第19話


「……イ……レイ!……レイ!!」


 レイがうっすらと目を開けると、レンが今にも泣きそうな表情で激しく自分の名前を呼んでいた。

 そんなに慌てて一体どうしたのだというのだろう。

 レイは寝ぼけた頭で疑問を抱いた。

 はっきりと目を開けると「よかった」と安堵の声が聞こえてきた。


「おかえり、早かったね」

「何言ってるのよ、もう辺りは真っ暗よ?私、少し遅れそうだと思ってちょっと走ったんだから」


 それより、と。


「大分、魘されてたんだけど……どこか痛むの?」

「いいや、全く。健康そのものだよ」

「何か不安なことでもあるの?」

「それもないよ。でも、そうだな……夢を見てたんだ」

「夢?」

「そう。よく思い出せないけど、とても昔の夢を見てたような気がするんだ」


 レイは頭をポリポリとかいた。そうしてようやく、自分が汗をかいていることを知った。

 どうやら、魘されてたというのは本当らしい。

 レンは帰ってきた直後だったようで、レイが普通に話し始めると、荷物を置きにキッチンへと入った。あれが、当分の食料だろう。


「怖い夢?」

「さぁ?さっぱり分からないんだよね」

「寝汗も凄いし……一旦、神父様に見てもらう?」

「いや、いいよ。ただ運悪く、悪夢を見ただけだろうし」


 レイは少し務めて笑った。でなければ、レンの顔がいつまでたっても不安そうな顔のままだったから。

 ここで、レンもようやくレイの言い分を聞く気になったのか、それ以上は深く訊いてこなかった。


「大丈夫ならお風呂でも入ってくる?汗で気持ち悪いでしょ?」


 代わりに、お風呂を勧めてきた。

 レイも正直、ひんやりして気持ち悪かったので、素直に従うことにした。

 脱衣所に向かう途中に「あれ……雑巾、私使ったっけ?」と聞こえてきたような気がしたがおそらく気のせいだろう。気のせいということにしておく。


 脱衣所で服を脱ぐ。

 風呂場からは湯気が立ち込めていて、いかにも気持ちよさそうな感じがする。

 いつの間にか溜まっていた浴槽に少し疑問を持ちながらも、ガラガラガラと引戸を引く。


「ほぉ……」


 二日目にして未だに慣れないこの感じは決して悪い物ではなく、むしろ好奇心を擽られるような、小気味よい感じにさせてくる。


「これも慣れないけど……」


 それは鏡。中にはレイが映っている。

 教会で道に迷ったのは鏡のせい、なのでいつの間にか苦手意識が芽生えてきたのかもしれない。

 湯を肩に掛け流しながら、落ち着きの溜息をひとつ落とした。


 一体、何の夢を見ていたのだろう。


 思い出せそうで思い出せない、何とももどかしく感じる。


 霰もないファンタジーな話ではなかったように思うが、どうだっただろう。


「深く考えても仕方ない、か」


 身体を綺麗にすれば心に感じているこのモヤモヤも綺麗に汚れと一緒に落ちていくに違いない、とレイはシャンプーに手を伸ばす。


「どーん!!」


 と同時に引戸がこれまた、勢いよく引かれ、反響した音にビクリと震えた。


「私もお風呂に入りに来たわ」

「いやぁあああああああ!!」


 悲鳴をあげたのはどちらか。

 ……レイの方だった。


 完璧に油断していたのだ。風呂なら流石のレンでも女の子だし、一緒に入ってくるなんてことはしないだろう。ましてタオルの一枚も羽織っていないなんて……!


「何で入ってくるんだよ!!」

「いいでしょ!!レイの髪を洗いたかったの!」

「洗わなくていいから!!と、とにかく何か身につけろって!!」

「どうしてお風呂で服を着るのよ」

「見えるからだよぉおおおお!!」


 レイはレンに背を向けている状態ではあるのだが、レイの目前には苦手意識のある鏡がある。濃厚な湯気と自分の身体が半分以上を占めているためダメな部分は見えていなかったが、それでも、顔と綺麗な鎖骨のラインははっきりと見て取れた。


 レイが耳まで赤くして目をつぶって叫ぶと、レンはようやく自分が何をしたのか理解したようで、


「み、見たな!……えっち」

「なんで?!」


 照れた。


「ち、違うの!!教会にいた時はみんなと一緒に入るのが当たり前で、みんなも小さくて大丈夫だったから……つい」

「いいから!!分かったから!!全部理解したし何でもいいからとにかくタオルでも何でも着ろ!」


 取り敢えず叫んだ。

 レンも流石に照れて恥ずかしくなったのか大人しく、引戸を引いて外へ出ていった。


「はぁ……」


 物凄く、疲れの滲み出たため息が零れた。

 まさか、入ってくるなんて思いもよらなかった。昨日レンが言っていたことは冗談ではなかったらしい。


 ……冗談ではない。


 ざばーっと、頭から湯を被る。

 しかし、全くあの光景が目から焼き付いて離れていかなかった。

 女性としてはあまり強調されていないボディではあるのだが、キメ細やかな肌と、色白で細い身体つきのためかレイにはとても美しく映った。


「心臓がバクバクいってるよ……」


 独り言として外の世界へ出す事で自分の心の負担を減らそうとする。そのとき、案外、風呂場とは響くものなんだな、なんて思った。


 昨日は声を出すことも無く無言だったため、新しい発見だった。まぁ、“不老不死”になる前はちゃんと風呂にも入っていたし、その時に声も出していただろうから新しいというのかは微妙なところだ。


 久しぶりの発見、といった方が正解かもしれない。


 そこまで結論を出した時、ふと“不老不死”になってからも風呂に入ったことがあった気がすると思い出した。

 あれは……確か……。


「再びドーン!今度はタオル付き!!」


 と、記憶を辿ろうとしたところで、どういう訳か再びレンが風呂場に入ってきた。


 今度はちゃんと(?)タオルを巻いて。


「……そういう事じゃない」


 さすがに二度目ともなると悲鳴は出なかったものの、逆に今度は心臓が並々ならぬ速さで拍を打つ。


「ま、ま。今日だけ今日だけ」

「どう言っても聞かないんだろう?タオルとって」

「もう出るの?」

「僕も巻くんだよ」


 そこら辺は鈍いらしい。

 それでも素直にタオルを取って渡してくれた。


 タオル巻いてるから大丈夫だろう、と謎の安心感が働くのはきっと、全裸が衝撃すぎたからに違いない。

 それでもダメなのだろうが、それを言ったところでレンは何かと理由をつけて来るだろうし、レイも毎回来られてはたまらない。

 今日だけ、に騙されることにしたのだ。


 努めて、レンは見ない方向で。


「もう髪洗っちゃった?まだなら私やってあげるよ」

「まだだけどやってはいらないよ」

「まぁまぁ」


 レンは言うが早いか、手にシャンプーを付けてすぐにレイの頭をゴシゴシ洗い始めた。


 うーむ……これでいいのだろうか。

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