68
日に一度来るかすら定かではない路線バスの停留所にて雨宿りをしていると、何者かから逃げているらしき男女の姿が遠くに見えた。彼らの進む先はつい先日から続くこの大雨により一帯が陥没し、大穴が空き急斜面が待ち受けている。案の定、男女は瞬きする間もなく姿を消した。
「死体を見に行きませんか」
まるで絶景にでも誘うかのように、どこか浮かれた声色でササが声を掛けてきた。
「まだ死んでないかもしれないだろ」
「それなら殺せて二度楽しめますよ」
仕事がなく、手持ちも少ない。遠目で見た男女の印象も悪くない。少なくない金品を持っているに違いない。
停留所に置き忘れられていたところどころ虫の食った土まみれの傘を拝借し、現場へと向かうことにした。
◇
「生きてますね」
「死んでないか」
道は抉られたように垂直に切り立っており、ひとたび足を踏み入れれば滑落どころか墜落するだろう。剥き出しになった地肌からは大小異なる岩の欠片が獲物を狙い、そこから視線を伸ばしていくと、泥と砂利の溜まった闇の底には先ほどの男女が倒れている姿が僅かに見えた。この高さだ。落ちる間に身体を切り刻まれ、ただでは済まないだろう。
転がっていた握りこぶし大の石を拾い上げて崖下の二人に投げつける。命中。一瞬、揺れたように見えたが彼らの状態は窺い知れない。雨は勢いを増し傘を飛ばした。もはや、目を凝らしても彼らの輪郭を捉えることはできそうになかった。
「私、見てきましょうか」
「……ああ、よろしく頼むよ」
ササはすでにこの世の存在ではないため、環境の影響などは全く受けないという。暗闇であっても人の姿を目視できるし、水中だろうが空中だろうが移動するのに問題はない。壁を通り抜けることもできるらしいが、本人曰く「息が詰まるので」とのことで消極的だ。分からないこともない。僕自身も痛みを感じることがないためやろうと思えばこの崖を降りることができるが、身体の折れる瞬間というものは決して心地の良いものではない。それと同じか。同じか?
「おや、ミトカワくんじゃないか。奇遇だね」
土のニオイを上書きして現れたのは、鼻をつく強烈なエタノール臭。何をどうしたらここまで臭いを振りまけるのだろうか。以前に消毒液をガブ飲みしてはマジックだとうそぶいていたが実は飲料代わりに口にしているのは事実であり、身体から染み出しているのではないか。
普段のフィールドパーカーではなく頭から脛の辺りまでを覆う黄色の合羽を着用した顔見知りの知人、ヨモツは崖下を覗いて「いたいた」とつぶやき携帯電話を取り出しどこかへ連絡を取り始めた。
全く気が付かなかったが彼女の背後からはヨモツを一回り小さくしたような少女が僕の方を見――誰だったろうか、確か彼女の妹だとか言っていたような――ているのかは分からない。こちらに顔を向けているが、彼女は片目を眼帯で覆い、もう片側は長く伸びた黒髪で隠しているから。ササのものによく似た黒一色のセーラー服とスカートを着用しているが、高校生だろうか。ともかくヨモツの関係者だ。ろくでもない人間に違いない。
「ササくんは? いないようだけど」
ヨモツには幽霊であるササの姿が一切見えないらしいが、どういう理由か存在を認識してはいるという。どういうことなのか尋ねたことがあるが「友情ポイントが足りない」だとか何とかほざいたのでそれ以来聞こうとも思わない。僕よりひとつ年上だが、恐らくあとどれだけ歳を重ねようと同じような答えが返ってくるだろう。
「死体を見に行ってるよ」
「死体? ……あっはっは、死体。死体ね。ああ、確かに死体と言えばそうかもね」
妹と二人で笑い合うヨモツ。正確にはヨモツは口元に笑みのマークが描かれたマスクを装着しているため表情は窺えず口ぶりだけで楽を表現しているのかもしれないがどうでもいい。何が面白いのか知りたくもないが、笑い続けているのが耳に障ったので聞いてみることにした。
「あははぁ……。はは。いやいや。まあ。そうだね。あの二人……いや、元は三人……いや四人だったかな? 彼……あはははは。そう、これがケッサクでね。今は彼だけど元は彼女で彼女が彼で……ああ、はいはい。つまりは、ドクターのところから逃げ出してきた被検体だよ、アレ」
「被検体?」
「そ。なんと! 絶対に死なないビックリ人間さ。でも目を離したらすぐに死にたがる失敗失敗大失敗作でね。生きることこそ生物の礎じゃないか、まったく。ところでミトカワくん。キミにはアレが人に見えるかい?」
崖下を覗く。と同時に、珍しく焦燥した表情のササが戻ってくるのが見えた。
「ミトカワさん! なんですかアレ!」
勢いのまま宙に浮かび身振り手振りを交えてササが何やら説明を行おうとしている。小さい……小さい何かが……弾けて……? まとまり……いや、集合して……?
「ウジだよ、ミトカワくん。彼らは言わばウジ人間さ。短期間で繁栄と衰退を繰り返し――決して蝿にはならず、生死を繰り返しているんだ。望むならキミも同じ身体にしてあげても構わないよ。今なら友人価格で――おや、もう行くのかい。ふふ、ササくんによろしく。それじゃあ、またね」[了]
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