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「俺は魔法使いでね」


 アーチボルドと名乗った上背のある男は、聞き覚えのない言葉を時折交えつつ、僕に対して話しかけてきた……ようだった。あいにく僕はひとつの言語しか習得していない。ササに助言を求めても、聞いたことがないという。

 対処を決めかねている僕をよそに、男は一人話し続けていた。

 ……とにかく。公園でベンチに座って暇を潰していると、いつの間にか傍に寄ってきていた赤ら顔の奇妙な男が僕に声を掛けてきたのだ。


「今、俺は、この世に半分だけ存在している言葉でお前に問い掛けている。理解できるはずがない。半分はな」

「いや……」

「そうだ。その通り。空は晴れ、地が続いている。それと同じだ」


 雨である。

 さて、どうしたものだろう。関わり合いにならないほうが吉なのだろうが、去ったところで逃れられないようにも思う。

 断言しよう。この町において、顔見知りでもない人間に対して積極的に接しようとする奴にろくな者はいない。


「ん?」


 男と同じく傘も差さず雨に打たれ続けているササが、顎に手を当て考え込むような仕草を取る。アーチボルドは悪霊である彼女の姿が見えていないらしく、僕から視線を外そうとはせず、相も変わらず時折わけの分からない言葉で何やら楽しげに一人の会話を続けていた。


「ミトカワさん。少しお耳を拝借しても」

「あ?」


 別に男に聞かれることはないだろうし、わざわざ声量を落として囁かなくても。吐息こそないが、どうにもこそばゆく感じてしまう。今更だが、すでに実体がなくもちろん声帯が残っているわけでもないこの少女はどのようにして僕に声を届けているのだろうか。まあ、僕の与り知るところではない。

 さて。


「なんで?」

「いいから、言ってくださいよ」


 ササに言付けられた台詞をそのまま反復する。なんてことはない、自身の紹介をしているだけだ。僕はミトカワ。よろしく。それだけだ。


 それだけのはずだった。

 つい今しがたまで大きな顔全体で笑っていたアーチボルドが、僕の言葉を聞いた瞬間、まるで全ての感情を失ったかのように眉の毛一本動かさず、瞬きすらせず呼吸も止めて、こちらの目の奥を覗き込んでいる。

 さほど長い時間が流れたわけではないだろう。しかし、機関銃の如く喋り続けていた男に訪れた静寂は時が止まったと錯覚するのに十分で、ササが再び口を開くまで、動く者はいなかった。


「アーチボルドさん。理解しましたよ」

「お前っ、お前はなんてことを」


 先ほどまでとは打って変わって、アーチボルドは焦燥感をあらわにしていた。僕に向けられていた視線は斜め前に立つ黒一色のセーラー服とスカートを着用した少女に釘付けになっており、そのことは彼がササの存在を認識した――してしまったということに他ならない。

 彼は、死神に相対している。


「ようやくまともにお話できましたね。そして、なんてこと……とはこちらの台詞なのですが。今は不問としましょう」


 僕からは細身の少女の表情は窺えないが、声の調子から察するに、彼女の気分は高揚しているらしい。珍しいこともあるものだ。普段は微笑むくらいしかパターンがないというのに。もしや、年相応――とは言っても彼女はすでに死んでいるため生前の女子高生だった当時――の少女らしい朗らかな笑みでも浮かべているのだろうか。見てみたい気もするが、アーチボルドの錯乱した言動を目にした後では、そんな気持ちは雨と共に流れた。


「せっっっっかくここまで育てたのに台無しだ、ああああもう、終わりだよ。俺の人生は今ここで全部、ああそうだ全部、完全に終わったんだよ、クソ野郎共が」


 侮蔑には僕も含まれているのだろうか。だとしたら取り消しを願いたいところだ。悪は霊だけでいい。僕も決して善人ではないが、ササほど憎しみには溢れていない。


「私は魔法使いでして」

「うるさい」

「そう、つまりあなたが独自に生み出した言葉――呪詛を借りて言うならば」

「うるさい」

「どうぞ、お幸せになってくださいね」


 アーチボルドはササに掴みかかろうとして――姿を消した。跡に残るのは僅かな灰燼かいじんと焦げた肉の臭気。振り返ったササの表情は、普段どおりの柔和な微笑み。彼女は特にこれといって付け加えて語ることはなく、僕も何かを問うわけでもなく。

 ああ、そうだ。

 この話はこれで終わっておこう。僕はあまり深入りしたくはない。[了]

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