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「――――つまるところこの食材は君にとっての未来であり、私にとっての過去でもある」
洋菓子店の裏手にて廃棄された菓子でもないかとゴミ箱を漁っていると、暗がりから不意に現れた痩身の中年男が長い指先で固形の粒をつまんで僕に差し出してきた。
この町では男のように視線が宙をさまよう者が多く存在している。中には会話くらいは通じる者もいないことはないが、どうせこの男は通じないだろう。僕はそのような人間を、人ではないものと密かに呼んでいる。
「我々は具である」
「なるほどです」
人ではないもの――とはまた違う括りに入れている、すでに生命の欠片もない死者であるササが僕の横から顔を出す。彼女は僕に突き出された物体をまじまじと観察すると、分かったような顔つきを浮かべて頷いていた。
「これが何か知っているのか?」
「天才ですからね」
なるほど。
さておき、この男の目的は何なのだろうか。手のひらの上に乗ったブロック状の固体は見るからに不穏で、執拗にこちらへと差し出してきているが貰おうとは思わない。ゴミを漁るほどに飢えている身ではあるが、飲食物とそれ以外の区別はついているつもりだ。何より臭いが酷い。腐って虫が湧き数世代は繰り返した生ゴミをドブ水で煮詰め発酵させたものに等しい悪臭は間違いなく男、いや男の持っているものの方から漂ってきている。意味の不明な言動はともかく身なりは小綺麗に見えるが……。
いや。もしや、僕か。僕が臭っているのか。人は否が応でも臭いに慣れる。決して正常とはいえない暮らしの中で自らの発する臭いに慣れていてもおかしくはない。そうか、僕は臭いのか。それもそうだ。いくら風の心地よい季節とはいえ、一週間も水に入ることすらしないのはさすがにマズイと理解した。この辺りに銭湯はあっただろうか。いや、いっそ公園ででも――。
ふと男へ目をやると、彼は自らの腕に齧りつき自らの腕を噛みちぎっていた。骨付きの肉を――魅力的な、よく焼かれたごちそうにでも見えているらしい自らの腕を口に運ぶ回数は徐々に増え、やがて男の右腕は骨だけになった。しかし彼の食欲は収まらず、次には左腕に噛み付いて咀嚼を始めるのだった。
「私のおかげですよ」
「何をした?」
「と言われても、これといってなのですが」
ササの話によると、僕が臭いについて思案し暮れていた頃、男は僕に対して包丁を突き刺してきていたという。見れば確かに脇腹からは血がにじみ出ている。痛みを感じない体質のせいか全く気が付かなかった。
刃を抜いた瞬間、男はササと目が合ったらしい。ササは人に害を及ぼす悪霊である。その姿を視認した者は自我を失い、死に至る。
「これ、食べたほうが良いのでは? けっこう血が出ていますよ」
足元に落ちる固形物を指差しササが言う。よくよく見れば、男の足元にも複数個がまとまって転がっていた。
「この気色悪いものを? というかこれは何なんだ?」
「血と唾液と――その他諸々を固めたものですね。髪とか、肌とか? ある意味では完全食と言えるかもしれません。顔色の優れないミトカワさんを心配してのプレゼントですよ。人、好きでしょう?」
体調を気遣うような奴が不意を突いて包丁で刺すかよ。
転がった固形物を靴の踵ですり潰し、川へと向かう。
流れ出る血液などそのうち止まる。今の僕に必要なのは、服と身体の洗濯なのだ。[了]
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