24

 気がついたときには記憶がなかった。ミトカワという名称だけが僕の全てでその他には何もなく――本当に何もなく、金銭も人脈も寝床すら僕は持ち合わせていないようだった。


 ――ミトカワくん。キミには何もないのだよ――


 ああ、あれはいったい誰だったのだろう。僕を助け起こしてくれたあの女性は何者なのか。知りたい。彼女を知りたい。彼女に会いたい。


 それだけが、僕の原動力だった。



 ただひたすらに歩き続けた。彼女に出会った廃墟と化した病院付近を念入りに回った。靴に穴が空き服が破れれば盗み、食に困れば人を殺して貪った。僕は人を狩って生きていたのだと彼女が言っていたからだ。

 確かにそうなのだろう。臭いがややきつい点に目をつぶればこの食べ物は僕の舌に合う。しかし僕の食事を見ていた人はそうではないようだった。だから殺した。逃げた者を追い詰め絞め殺し吊るしていたら、いつしか僕が追われるようになっていた。


 なぜだろう。僕が何かしたというのか。生きるために必要だからそうしただけなのに。皆がやっていることじゃないか。どうして? と聞いても誰も答えてはくれず、だからまた喉首を裂き、塩水に漬け込みじっくりと火で炙った。

 手によりをかけた彼らは今まで生で食べていたものに比べれば格段に美味で、明日はどう調理しようかなどと空想が膨らんだ。いつまでもこの生活が続くものだと思っていた。


 が。


 それはどうやら間違いだったらしい。



「ミトカワさんのご親族の方ですか?」

「いや……いや。僕は知らない。大方、ドクターが暇潰しに作った紛い物だろう。相変わらず趣味が悪い」


 顔を見合わせ何やら会話する男と少女。割り込んで苦情を言うにも僕にはもう舌がない。自分で引き抜いてしまったから。自身の意志とは裏腹に、僕を覗き込む黒一色のセーラー服とスカートを着用した少女の姿を見た途端、そうしなければならないのだと焦る気持ちに急かされ実行した。


 頭の一部も、目の片方も、どちらの耳も、大半の臓器も、両方の足もすでにない。それでも僕は死ぬようには思えない。この少女が言っていた。そんなに人を殺したいのなら自分自身を殺し続ければ良いのです、と。


 つらい。死にたい。殺してほしい。それでもどうやら僕は自身を殺せないのだ。殺したいほど自分が憎く恨めしくてたまらないのに、僕にはとっくに両腕がない。僕によく似た不健康そうな男に切り落とされてしまったから。


 そうだ。この男。こいつだ。僕を地中深く空いた穴へと突き落とし、シャベルで泥を掛け埋めようとしているこいつはいったい誰なのだろう。確かに僕によく似ているが、よくよく見れば――――ああ、違う。違う。そうじゃない。これはそういう話じゃないんだ。


 僕は。

 僕は。

 俺は。

 俺はミトカワではない。ああ! そうだ! ようやく思い出した!

 俺はあの時、つい出来心で女の財布を盗んだ。それがいけなかったのだろうか、それとも他に要因があったのだろうか。俺はこいつがドクターと呼んでいた女に連れ去られ、麻酔もなしに手術を施され、そして俺はミトカワになったのだ。


 どうして俺を? 理由は? そんなもん知るか。こいつは俺のことを紛い物だと言っていた。俺は偽物なのか? それじゃあ他に成功例がいるというのか? それが――それがミトカワ、お前なのか? ああ、俺はいったいどこで間違えた? この町に来たことが間違っていたのか? この町は犯罪者に優しいと聞いたが、嘘だったのか? 俺は? 俺は助からないのか? なぜ? 俺だけ助からないのか? なあ、ミトカワ。教えてくれ。答えてくれ。なあ。

 俺はいったい、何だったんだ?[了]

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