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「ミトカワさん。あなたは今、幸せですか?」

「は?」


 深夜の公園の東屋にて、屋根から伝い水溜りに垂れる雨粒に広がる波紋を眺め時間を潰していると、つい先ほどまで食用の草花の見分け方、あるいは樹液は食料として数えるかについて熱弁を振るっていたササが妙な問いを投げかけてきた。彼女の講釈の大半を聞き流していたので理解に苦しむが、四葉のクローバーがどうこう言っていた覚えがあるのでその辺りの流れだろうか。

 黒一色のセーラー服とスカートを着用した、幸福とはほど遠い人生を歩んだ過去の生者である少女は常日頃から浮かべている作り物の微笑みのままに再び「幸せですか」と繰り返す。どうやら僕の返答を待っているらしい。


「別に」

「知ってます! そんなあなたにオススメの場所があります!」



 案内されるがままに付いてきた先は小さな教会の跡地だった。

 教会……と看板には書かれているが元々は納屋として使っていた場所を改装したものだろうか。本来は明るい青のパステルカラーが塗られていた外壁は泥と砂が吹き付けて汚れ、トタンの屋根はところどころが剥がれている。

 ここ閂町には管理が行き届いていない廃屋が数多く存在しており、住居を持たない僕はそれらを寝床として日々活用させてもらっている。大半は人が居着かない理由を抱えるろくでもない場所であり、時や場合によっては足を踏み入れることが間違いだったということもある。

 この教会も、恐らくはそういう場所なのだと勘が囁いている。


「ハートフルハッピーハウスです。どうぞ中へ」

「関係者以外立入禁止って看板にあるから」

「フッ」


 何を今さら、とでも言いたげなせせら笑いに思わず眉をしかめる。

 だが、しかし。今さらなのだ。不法侵入など、僕にとってはもはや習慣の一部でしかない。

 軋む扉を蹴飛ばして侵入する。埃と土煙が舞い思わずむせる。

 人気はない。人どころか生物の気配もない。ついでに人でないもの――僕がそう呼んでいるだけの名もなき存在――も、いないらしい。もしやこれは、ササが僕に恵んでくれた安住の地なのかもしれない。何もないのは幸せだ。干渉されず、ただの女子高生の姿のままにさまよう亡霊さえ気にしなければ、僕にとっては探し求めていた場所に違いない。

 ああ、ありがたい。彼女には話したことなどなかったが、つい先日が僕の誕生日だったことを知っていてくれたのかもしれない。今までの非礼を詫びて感謝の言葉を告げたい。


 ――――そうであって欲しいと、ほんの少しだけ、期待しただけだ。


「どう思います?」

「……ハートフルで、ハッピー……」

「そうでしょうそうでしょう。それなりに時間が経っているはずですが、案外変わらないものですね」


 廃墟の内部は目に見えてそれと分かるほどに幸福が溢れていた。

 天井からは無数の祝福が所狭しと吊り下げられ、目隠し代わりに打ち付けられた窓の板からは歓喜が染み出てきている。儀式的に並べられた椅子には多種多様な彩りが施されて場を華やかに演出し、床は踏み場がないほどの慈愛で埋め尽くされている。

 全てはササの手によって、過剰なまでに装飾されていた。

 思った通りだ。ああ、感謝など考えるだけ無意味なことだった。

 この空間には今、どれだけの存在が閉じ込められているのだろう?


 部屋の中央で心からの幸せを表情に浮かべて、ササは言う。


「ミトカワさん。私を殺してくれてありがとうございます」


 僕も、彼女を殺して良かったと思う。

 彼女が生きていたら――僕は彼らと同じように、殺されていただろうから。[了]

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