第7話

 少年がうとうとしていると窓から光が差し込んできた。

 どうやら朝が来たらしい。

 別に寝なくても大丈夫なのだが寝そうで寝れないというのはなかなかくるものがあった。

 外から鳥の囀りが聞こえてくる。

 今日も快晴だ。

 ここでようやく昨日、大掃除することに決まったのを思い出した。


「ふぁ〜ぁ!」


 軽く伸びをして、体を解しておく。

 同じ体勢で凝り固まっていた身体がほぐれていくのを感じながら未だに膝で寝ている少女の頬をうねうねと引っ張る。

 起きてくれないと下半身の伸びができないのだ。


「ん〜にゃぁ〜」


 しかし全く起きる気配がない。

 痛みを感じれば起きるはずなのだが……と少年も少女の寝付きの良さに自身の知識を疑った。

 色々と四苦八苦した結果。


「起きろー」


 声を出すことにした。

 すると少女はむにゃむにゃと寝ぼけながらではあるが「あと五分〜」と呟いた。

 確実に起きては来ている。

 少年は確信し、もう少し強い衝撃を与えれば起きるのではないかと考えた。


「もう朝だよ、起きて」


 少女の耳元で囁いた。

 どうして耳元で囁くことが強い衝撃と結びついたのかは定かではないが、ともかく少年は少女を起こすために、自分の身体の自由を手に入れるために少女に囁いた。

 すると、今まで全く起きる気配を見せなかった少女の身体が、というより頭が動き、少年の顔と鈍い音を立ててぶつかった。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

「ふごッ!!」


 結果をいえば。

 少女は起きた。

 ただし、右手を額に当てて、顔を真っ赤にさせながら。

 少年は起こすことに成功した。

 ただし、鼻頭を抑えて痛みに耐えながら。


 少女は何か言いたげであったが、少年の手から赤いものが見えたためか、ぱっと駆け出してティッシュを持ってきた。


「はいこれ。大丈夫?」

「ん?あぁ、ありがとう」


 少年はここで初めて自分が鼻血を出していることを自覚した。

 それは先程の少女の表情が印象的だったからだ。あの表情は怒っている感じではなかった。もちろん、喜んでいるとは思えなかったが。

 だがだとすると何が当てはまるのだろうか。

 そればかりが気になっていたのだ。


「私……寝ちゃってたのね」

「もうぐっすりと」

「……見た?」

「え?何をさ」

「いえ、なんでもないわ」


 少女は丁寧に少年への処置をしながら質問をしたが、少年がわかっていなさそうだと判断したのかこれ以上は詮索しようとしなかった。


「上を向いてはダメよ。逆流しちゃうから」

「わかった。とりあえず、手を洗って置きたいんだけど……どこかな?」

「奥の突き当たりを右」

「ありがとう」

「手を洗い終えたら早速、掃除をしに行くから私は玄関で待っているわね」


 少年は了解を伝え、手を洗いに行った。

 くるりと背を向け、歩き出した時、少女が頬に手を当てて身体を横に揺らしていたのには気付かなかった。


 少年は「突き当たりを右」「突き当たりを右」と繰り返しながら歩いていた。

 何しろここの教会は広すぎるのだ。

 元々そんな大きな家に住んだことも無く、一人になってからは自然が少年の家だったため、人工物の広い家は迷路のように感じていた。


 突き当たりとはいったものの、どこまで行っても突き当たりが見つからない。

 どこかで道を間違えたのか、と思ったが真っ直ぐ来ているだけなので間違えることは無いはずだし、変に行動すればそれこそ今よりも確実に迷子になる自信がある。


 神父でもいてくれたら楽なのだが……。


 少年がそんなことを考えながら歩いていると。


「見たことのないお兄ちゃん見っけ!!」


 小さな男の子が少年を指した。

 突然のことに少年は驚いてしまう。

 すると男の子は少年の手をみて、


「怪我したのー?」


 と訊ねた。

 洞察力があって賢い子だな、と大人ぶって心の中で評価した。


「そうなんだ、手洗い場を探していて」


 とはいえ、ここを知っているのは向こうだ。素直に訊ねる。


「あっちだよ」


 男の子が教えてくれたのは少年が先程まで通ってきていた道だった。

 おいおい、と。さすがに知らない僕でもわかるぞ、と。

 少年は男の子にもう一度訊ねた。


「どこに行けば手を洗えるんだ?」

「だからあっちだよ」


 男の子は全く同じ動作で変える気配がない。

 ううむ、と少年は唸った。

 こうなると少女か男の子かのどちらかは嘘をついたことになる。

 どちらが本当でどちらが嘘なのか。


「ありがとう」


 少年はどちらも信じることにした。

 どちらも本当のことを言っているに違いない。けれど、こうして迷ってしまったのは自分の理解が足りていなかったからだ、と。


 少年は男の子と別れを告げ、再び来た道を戻り始めた。


 そのときに少年は今までどうして人と会話することを拒んできたのかをもう一度深く理解した。そして、疑ったことを後悔した。


 今まで出会った人とは違う。神父は自分と同じように神様からの“おせっかい”があって、少女は何も話す気がなかった自分に食べ物を恵んでくれて、温かい場所に連れてきてくれた。男の子も逃げることなく教えてくれた。


 そんな人達を疑うのは絶対にやめよう。


 そう誓った。

 実際に、手洗い場は少女が言ったように突き当たりを右に少し進んだところにあった。

 どうして見落としていたのだろうと思うぐらい堂々と佇んでいて、少年は手洗い場にバカにされたような気がしてイラッとした。


 どうせならと、顔も洗っておいた。

 やはり若干寝ぼけていたようで冷水を浴びるとさっぱりした気分になった。

 手洗い場にバカにされたのはもう気の所為だと思える程にはなった。

 ついでに髪も濡らしておく。

 ボサボサの髪の毛が大人しくなった。

 掃除が終わって使えるようになったら一番にお風呂に入ろうと決める。

 孤児に近い環境で過ごしていたため、汚い身なりなのだ。

 しかし、これからは孤児ではなく、家に住む人間として過ごしていくため、最低限の身なりは気を付けようと思った。


 少年は少女の待つ玄関へと急いだ。

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