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 不老不死は実在した。僕の目の前で木の幹に手足を釘で打ち付けられている男がそうだ。寝床を探して訪れた森の奥でひとり切り株に腰掛け思索に耽り、聞き慣れない言語で呟いていた彼は名をスズモトと名乗り、ヘムズワースと名乗り、ホフマンと名乗り、ユンと名乗り……短期的に町に滞在中だという彼は、町中で出会うたびに偽名を使った。長命の前では名前など些細なものだという。

 なるほど、確かに。彼に倣い、僕も男のことを適当な名で呼ぶことにした。


「どうして不老不死になったんだ?」

「よくある話だよ。人魚の肉を食べたんだ」


 永遠の命が実在するのなら人魚もまた然りということだろうか。幽霊がいるのだ、未確認生物がいても特に驚きはしない。

 いわゆるゲテモノと呼ばれる食材を口にすることが好きで百三十年もの間――全くそうは見えないが、彼は僕より百以上は歳上らしい――諸国を渡り歩いており、その中に人魚の肉があったのだとハタナカは語った。味を聞くと、思っていたよりかは不味かったという。


「見世物として飼われていたものをその場で食ったんだけど、死にかけだったからか調理が下手だったのか、酷く……ああ、本当に蘇ってくるようだ……そう、とんでもなく臭くてね。飲み込むのにも一苦労さ。勧めはしないね」

「へえ」


 正直なところ、僕は彼の嗜好に対してはさほどの興味がなかった。食べて不味いで終わるだけ良いじゃないか。腐りかけの食べ物などいくらでもある。


「ところでお願いがあるんだけど」

「聞くだけなら」

「どうもキミは勘違いをしているらしいが、俺は死ぬ。不老だが、不死じゃあない。もちろん痛みだってある。キミに磔にされたのもめっちゃくちゃに痛い。肉体的には一般人程度の耐久性しかないんだ。だから、この釘を取り除いてくれないか」


 私の勝ちですね――と耳元で少女の亡霊が囁く。何をもっての勝利宣言なのかは分からないが、すでにこの世とは位置を違えており、常人にはその姿が見えないような悪逆の化身と比べるものではないように思う。彼は少なくとも今現在はまだ生きているし、キミのことが知覚できないのであればおそらく善人だ。


「僕からもひとつ質問がある」

「……聞くだけなら」

「お前を食べたら僕も不老になれるのか?」


 水溜りに沈んでいた錆びた鋏でカトウの指を切り落とそうとするがうまくいかない。仕方なく、何度も折り曲げ捻り肉ごと千切った。ウミザキは表情を歪め僅かに呻くだけであり、叫んだりはしなかった。

 親指から順に千切る。もう片一方の指に手をかけた頃、キツレガワは激しく身を震わせた。手・足首にそれぞれ打ち込まれた釘がワトソンの血管が浮き出た薄い肌を突き破り、ようやく彼は両腕が開放された。この胆力があるのなら、両足首の方もすぐに脱出できるだろう。膝が砕け踵の割れた足で満足に歩けるようには時間が掛かるかもしれないけれど。そこはまあ、不老でどうにでもなるだろう。


「……食えよ、ほら。不老になりたいんだろう。俺を殺して、食えよ」

「僕には人を食う趣味がない」

「は?」

「指、ここに置いとくよ。それじゃあ」


 死体と見紛うほどに痩せ細った名のない男を残して森を去る。たとえ食人の趣味があったところであのような肉付きの悪い骨ばかりの身体など食べようとは思わないだろう。野犬か、人でないもの以外は。

 ああ、腹が減った。

 僕は再びの散策に戻ることにしたのだった。[了]

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