第18話
「そこのあなた。すみませんがこれを運んでくれませんかね」
「……」
あるおばあちゃんが少年に話しかけた。手には明らかに配分を間違えたであろう大荷物があり、足元にさらに荷物があった。
これでは持つことさえ困難であろうことは容易に予想ができた。
少年はまさか自分に話しかけられたとは思わず、一旦は無視をした。
しかし、辺りに自分以外の誰もいないのと、心の隅に残っていたなけなしの善意が少年の足を止めさせた。
相手が弱々しいおばあさんであるということもあったのかもしれない。
「えっと……どれを?」
「これとこれと……これも」
何だ、このおばあさん……。全く遠慮がない。
少年は差し出される荷物を全て持った。できれば持ちたくなかったが、断れなかったのだ。
この時の少年も見た目は変わらず12歳である。しかし、精神は自然や社会と触れ合うことでしっかり成長しており、その辺の大人よりも知識は多い。
少年は慈悲、というのがしっくりとくる、と自分で自分を納得させ、ともかくおばあさんの言うところまでは付き合おうと思った。
「力持ちね〜。助かるわ」
「いえ、何よりです」
「着いたらお礼させて頂戴ね。美味しいパイがあるの」
「え、あ……はぁ」
ふんふ、と鼻歌交じりで話すおばあさんに少年は少し翻弄され気味だった。
「滅多に山なんて登らないのだけれど、ふと登りたくなっちゃうのよね〜」
「この荷物は……?」
「買い物の帰りにふと思っちゃったものだから」
おばあさんは機嫌良くそういった。
思いついたら後先考えずに行動してしまうタイプの人のようだ。
(……元気なおばあさんだな)
少年は率直な感想を抱いた。
それから、他愛もない世間話や、おばあさんの自慢話をひとしきり聞かされる頃にはおばあさんの家、らしきところに到着した。
「さぁさ!上がって上がって」
「いいんですか……?こんな汚い奴が綺麗な家に入っても」
「構わないわ。あなたは私の恩人だし……なにより、私は目が見えないのよ」
おばあさんは衝撃的な事実を口にした。
少年は驚くと共にすぐさま納得した。
少年のみてくれを見た人は真っ先に恐怖の感情を抱くのが当たり前だった。しかし、このおばあさんは少年に驚きすらしなかった。
少年は誰かに話しかけられたことに迷惑と共に嬉しさもあったのだろうと遅まきながらに自覚する。嬉しさのあまり、疑問を疑問として扱わなかった。
「……お邪魔します」
「リビングで待ってて。パイを作るわ」
それから少年はおばあさんのパイをご馳走になった。数十年ぶりの食べ物になったこのパイをゆっくり噛み締めるように咀嚼する。
「美味しいです」
「あら、本当?それは良かったわ。何しろ自分のために作ってて、人のためには数年ぶりなの。喜んでくれてよかったわ」
にこりと眩しい笑顔を見せる。
少年は咄嗟に自分は人間ではないのだ、と言おうとしたが、自分の目から溢れ出るものに気を取られてしまった。
「どうして……?」
「?泣いているのかしら……。大丈夫?」
人の温かみ。
それを感じたからこそ涙が溢れ出る。少年は愛に飢えていた。そして、優しさにも飢えていた。不老不死は、万能ではない。そのことをやっと彼は理解した。
「おばあさん。僕の抱えていることを聞いて貰ってもいいですか?……今日荷物を持っただけの“人間”の」
「えぇ、勿論よ。あなたの涙は優しいもの。私でいいなら聞くわ」
そして少年は全てを語った。
おばあさんは全てを肯定した。
この時、ようやくいつか願っていた自分を理解してくれる人が現れたのだった。
そして、少年はおばあさんと暮らすことになった。
おばあさんの夫は既に他界し、子供は結婚して家を出て一人だったらしくずっと、寂しかったようだ。元々が喋り上戸だったおばあさんは話し相手がおらず日々を悶々と暮らしていた。
少年はそんなおばあさんの話し相手になった。
ある日は息子の話。またある時は夫の話。
あるわあるわで、一日たりとも全く被った話がなかったのは、少年にとっても聞いていて飽きず楽しかった。
「これで、全部話したかしらね」
3年ほど経ったある日、おばあさんは言った。
「これで私の喋るお話はもうないわ。ようやくあの人の元へ行けるのね……」
「そんな事言うなよ。まだまだ元気じゃないか」
「あなたにならそう見えるのかもしれないわね」
おばあさんは自嘲気味に笑った。
「私は目が見えないと言ったけれど、光の加減程度なら分かるの。でも、それすらも最近分からなくなってきてね……」
「……」
何も言えなかった少年をおばあさんは優しく撫でた。
「そんな顔しないの。あなたはまだ若いんだからね」
それが最後の言葉だった。
翌朝、目覚めるとおばあさんは亡くなっていた。安らかに、眠るように死んでいた。
誰よりも一番悲しんだ。
サヨナラすら言えなかった自分に悲しくなった。怒りが湧いた。
自分には人と話す資格がないのだとそう戒めた。
何より辛かったのは、知らせを受けてやってきたおばあさんの子供達からの目線だった。
おばあさんに衣服を買ってもらっていたのでみすぼらしい格好ではなかったものの、この容姿がダメだったようだ。
娘の方からは「お前のせいで死んだのではないのか」とすれ違う時に呟かれた。
悔しかった。
誰も味方をしてくれない。おばあさんは受け入れてくれたのに、おばあさんの子供達は受け入れてくれない。
……受け入れてくれない、なんて当たり前だった。おばあさんとの時間で周りの人間が全ておばあさんのように優しいのだと勘違いしていた。
いや、もしかしたらおばあさんも姿が見えないから親切だっただけで見えていたら……。
そこまで考えて少年は自分を思い切り殴った。
自分を悪く言うやつをどう思おうがどうでもいいが、良くしてくれた、理解してくれた人を悪くいうのはダメだ。
少年の信条だった。
そして、もう人間とは関わるまい、と決めた。
でなければまた、今回のように同じことが起こるに違いない。もうたくさんだ。
少年は開きかけていた心の扉を完全に閉ざした。
そして、再び世界を彷徨った。
何年経っただろう。ざっと二桁はくだらないか?
人間として必要最低限のものがいらない少年は人間の皮を被った別の生命体へと変化した。
人がいないところでは亡霊のように見え、人がいるところでは乞食のように振舞った。
気色が悪い、薄気味悪いと人々は少年を忌避し、蔑み、酷いところでは石まで投げる者がいた。
けれど、痛くも痒くもない。少年は不老不死だからだ。身体の時間だけが完全に停止してしまったかのように、痛覚がないのだ。
少年は少年のまま今も生きている。
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