31

「ミトカワさんは天使が存在すると思いますか?」


 何を藪から棒に。

 天使。天の使い。神秘的な存在を思い描くが、似たような立場であれば狐のほうが食べるのに向いていそうな気がして好ましい。


「いない」

「私が天使だと言ったら?」

「……」

「なんですかその顔は。まあ良いです。それでは、あの子はどうでしょう?」


 ササが指差した先には一人の少女が佇んでいた。公園の大池の前で朗らかに歌い上げるその姿は雲の隙間から漏れる柔らかな光に照らされ――今は雨だというのに彼女の周りだけは妙に明るく、神々しさよりも先に不気味さを感じた。


「懐かしいですね。雲避けの儀ですよ」

「……いや、聞いたことがないが」

「えっ? 閂に住む中高生の女子から毎年選ばれて……えぇっ?」


 困惑と焦燥の混ざった表情を浮かべたササが雲避けの儀とやらを説明してくれた。

 よくよく聞いてみれば別段これといって身構えるようなこともない、日照りを乞うための簡単な儀式であるという。


 ここ閂町は年を通して雨が降るが、全ての住民がそれを好ましく思って住み着いているわけではない。しかし現状、解決は難しい。そこで地元の団体が立ち上がり、雨雲に祈りと賛美の歌、そして、うら若き乙女の身体を捧げて光を求めようと――つまるところ、生贄だ。いつの時代なのだろう。

 飲食物を貰えるからという理由で生前に活動を手伝っていたというササの話から察するに、どうにもそこは胡散臭い新興宗教が絡んでいるようにしか思えないが、この憐れな悪霊はそのことに気がついていなかったようだ。


「た、確かに言われてみればおかしいです。毎年。毎年ですよ。なぜだか私が選ばれたのです。小学生から中学生の間までずっと。別に晴れにすることなどできはしないのに、あなたは祝福されているから、とか――寒空であろうが祈りをっ! 捧げて……!」

「そりゃあ、自分の子供や顔見知りの子供なんかを雨の中に放置はしたくないだろうさ」

「ぶっ殺してやりましょう、あいつら!」


 地団駄を踏む姿は、人に害を為す悪霊にふさわしい姿というほど恐ろしくもなく。

 さて。

 池の前で陽の光を浴び続けている少女はいつの間にか歌うことを止めていた。彼女は周囲を窺って――何者かの存在を確認したのだろう、両手を天へと大きく広げてひざまずき、笑みを浮かべながら水中へと倒れ込んだ。


「あれ、薄い布一枚しか身に着けていないのでとても冷たいのですよ。死にそうなくらいに。もしかして、死ぬのが正解だったのでしょうか」

「どうしてキミはその時に死ななかったんだ?」

「儀式の前に薬……今思えばあれは睡眠薬か身体の自由を奪うような怪しげなものだったのでしょうね。そういったものを渡されるのですが、飲んだふりをして……助けないのですか?」

「泳げないし」


 その後の話は特に盛り上がりもなく終わる。宗教団体の人間と思われる複数人が池の周りに集まって祝詞のような文言を読み上げて、力の抜けた少女の身体を布に巻いて持ち去った。彼らの中のひとりが僕の方を一瞥したようだったが、特に何も言われることはなかった。

 閂は今日も雨が降り続いている。[了]

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