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 うまいこと首を吊るとさほど苦もなく死ねるという。

 なるほど、と思い父で試した。僕の考えていたよりは強く拒否反応を示し、老いた身体のどこに力が残っているのかと驚くほどに暴れたが、それでも母の時よりは簡単に死ねたのではないだろうか。彼女は自ら燃え上がったから。焼かれて死ぬことは辛いと聞く。良かったじゃないか。辛いことは幸せに繋がると常日頃から言っていた。さぞ幸せだったことだろう。



 その男は唐突に燃え上がった。

 彼は僕に向けた敵意の姿勢を崩すことなく、悲鳴や叫声を上げることもなく、ただ降りしきる雨に抗うように全身に炎を纏って嘲り笑っていた。しかしそれも長くは続かず、医者に"善く"してもらったという部位を残して男の身体は灰となって雨に溶けて流れた。


 男は自らを神であると何度か口にしていた。僕は神に詳しくはないが、気軽に声を掛けてくるほど人間に近しい存在なのだろうか。まあ、死んでしまったようだしどうでもいいことである。神でも死ぬと知れただけでも収穫だ。彼は神ではないだろうが。


「お前に憑いてる女はいつかお前を殺すだろうよ」


 男の遺した言葉だ。僕に取り憑いている黒一色のセーラー服とスカートを着用した病的に肌の青白い少女……ササは、男の言葉を聞くやいなや、彼の眼前へと瞬間的に距離を詰めた。彼女は悪霊である。その姿を目にし声を聞いた者は、決して死からは逃れられない。

 しかし男にはササの姿は見えていなかったようで、半透明な少女の身体をすり抜け僕に対して何やら呪詛らしき言語――内容は分からないが、恐らくそれは口汚い罵りに違いない――をまくし立てながら掴み掛かってきた。不意をつかれて倒れた際に打ち付けた肘の感覚はあれから小一時間は経ったというのに戻らない。痛みこそ感じることはないが、自分のものがそうでなく感じることは心地よいとは言えない。


「私がミトカワさんを殺すと言っていましたね」


 そして男は、僕の顔を殴りながら燃えた。指の先から肘、上半身へと炎は伝って首元へ。それでも男は殴ることを止めようとはせず、皮が爛れて骨が姿を現した頃、ようやく倒れて動かなくなった。跡に残されたのは義足……義足と言って良いものなのか、これは。彼は先天的に両脚がなかったというが、こんなイソギンチャクのような代替品で満足していたのだろうか。


「ミトカワさん」


 見上げたササの表情はいつもの微笑み。どこか焦点の合わない黒く丸い瞳。形の良い唇で作られた偽りの笑顔。


 僕は彼女のその顔が、どうにも苦手に思っている。


「風邪、引きますよ」


 何であれ、僕が死ぬときの理由なんてどうせろくでもないものだ。幸せな最期であるはずがない。

 雨はまだ降り続いている。病気とはもはや関係のない悪霊の言う通り、濡れていては体調に異常をきたしてしまう。僕は雨宿りの場所を探すため、再び散歩を続けることにした。[了]

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