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「今日は警報が賑やかですね」


 雨音をかき消すようにけたたましく響き渡るサイレンの音に首を傾げてササがつぶやく。

 三日三晩も集中的に雨が降り続ければ、用事のひとつでも済ませるために近所へ出掛けようとしたまさに次の瞬間に傷を負ったり事故に出くわしたりもするだろう。それがちょうど同時刻に相次いだだけだ。恐らく。


 などということはなく。

 ああ、そうだ。分かっている。この不快な音の主は、淀んだ空の一帯に羽を広げ舞い踊る無数の存在によるものだと思って間違いないだろう。さて。いったい何なのだろうか、あれは。

 人でないもの――僕がそう呼称している生物の紛い物――と同類か、はたまた別のものなのか。どちらにせよ、早急に音量を下げてもらいたい。


 初めはカラスが群れ、戯れているように見えた。しかしそう感じたのも一瞬で、街路灯に降り立ったどことなく拡声器を彷彿とさせるその生物は身体から突き出すように飛び出た片羽根を無理やりに折り曲げて、そして、雑音を一帯に振りまき始めた。聞き流すには主張が激しく、両の耳を塞ぎ抵抗を図ったところで音量を抑える役目は一切果たさなかった。その存在の発する音は高低が不均等で長さも不揃い、徹底して耳障りなものであり、連続して聞くことで自分の中の歪さが段々と増幅していくような気分に襲われた。


「ミトカワさん。目つきが危ういですが、気分でも悪いのですか?」


 僕の心配でもしているつもりなのだろうか、それとも単に煽りたいだけなのだろうか。ササがいつもの苛立ちを引き起こす憎たらしい微笑みで問い掛けてくる。そんな言葉は必要ないのに。黙っていてくれ。もう二度と僕の前に姿を現さないでほしい。今すぐここからいなくなれ。さあ、さあ、さあ。


「ああ……ああ、大丈夫だ、僕は。僕は大丈夫。キミは?」

「私は平気です」

「ああ、そうだろうさ。悪人には効かないんだ。そうだ……そうに決まっている」

「ミトカワさん?」

「そうだ。そうだ! ああ! なんと簡単なことだったのか。そういうことか。そう……その通り。その通りだ! ありがとう! ありがとう! ありがとう!」



 その時の記憶は全くない。ササによれば「言葉と行動が真逆だった」とのことで、それは僕が公園の池に浮かぶ原因でもあるのだろう。周りの様子を窺うと、僕の他にも何人かが浮いていた。よくよく見ると、彼らの口元は一様に笑みで固定され、また、眼球がなかった。


「ほら、そろそろ水から出たほうが良いですよ」

「ああ……ああ、大丈夫だ、僕は。僕は大丈――」

「私は平気です。このやり取り、少なくとも二十回は繰り返していますからね」


 雨が上がって雲一つなく晴れた夜空の下で半透明な少女が呆れ顔でぼやく。

 錯覚だろうか、どこからかサイレンの音が聞こえたように思えたが、それはやがて遠くへと消えてなくなった。

 深呼吸の後、水中へ沈む。運動不足がたたり息が続くことはなく、すぐさま浮かびあがってむせる。

 ああ。

 僕はまだ、大丈夫だ。[了]

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