66
「死にたくて死にたくて仕方がないの」
公園のベンチに座る妙齢の女性、ムカイザカはそう切り出した。彼女の足元には男性のものと思われる死体――細切れに刻まれ混ぜられているため確証はないが衣類から推測すると恐らくは――が少なくとも二体分は転がっており、ムカイザカは彼らを着用したノースリーブシャツと同じく赤い傘で刺し、肉を僕の方へと飛ばしてきた。
「ね、聞いてる?」
腐っている。肉が。悪臭が目に見えるように錯覚するほど臭うのだ。実際に見えているのかもしれない。染みる。染み込む。僕が声を掛けた時点で彼女はどれだけの間ここに座っていたのだろうか。よくもまあ、こんな空間に留まり続けていられるものだと感心する。わざわざ汚い場所を選ばずとも、他のベンチがあるのだからそちらへ移動して愚痴を吐けば良いものを。閂は本日も朝から雨模様だ。僕だって彼女に関わりさえしなければ既に立ち去っていたはずなのに。
が、しかし。
「聞いてるのって聞いてんの」
僕は彼女に釘付けだ。
「死にたいのって言ってんの」
どうでもいい。本当に心底どうでもいいと思っている。
ああ、そうだ。誰が死にたかろうが死んでしまおうが僕にとっては関係がない。ムカイザカは死にたいと言うがどうせ死ぬ気などないのだろうし僕を殺すつもりに違いない。そして再び人を殺して死にたい死にたいと町をさまよい、行き着く先でまた人を殺すのだ。よくある話だ。死にたいから殺す。誰でもいいから殺す。僕は誰かの一人だ。人でないもの――僕が勝手に呼称している名称だ――は自分勝手な生き物なのだ。
「だから殺してあげるね。私もすぐに死ぬから」
「死とは結局のところ一人ぼっちなのですよ」
ムカイザカの背後で少女がつぶやく。
彼女は黒一色のセーラー服とスカートを着用し、焦点の合わない丸く大きな瞳で驚きのあまり息を大きく吸い込みむせ返ったムカイザカを見据え、意地の悪い微笑みを浮かべていた。
咳の止まらない哀れな女性にとっては気配もなく唐突に現れたように見えただろうが、少女――ササは僕が金槌で叩きのめされ気を失い、椅子に両手足を大量の釘で打ち付けられている間もずっと付近をふらついていた。僕を助ける手立てはなかった。彼女は生者ではなく、また、決して善人ではないから。
悪霊は人が苦しんでこそ幸福で、生に近づくことができる。
釘女は戸惑いの後に平静を取り戻し、そして、僕に刺したものと同様の釘を鞄から取り出し次から次へと噛み、皮膚を貫通するのも厭わずに飲み込んだ。今や彼女にとってはそれが普通なのだ。ついでのように開封した粉やカプセル状の薬を噛み砕き喉奥へと流し込む作業も並行し、ムカイザカは死ぬまで釘を食べ続けるのだろう。ササが悪霊たる所以である。彼女の姿を見、声を聞いた者は誰彼問わず死ぬ。何を行ったのか聞いたところでまともな答えは返ってこない。僕とササには生と死の隔たりがある。僕が彼女の声を聞き、姿を見ても死なない理由はその辺りの割り切りがあるからだろうか。知ったことではない。
まあ、死にたかったのなら本望だろう。
「ところでミトカワさん」
僕を見下ろしササが声を掛けてくる。ムカイザカはまだ釘を食べている。僕もタンブラー一杯相当を食べさせられて口を大釘で塞がれたが、そこまで美味しいとは思えない。彼女は味覚がおかしいのではないか?
「大丈夫です。私がいます。誰か助けがやって来るまで私の抱腹絶倒エピソードでお楽しみください」
ササは僕に取り憑いているが、触れることはできない。
つまり僕は、椅子に打ち付けられて時が過ぎるのを待つだけの存在だ。そしてササの話は――あまりにも非現実的で、本人の評とは裏腹に全くもって退屈であることを知っている。
ああ。
いっそ殺してくれれば良かったのに。[了]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます