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 ここ閂町には雨天順延などという概念は基本的には存在しない。長期的に雨が続く地域であるということを住民はよく理解しており、どうせ降り止まないのであれば決行したところで別に構わないだろうといった考えなのかもしれない。

 よって、周囲一帯を雷光が照らし轟音が響こうが木々がうねるほどに横殴りの暴風雨であろうが、今後それらがさらに拡大しようが、本日の祭りも通常通りに開催される見込みである。


「ミトカワさん。早く行きますよ」

「……どうしてこんな天気でも祭りが開かれるんだ?」

「今さらですか? ほら、そんな傘はポイしてください」


 少しでも雨から身を守れればと拾った古傘は骨が折れて布のところどころには虫食いの穴が空き、広げると風の煽りを受けるだけのガラクタに成り果ててていた。多くの住人がそうしているように合羽を着込むのが正解なのだろうが、あいにく僕は持ち合わせていなかった。もうどうにでもなれだ。濡れ鼠となってさまようことにしよう。


「いい加減合羽を使えば良いのに」

「嫌いなんだ」


 前を行く雨合羽の集団に紛れるように付いていく。僕は合羽があまり好きではない。顔の中ほどまでフードで覆ってしまえば誰が誰なのか判別しづらく、自分というものが消えてしまうような感覚に陥り嫌気が差すのが理由だ。人でないもの……僕が勝手にそう呼称している人間に似て非なる存在がこの町にはあふれていて、そして、人を人と思わず飲み込んでいく。

 ――ああ、バカバカしい。自分で想像しておいて、これではどうにも錯乱しているみたいじゃないか。陰謀論者か、はたまたただの異常者か。


 唐突に聞こえた破裂音に思わず首を上げる。

 まさか、花火まで打ち上がるとは。火薬が湿気って使い物にならなくなったりはしないのだろうか。杞憂か。対策が練られているに違いない。ああ、そうだ。そうに違いない。

 出店も多い。焼きそばにりんご飴、近くを通るだけでも腹が空いてくる。これだけ盛り上がったのは過去にもなかったのではないか。ああ、そうだ。そうに違いない。

 人通りをかい潜って奥へ、奥へ。色とりどりの合羽は目に楽しく、それだけでも心が晴れやかになる。僕は一体何を格好つけていたのだろうか。今度、合羽を買いに行こう。ああ、そうしよう。楽しまなくては損じゃあないか。ああ、そうだ。そうに違いない。


「ミトカワさん」


 吊られた提灯が風雨に揺すられ喚き立てる中、静かな声が耳元で囁く。雑踏に紛れていてもササの声だけは聞き取れる。幽霊であり、僕に取り憑いている存在だからなのだろうか。それが良いことだとは決して言えないが。

 無視しても得がないので顔だけ向けて返答代わりとする。正直なところ、僕は祭りを楽しみたかった。


「私の顔が見えていますか」

「見えてるけど」

「それは何より。では、ここがどこなのか分かりますか」


 ふと、辺りを見回す。


 そこは、闇だった。


 虚ろな闇が僕を取り囲み、その中に一人、黒一色のセーラー服とスカートを着用した青白い顔の少女が後ろ手を組み、淡い存在を確かなものにするように、僕へと声を掛けてくる。


「お、ようやく目が合いましたね。ミトカワさん、正気を失っていたのですよ」

「それは……それはどれくらいの間だ?」

「小一時間ほどでしょうか。古い傘を拾った頃ですかね。もう骨しか残っていなかったのに、これで雨がしのげるー、とか言って」


 とうとうおかしくなったのかと思いましたよ、とササは続ける。傘?


 手。

 手に握っていたそれを見る。

 傘。いや、これは違う。これは傘ではない。ササは骨しか残っていなかったと言った。けれどこれは――これは、人骨だ。骨そのものだ。誰のものなのか。僕はどうしてこんなものを手にしたのか。いや、そんなことはどうでもいい。

 闇の奥へと骨を投げ捨て、ササの声に従って元来た道を戻る。

 遠くの方から、祭囃子の音が聞こえた。[了]

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