕事の合間を縫って権力者に付け込み、情報を集め、やっと。やっと真相を掴んだのは本当につい最近だったわ…あなたと私は同じだった。私の家族を殺したのは、自国の兵士だったのよ。理由は敗戦の八つ当たり。酷い話よ。私は周りの大人に敵国の兵士がやったと聞かされていたのもあって、一気に国を信じられなくなった。だから敵国の中でも有力なアルテの実家へ取り入ろうとしたり義に篤い剣姫、イリシア殿を頼ろうとした。どちらも上手くいかなくて、結局この街の軍人に通じることになったんだけど…そこで私は捕らえられた。祖国についての情報を渡した後に、知っている情報をさらに引きずり出された。私は軍を扇動した後すぐに国へ戻って兵士に復讐するつもりだったのに、拷問を受け、奴隷商人に流された。早く戻るためと、ここを逃げ出すつもりでいたのよ。でも…もう、いいわ。だって、あなたなら必ずあの国を滅ぼしてくれる。魔女を殺せば後には何も残らない、腐敗しきったあの国はじき瓦解する!だから、私はあなたの復讐を支持する。なんでもするわ。それこそ、子供だって産む。今から証明するわ、だから…私にお任せくださいませ、ご主人様」





 彼女は優秀な間諜でした。あらゆる手練手管を修め、長い間諜人生で培った経験には閨の技も当然含まれています。


 非力でも、薬を用いなくても。


 その技巧は、逃れ暴れようとする男から精のみならず熱までも搾り取りました。


 傭兵イドが手に入れた三人目の女奴隷、ウルザ。


 彼女は、イドが魔女を倒すまでに手にする五人の奴隷のうちで最も床上手だったのです。


 あ、懐に隠した武器は植物から精製された粘液でした。閨で役に立つ間諜の定番武器の一つですね。

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