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 この先、闇あり。立入禁止。と書かれた看板が目についた。

 何の変哲もない路地裏に唐突に現れたその注意書きを蹴り飛ばし、僕は先へと歩みを進めた。


 そこには何もなかった。何者かが待ち構えていて襲ってきたりだとか複数体の死骸が積み上がっているだとかは一切なく、僕は何不自由なく散策を続けることができたのだ。

 そう、行き止まりに当たることなく歩き続けている。歩くことができてしまっている。管理が届かず入り組み深い路地ではあるが、逸れる道の一本もないのは不可解だ。周囲を確認すれば建造物群の壁が視線の届く先まで続き、振り返っても同様の景色が追いかけてくる。この虚無的な空間が闇だとでもいうのか。


「自業自得ですよ」

「予想できないだろ、こんなの」

「ミトカワさんはここで死ぬのです」

「僕の死体の側でキミも漂い続けるがいいさ」


 軽口の応酬はさておいて、そろそろ脱出口を見つける必要がある。変わらない風景というものは飽きが来る。目的のない散歩にも変化が必要なのだ。

 どうするべきかと考えるより先に、複製されたかのように外見が等しい民家の壁を蹴飛ばしてみる。

 するとどうだろう、人ひとりが通れるほどの穴が空いたではないか。かといって現状に変化が即座に反映されるのかといえば決して正しくはないのだろうが、それはそれ、壊すことが可能であるという事実が重要なのだ。


「痛くないのですか?」

「元より痛みは感じない。それにこの壁……ただのハリボテだ」


 コンクリートや鉄筋鉄骨で造られたごく普通の建物のように思っていたが、どうやら外面だけを整えられた姿だったらしい。

 穴から室内へと侵入すると眼前には椅子に座って微笑む老婆が一人いた――ように見えたのも束の間、気がついたときには僕は閂の町へと戻っていた。


「おや、意外とすんなり抜け出せましたね」


 驚く間もないほどあっけなく元の世界へと戻れたことに内心は安堵していたが、悪霊に弱音を吐く必要もないので押し黙る。同族――閂にはびこる人でないものとは違う、この世の存在ではない魑魅魍魎の類――を視認することができないササが老婆について触れないことから察するに、先ほどまでの空間は生者がうかつに潜り込んではいけない場所だったようだ。


 ああ、しまった。破壊した壁の欠片のひとつでも持ち帰れば良かったか。そんなもので幸福が得られるとも到底思いはしないけれども。


 そして、再びの散策へ。そういえばまだ今日の寝床を確保していない。

 ……どうせなら、雨の降っていないあの場所で寝てしまっても良かったのかもしれないが、時すでに遅し。雨の町から逃げることなど叶うはずもないのだ。[了]

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