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 床に転がる腐乱死体を見下ろして、死んだのですかとササが問う。それ以外に何か言葉を続けることはない。


 口と両眼を大きく開いて仰向けに倒れる男の名はタザキという。僕が殺した。彼に頼まれたから。町に多数放置されている廃屋に潜り込んだ際、先客として訪れ死を待っていたのがタザキだった。彼は多くを語らなかったが、失態を重ねた当然の結果だと何度か繰り返していた。ここ閂町は自分のような道を外れた者でも居着きやすいが、それ以上に存在してはならないものがはびこっている、とも。

 否定された存在の一部に含まれているササ――見た目こそ一般的な女子高生だが彼女は悪霊だ――が興味深そうにタザキの死体を観察している。何が面白いのだろうか、触れることがないことをいいことに、口内に指を突っ込んだり今にも睫毛同士が触れそうなくらいに顔を寄せ、眼球を覗き込んでは考え込む仕草を取っている。


 時に、幽霊とは便利な存在だ。幽霊になれるのならば僕は今すぐにだって死んでもいい。なれる保証はどこにもないし、なったところで制限も恐らく多い。

 そもそも幽霊になる、とは何なのだろうか。病気に罹るのとは訳が全く違うはず。死後、いつの間にかそうなっているかもしれないというあやふやな立場だ。実際にいるのかいないのか。まずそこから検証されるべき対象だ。


 以前、ササに聞いてみたことがある。

 キミは幽霊なのか――恐らく、はい。他に呼び方がないのならそうです。

 なぜこの世に留まり続けているのか、どうしたら消えるのか――分かりません。けれど、ミトカワさんが死んだら消えそうな気がします。これ、取り憑くだとか呪いだとか言うのでしょうか?

 キミには自分の意志があるのか――はい。私はもっとたくさんの人を殺したいです。人は死ぬために生きています。死ぬことは幸せなのです。私はそのお手伝いをしているのです。


 腹を空かせることも眠る必要もない。人と関わることも不要。そんなところが羨ましい。羨ましいがしかし、美味いものを味わえず、節々が軋むほど満足に眠ることもできずただ一人でさまようことしかできない状態を考えると、幽霊というものも想像しているより大したことはないのではないか。ササが急に哀れに思えた。


「非常に不愉快な感情を向けられている気がします」

「気のせいだろう」


 廃屋の崩れた屋根からは今朝方より降り続いている雨が流れ落ち、タザキの死体を濡らしていた。大柄だった彼は現在上下半身が切り離された状態にあり、切断された箇所から流れ出る血液は腐った床に今もなお染み込み続けている。

 生きているはずがない。死とは名の通り、生と真逆に位置している。死んだら終わり。そこから話は続かない。

 そのはずなのだが。


「ほら、やはりまだ動いていますよ」

「雨に打たれて振動しているだけだろう」


 そうであって欲しかった。けれど決してその限りではないとどこか理解していた。


 僕がタザキを殺すのはこれで四回目になる。首を掻き切ろうが心臓を刺そうが身体を切り離そうが、彼は再び動き始める。満遍なく解体して機械部品の一つでもないかどうかを探れば良かったか。いや、何も出てこないことくらい容易に想像できる。

 彼はまだ、生命活動を終わらせていないのだ。いやいや結構なことではないか。生きる気力を見習いたい。たとえどんな姿であっても生き続けようという彼に幸福を願う。

 が、生存を許さない悪霊が一人。タザキは僕たちに出会ってしまったことが不幸である。


「次は頭を潰してみては? 生き続ける屍の活動を止めるには定番でしょう」

「それで駄目だったら?」

「細切れにして経過観察ですかね。なお動くようなら次は酸でも――あ。ミトカワさん。食べてみませんか?」


 見下ろしたタザキの死体と目が合う。視線に含まれるのは怯えと侮蔑。そんな顔をされても困るのは僕だ。僕に非はない。すぐに死んでくれれば良かったのだ。

 僕にできることはただひとつ。彼の頭部を潰すこと。

 それでタザキが起き上がるようならその時は……まあ、食べてみるのは最終手段だ。それはその時に考えるとしよう。[了]

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